Extend 03 一転、逆転→空転
エウリアお母さん視点です。
「――お母さん?」
決して咎めるような声音ではないのに、わたしは心臓が止まりそうになった。
声の主は、わたしによく似た顔をしていた。
声の主は、わたしにほど近い声をしていた。
わたしの、娘……?
孤児院に預けた、わたしの……?
【↑お前にその名を呼ぶ資格はない】
この子に、わたしが会いに行く予定なんてなかった。
ただ胸騒ぎがして、少しだけ様子を見たかっただけだ。
仲間に、そう伝えた。
それで、各地で集めた噂話を統合して、わたしの娘が娼婦をさせられているというところまでは突き止めた。
わたしは、この子の現状を知って何をしたかったのだろう。
結局、捻じくれた世界を糺す口実が欲しかっただけだ。
目が見えないまま生まれた事は、試練と銘打った搾取の言い訳にしちゃいけない。
……なんて、もっともらしい正論を首から下げたところで。
わたしは所詮――子を棄てた親だ。
どうやって、償えばいい?
償える筈がない。
もしも、すべてを終えたその後に、あの子がわたしに辿り着いたなら。
敗北の泥沼から抜け出せないわたしを、罰して欲しい。
――とは願った。
それでも、代償は支払わねば。
血を以て、贖罪せねば。
……そのために、まず、デュセヴェルを、殺す。
かつて娘だったあなたの近くにいる、デュセヴェルを。
【↑結局は無理だったよな? 娘が近くにいるなら、セットなのは当たり前だ!】
勇者連合のリーダー、津川巻人の合図“不可視の狼煙”を観測したわたしは、砦に急いだ。
緊急事態が発生している。
ともすれば、デュセヴェルが逃げおおせてしまうかもしれない。
だから、急いだ。
そうして、娘と鉢合わせしてしまった。
ここにだけは、いる筈がないと、思っていたのに。
「……どうして」
わたしの発した言葉は“どうしてここにいるの”という意味だった。
けれど彼女は“どうしてわかったの”と解釈したのだろう。
「はじめて、目が見えるようになったとき……わたしは、自分の顔を見ました。銀の、トレーで」
だから、そう答えた。
わたしの心はたいそう堪えた。
「……」
「デュセヴェルおじさまは、わたしを母親に似ているとおっしゃりましたの」
「……」
「だから、ひと目見てわかりました。心の中の半分くらいは、死んでいてほしかったけれど、見つけられたのは良かったのかもしれません。“目”があって、良かった」
「……ごめんなさい。ごめんね……わたしが、弱かったから……」
涙と一緒に、声が出た。
許しを請うのは、虫が良すぎるかもしれない。
けれど、恐ろしかった。
わたしは、この子を恐れてしまっていた。
この子が心の中でどんな報復を考えていたのだろうと想像して、それが怖くて仕方なかった。
罰してほしいとどこかで願いながら、赦されたいとも思ってしまった。
わたしに、そんな権利など無いのに。
「わたしの本当の名前だけは、絶対に呼ばないでくださいね。お母さん……いや、エウリア」
「――ッ」
わたしの破滅を望む“声”よ。
いかにお前が嘲笑おうと、わたしは膝を折らない。
灯火を巡らせる為に、虐げられた真実の愛を守る為に。
――……そう、心に誓った筈なのに。
今は、足が震えて立ち上がれない。
【↑何が破滅だ。それを望んでいるのはお前自身だった事に、やっと気づいたか?】
ウィルマ、ごめんなさい。
やっぱりあなたがいないと、わたしは自分が保てないみたい。
たとえ仮初めであっても、わたしもずっと“お嬢”と呼ばれていたかった。
【↑忘れろ。未練がましいぞ】
タケ君、カズ君、ごめんなさい。
わたしはあなた達を守るつもりでいながら、結局は自分の正当性を保つために利用していただけだった。
マット、ごめんなさい。
わたしの在り方は、欺瞞と自己矛盾の塊で、あなたを導くようなものではなかった。
【お前は“他人を救ってあげよう” という傲慢な在り方でしか自分を保てていない】
わたしは“他人を救ってあげよう”という傲慢な在り方でしか自分を保てていない。
……。
【お前は、わたし。わたしは、お前】
……。
【元に、戻るだけだろ】
……。
そう、だね。
わたしは、元に戻るだけ。
マイナスじゃない。
――ゼロに、戻るだけだ。
「……」
頭の中身が、内側から強引に剥がされていくような錯覚。
真っ黒な霧が足元から湧き出る。
暗くて冷たいそれは、この世ならざる波動の力。
生まれざる子たちの、言葉にならない怨嗟の声。
身体のそこかしこが、金属のような鱗に覆われる。
翼も、爪も、尻尾も、わたしの身体の一部として認識できる。
ぬめりを帯びたヒレが一緒に、ざわざわと現れる。
それはまるで義憤の女神、リヴァイアサンのよう。
でも違う。
この世界にリヴァイアサンは存在しない。
これは単に、憑蝕竜レヴィリスの因子に過ぎない。
この“力”が、わたしの魂にそう語りかけていた。
レヴィリスの因子を投与されていたから、わたしは若さを保てているのだと。
それと引き換えに、わたしは子を産む力を失っていたのだと。
侵蝕が中途半端だったから、子供には受け継がれなかった。
代わりに、
結婚した時から、少しずつ、少しずつ、少しずつ少しずつ。
わたしは、人としての輪郭を削られていたのだ。
そうして、人として正しく老いていく権利すら、奪われた。
ああ。
忌まわしくも。
愛しい。
わたしの鱗。
化け物。
としての。
正体を。
“手に入れた”!!!
