5
正確に言えば、リチャードと私は昨日、初めて話したわけではない。「騎士科のリチャード・アシュフォード」と話したのが初めてなのは嘘ではないけれど。「リチャード・ウィルム」と私は、故郷での幼馴染だからだ。
昔、隣国との戦争があった頃、私の父とリチャードの父は騎士団での同僚だった。戦況を見極めるのが得意で知力を駆使して戦略を立てるのが得意だった父と圧倒的な戦闘能力で先陣を切って功労を立てたリチャードの父、後のウィルム卿。
もともと平民だった二人は揃って準男爵を叙勲し、片田舎の隣り合った小さな領地を与えられた。
その辺りは寄親である侯爵家の分領で、他にも上は子爵から下は準男爵まで何人かの領主がそれぞれ小さな土地を管理していた。
私とリチャードは、父同士の仲の良さから、幼い頃から頻繁に行き来していては、一緒に遊ぶ仲だった。
父親の特性を受け継いで、本を読んだりして過ごすのが好きな私と、とにかく体を動かすのが好きなリチャードだったが、不思議と気が合った。一番仲の良い友人だったと言っていい。
そして幼い私は、密かにリチャードに恋をしていた。
それは、淡いものではあったけれど、私の中では大切な想いだった。
私の想いに気づいてはいないと思うけれど、幼い頃はずっと一緒にいようと無邪気にいう私に笑顔で頷いてくれる関係ではあった。
事態は、初等学校に入って、卒業前の二年間で大きく変わった。初等学校は、寄親の侯爵家が私たちの住む地域に建てた学校で、各領の領主の子女や使用人の子女、地元でも希望する者が通える学校だった。最低限学用品を揃える資力が必要だったが、各領主が交通手段は用意するので、他の地域の学校に比べれば、それでも門戸は広いものだった。初等学校では入学すると、まずは男子と女子が分かれて教育を受ける。私たちにとっても基本的なマナーなどは男女で違うものが多かったが、更に使用人の子や庶民にとっては,将来の仕事に役立つ学問というのは男女で差があったからだ。三年生になると領主の子女や上級使用人を目指す少数が男女混合の選抜クラスに呼ばれる。私もリチャードも領主の子女だったから、当然のようにそのクラスに呼ばれた。
そこにいたのが子爵令息のレノックス・エルフィンストン。エルフィンストン子爵の息子だ。各領の領主は男爵や準男爵が多かったから、クラスの生徒の中では一番身分が高い家の出身だった。
私は、レノックスに目をつけられた。
おそらく、レノックスよりも成績が良かったから。レノックスが私のライバルだったというわけではない。田舎の庶民も通える初等学校だ。読み書きができる領民を増やすことを目的の一つとするような学校では、選抜クラスとはいえ本を読むのが趣味という生徒は少ない。私はその中で飛び抜けた成績を取ってしまった。
おそらく侯爵様も、この地域ののんびりした気質と学問的にあまり優秀な人材が輩出されないことを懸念して門戸が比較的広いあの学校を作ったのだと思う。
男女混合のクラスになったとはいえ、それまでの二年間男女別に別れて生活していた私たちがクラスが同じになった途端、お互いに打ち解けるというようなことはなかった。それ以上に生徒それぞれの目指すものが違った。もう二年通ったら使用人の子たちはここでの学びを生かして実際に働きに出る。新たな人間関係はその先の職業を考えての形式的なものとなった。自然と休み時間は低学年のうちに打ち解けた同性の仲間と過ごすことになる。
しかし、選抜クラス最初のテストの結果が張り出された頃から、レノックスはたびたび私に絡んでくるようになった。
大勢の取り巻きを引き連れて。
嫌がらせの内容は些細なことだった。私は成績以外に取り立てて目立つところもなかったから、おそらくそこが癪に触ったのだろうと思う。
それよりも私にとってショックだったのは、取り巻きの中にリチャードがいたことだった。いつも取り巻き集団の端の方でレノックスが私に嫌味や意地悪を言うのを黙って聞いていた。
立場的にレノックスに表立って反抗できる者はいない。仲の良い友人たちは,もちろん慰めてくれたが、それもレノックスと取り巻きが去った後のことだった。
些細なことでも頻繁に続くと心は疲弊する。成長期であるにも関わらず、どんどん痩せていく私を両親は心配した。そして色々と情報収集をしたようで学校でのことが両親の知るところになった。
「ベル、王都に残っている友人に確認したが、お前の成績なら王立学園に入学できるそうだ。特待クラスに入れれば、そこは国内の秀才が集うクラスだ。お前が目立つ成績を修めるのはこれまでのように簡単ではないだろう。でもレベルの高い学校に行ってみたいか」
父にそう言われ、王宮勤め人の娘だったため王都で育った母にも言われた。
「ここでは一番の成績でも、王立学園の特待科に入れれば、同じくらいの学力のお友達がたくさんできるわ。きっとその方が話も合って楽しいのではないかしら」
地元にだって友人はいた。みんな、レノックスに絡まれる私を心配してくれた。けれど友人の中で一番身分が高いのがせいぜい私という状態で友人たちも私を慰めるのが精一杯だったのだ。当時の私は、その友人たちにすら「助けてくれない」と悪感情を抱くぐらいには追い詰められていた。
とりあえず一度王都に行って試験を受けなければならないと言われた私は、試験結果がどうであってもこちらには戻らないと両親に伝えた。両親がどうして了承してくれたのかはわからない。成績から見て落ちる可能性は少ないだろうと思ったのか、特待クラスに入れなくても普通クラスに拾ってもらうことはできる。それでも良いと思っていたのかもしれない。何より故郷を離れて心を休めることが一番だと思っていたのかもしれないし、それくらい心配させていたのだろうと今ならわかる。
そして試験の準備のために早めに王都に発つことになった私は友人たちと別れを惜しんだ。
当然、レノックスが黙っているはずはない。
「王立学園の特待科だって? ふん,その難しさを知らないのか? お前なんかが受かるわけないだろ」
例によって取り巻きを連れたレノックス。その一番端にはリチャードがいた。
「――受からなくても戻りません」
「……は?」
いつも黙って聞いているだけの私が急に反論したからか、レノックスが固まった。取り巻きたちも驚いた顔をして黙っている。
「祖父母が王都に住んでいますので、学園に通えなくてもそこに住みますので」
「――なんでだよ!」
何故かレノックスが怒っている。わたしがいなくなればせいせいするはずなのに、なんなんだ。意地悪する人がいなくなって困るのだろうか。本当に嫌な人間だ。
「理由をお伝えるする必要はないと父からも言われております」
「……!」
再びレノックスが絶句している間に、私はその場を去った。挨拶もしなかった。リチャードの方は見られなかった。
数日後、私のノートが無くなった。……レノックスだろう。だがこのくだらない嫌がらせもあと少しの我慢だ。
「お前,なんで無くしたんだよ!」
教室の後ろの方でレノックスが怒鳴っていた。見る気もなかったが、相手の声につい振り向いてしまう。
「いや、悪い。さっきまであったんだけど。どこかに忘れてきたかも。もう一回探してみる」
リチャードがそう答えて教室から出て行った。
その日の帰り、私の馬車の中になくなったはずのノートがそっと置かれていた。




