Extend 1 汚泥に塗れて二度死んだ
今回はナターリヤ視点です。
私が再現したジャンヌは、当時の身体能力だけではなく、精神構造まで完全に模倣していた筈だ。
何故なら、魂は本物を使用したのだから。
この世界は、グリッチャーの出現によって魔素の流入が発生している。
加えて、私は異世界転生を経て知見を広めていた。
思えば順風満帆には程遠い道程だった。
私は前世だって、良い人生とはとても言えたものではなかった。
母はグリッチャーに殺され、年端も行かぬ女子を戦場に出させぬようセンチネルの技術応用の研究を進めれば潰され、名誉は失われ、唯一の親友は汚名を着せられ、とうとう私は耐えかねて自ら命を絶った。
暗闇の空間の中に魂だけで漂っている時は、かなり寒かった。
謎めいた黒エルフのクラサスに勧められるままに、山間の小さな里でエルフの赤子として生まれ直した。
私は、ここで錬金術を独学で習得した。
表面上は、妹――リセリディエルを溺愛し、その弓の才を褒めそやす愚かな姉として振る舞いながらだ。
雑多な本をとにかく集めて「本をたくさん読めば人間より頭が良くなる気がするの」などと誤魔化すのは、実に惨めだった。
リセリディエルは好奇心旺盛で、また物腰の柔らかさから皆に好かれていた。
反対に愚鈍な私は、皆に見向きもされなかった。
彼女が惜しまれながらもガスタロア自治区へと居を移し、私は里に残った。
私は、ますます居場所がなくなった。
それでも研究が進められそうな資材を集めた。
なのに、ある日それは全て崩壊した。
ルーセンタール帝国騎士団のオルトハイムとやらが、里へとやってきたのだ。
帝国は、亜人への弾圧を進めている。
自治区は瞬く間に蹂躙され、逃げ遅れた私の四肢は切り落とされ、そして子宮口を、熱した鉄で焼かれた。
口の中の歯も、殆どを砕かれた。
麻酔も無しでだ!
あわや両目も焼かれるかといったところで、気まぐれに助けられた。
曰く……
――『貴公は、その目で見続けるが良い』
だそうだ。
あんまりじゃないか。
その挙げ句に、転生して尚も苦痛を味わうなんて。
私の“目的”を、あんな排外主義者に邪魔されてなるものか。
クラサスは助けに来なかった。
焼け落ちた里の跡地で泥を啜りながら、必死に魔道具を組み上げて、手足を義手義足に替えて、入れ歯をし、付け髭をした。
ナターリヤ・ミザロヴァと偽名を騙り、姿を隠しつつ、セコセコと金策を練り、甘い儲け話で人を集め、そうして冬将軍なる不愉快で不名誉な異名を得るに至った。
端金で雇い入れた傀儡を使って加入したグランロイス共和国の錬金術研究委員会を隠れ蓑に用いて、好き放題に動いた。
行き倒れになっていた貴族令嬢、ジョジアーヌ・ドラクロワに恩を売った。
魔物の混血児である、帝国の貴族ドラクロワ子爵家。
以前から情報を集めて、金を吸い尽くしたら放り捨ててやろうかとも考えていた、絶好のカモである筈だった。
様々な魔術の知識にも精通している。
ましてや、ホムンクルスには子宮が必要だ。
試験管や培養槽を作るだけの工業的な技術力を持っていない以上、生体を用いるのは致し方ない事。
ジョジアーヌは全ての好条件を備えていた。
だがジョジアーヌは魔物の衝動を抑える薬を秘密裏に服用させられていて、その事実が判明したのは彼女が廃人になってからだった。
更に、そのジョジアーヌの肉体に、別の魂が異世界から憑依してしまった。
肉体を幼体変化させて男装し、サイアンと名乗って奴隷解放を掲げる異世界転生者。
さんざん振り回された。
正直、思い出したくもない。
多忙を極めたが、最終的には当人も納得できるような形で奴隷解放の方策を入れ知恵して、私の配下にそれを手伝わせた。
金策にもなるし、私が悪者扱いされる分には別に構わない。
錬金術、魔術、そして最後に死霊術。
あのグレイ・ランサーと名乗っていた転生者、もといクレフ・マージェイトが死霊術を習得していたとは。
しかも、仮死状態で発見された付き人の女、フォルメーテは更に詳細な内容を習得していた。
手足と名誉と男根を失った間抜けな転生者、クレフ。
派遣した配下にインチキをさせてクレフを女体化し、不便な旧式義肢を取り付けて野に放ったのが功を奏したのかもしれない。
サイアンの憑依術によって二人の中身を解析したからこそ成し得た。
あの偽善者も、少しは役に立ってくれたようだ。
勇者気取りの少年達を集めて武闘大会を開くという作戦は、大成功だったというわけだ。
自己顕示欲に溺れた愚かな勇者気取り共は、その殆どが包み隠さず能力を披露してくれたし、秘密裏に会場の至る所へ配置した“群衆型自走式学習装置オカメハチモク見学くん”へのデータ蓄積は万全だった。
会場は破壊されたが、そんな事は織り込み済みだ。
そうして、仕上げだ。
この世を去る必要があった。
だから、妹――リセリディエルを、秘密の地下研究所へと呼び寄せた。
妹は私の目論見通り、他の仲間を連れ立ってやってきた。
イスティ(生前の私によく似た顔をした別人)の姿もあった。
妹が口を開く。
――『どうか、目を覚まして下さい……あの男が、ダーティ・スーが誑かしているのでしょう?