このような度し難き外法の力は、わたし個人のために用いられるべきではない。
「――あっは、ははは、あはははは!!」
……糺す。
糺さねば。
救う!?
助ける!?
他人の危機でしか己を保てぬというのなら、そんな脆弱な自己などいらない不要いらない不要いらない不要!!
わたしは、罪人を罰する罰する糺す糺す!!
わたしの愛する者達に、わたしにとって気に入らぬ罪過を犯した輩どもに、鉄槌を下さねば!!
「はははは。あはははははははは。わたしが訊きたいのは、どうしてここにいるのか、という事です。わが愛しき娘よ! この砦は、おまえが来て良いところですか?」
「――」
「いいえ違います断じて違いますよねぇ!? わたしはこれから、おまえをだまくらかしてズッコンバッコンやりやがったクソキモロリコンジジイを今からブチ殺しに行くのです!」
「ろっ、ロリコ……――! お、おじさまを悪く言うのは、わたしが許しません! 実の娘を棄てたくせに!」
「何が違う……労働の対価に報酬を支払ったとて、その仕事はおまえが望んだこと? 胸を張ってそう言える?
娼婦というのはね……数あるお仕事の中でも一番、任意で入れるお仕事でなくてはならない」
「だったらどうしてわたしを棄てたの!? ねえ! 見てよ、このお腹を! ほら……」
娘の腹を見る。
……妊娠、していた。
「その子は、デュセヴェルの……?」
「わからないよ。誰の子なのかも。でも、育てなきゃ。わたしは、あなたとは違う。一度わたしを棄てて、のこのこ戻ってきた、あなたとは!」
「そう、だね……わたしには、あなたの親を名乗る資格なんて無い。でも、孤児院に預けた筈なのに女衒が横槍を入れるなんて、そんな理不尽まで許したつもりはない……わたしだって、さすがに、そこまで堕ちてはいない!!」
「おじさまを殺すっていうの? させない!」
立ちふさがるなよ……
あなたに、そんな義理なんて無いよ……
「わかりました。でも、せめて半殺しまでは。ホントは八つ裂きにしたいけど、我慢するね。ついでに、おまえを捨てろと言った、おまえの父親も、今のわたしなら八つ裂きにできる……」
わたしの意思で棄てたのではない。
けれど、反抗しなかったのはわたしの落ち度。
ぎゅー!
ハグ。
あまり力を込めてしまうと、背骨を壊してしまうかもだから。
せいいっぱい加減した。
「は、離して!」
「本当は、棄てたくなかった。あなたの弟も、殺したくなんてなかった」
「あっつ!? 今、あなた泣いて……後悔なんて、今更なにを!」
「……ずっと後悔してた」
そっと、娘を端っこに置いた。
かわいそうに怖かったねそんなに腰を抜かして顔も真っ青にして両目に涙なんて浮かべて腰を抜かして顔も真っ青にして両目に涙なんて浮かべてかわいそうにかわいそうに怖かったね。
……ごめんね。
――取り返しのつかない悪を為したゴミどもに再起のチャンスなどあるものか!!!!!
だから償わせてほしい頼むから、刺し違えたい!!
皆殺し!
皆殺し!
皆殺しだ!!
世界を糺す、糺す、糺す――糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す糺す!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
……はぁぁ♡
両手、両足が、大きくなっちゃった。
これで背丈は前の倍。
世界が、少しだけ小さく見えるよ。
「あなたには、他に何も望まないからぁ、お願ぁい……奴を、な、な、なぐ、殴らせてぇ……♡」
「……」
あなたが今の境遇にどんな想いを抱いているかは、詳しくは知らないよ。
それでも、それでも、あなたをそんな目に遭わせたすべての存在を、わたしは絶対に赦さない。
すべてと刺し違えてでも、これを糺す。
わたしだけが、復讐で血に塗れるべきなのだ。
「どうして、そんなに嬉しそうなの」
「さあ? ケリを付けられるから、かな」
熱を帯びていた下腹部を、自覚せずにはいられなかった。
わたしの納得行かない事をする奴を、直接ぶん殴って廻る。
最終手段、最終兵器、最低最悪の最後通告。
「いい子にしていてね。あなたの、お腹の子は、あとで話をしましょう」
「待って! 勝手に話を――」
「――嫌なら、止めてみろ。わたしは親じゃないのでしょう?」
あっは!
にっこりしすぎて。
口が、裂けた。
すべての歯が牙に変じていくのがわかる。
ああ、わたし、人を、やめちゃった……
自分の抱えた拠り所を、空虚なものだと思ってしまったから……?
口の端から漂う藍色の雷雲は、バチバチと稲光を放つ。
デュセヴェル、どこだ。
どこだ……殺してやるぞ!!
骨の一本たりともこの世に残しはしない!!