得体の知れない外法に手を染めさせ、この世界を混乱に陥れる為に!』
――『黙るのですぞ。あれはただの駒ですな』
――『昔の姉さんは、優しかった姉さんは、そんな事を言わなかった。わたくしが、あなたの暴走を、必ず止めてみせます』
――『抜かせ、建前も作法も知らぬ小娘風情が。ガスタロア自治区の連中は野卑な輩が多くて困りますな。我輩が正面から応じるとでも? ……見よ、この生命の息吹を!』
――『――っ!』
ゲートが開き、現れるホムンクルスの軍勢。
何度も実験を重ねて、更には招聘したビヨンド、ステイン教授の協力を得て両目に光線銃まで搭載した怪人軍団だ。
そして、このホムンクルス軍団は全員がカラシニコフ突撃銃を装備している。
――『賢者の石がもたらした、忠実な怪物達ですぞ』
リセリディエル。
私はあの時、お前を――貴女を、まかり間違って撃ち殺したところで惜しくも何ともないのだと本気で思っていた。
だが、私がわざと胸に貴女の矢を受け、ファーロイス世界における最期の時を迎えている間、貴女はずっと泣き続けていた。
どうして?
貴女にとって、私は情けをかける価値なんて微塵も無かった。
全て種明かしをして、愛情が皆無である事を証明して尚、何を惜しむというのか。
私がファーロイス世界でエルフに転生したのは、長命な種族であることを利用して知識を集める為だ。
あくまでも、繋ぎでしかなかった。
周りは皆、道具でしかなかった筈なんだ。
全ては、私が最初に生まれ育った世界にジャンヌを再現して、私が私の理論を用いて正面から叩き潰すため。
なのに、胸に穴の空いたような気持ちは一体何だというの?
私は道化としての仮面をかぶりながら、涙を隠してきた筈なのに。
頭を振って、愚かしい追想と逡巡を振り払う。
……今を、見ろ。
あの世界に色々なものを捨ててきて、私がこの世界に持って帰ってきた理由は何だった?
ジャンヌへの復讐。
それだけだ。
私にとって、ジャンヌと正面から戦って、私の理論が勝てば良い。
かつての私が望んだ世界は、どう足掻いても実現できない。
だから、かつての私を死に至らしめたあの女を信じた大衆に、私の正しさを突きつけてやるのだ。
そのために、流血を強いてきた。
強いられてきた。
高精度なホムンクルスがあの世界に生まれる事など、その副産物でしかなかった。
ジャンヌの、本物のスペックと、本物の魂。
それを捕まえて再現する方法をずっと探してきた。
翻って、それがこの世界に何をもたらしただろう?
……ジャンヌの声明によって、センチネルを巡って大きな動きが生まれた。
U.S.C.Bは、かつての英雄ジャンヌの討伐へ。
彼女らセンチネル――もとい、それらを束ねる人類全体にとって、ジャンヌは裏切り者に他ならない。
では対するEOFの見解は如何様か。
其方は、当初こそジャンヌに同調していた。
しかし突如として、彼女らは手のひらを返す。
私とて仔細を詳らかに知るわけではないが、世界中の相当数が彼女らの叛意に驚愕したであろう事は、想像に難くない。
ジャンヌは、自らに従う者達だけで同盟を組んだ。
ごく少数ながら、戦闘能力に秀でる者達だけで集まる、小さな叛乱軍。
一方で、ダーティ・スーは突然「ちょいと出張しなきゃならん。野暮用を済ませたら連絡する」などと言い残して、出て行ってしまった。
以前に壁へ撃ち込んだ銃弾は“覗き見の妖精”などという面妖な名前だという。
その銃弾が拾い上げたのは、この地下設備に潜り込んでいたセンチネルは他にもいたって事。
別働隊が、私の身体に使用していた高濃度エーテライズド生体培養カプセルを調べていたらしい事も。
(まあ無駄だろう! お前達に理解できるような代物かよ!)
日記帳を閉じる。
椅子を回し、檻の中を見た。
以前このアジト内で捕縛した間抜けなスパイ――エマ・ラウトレクが牢獄の中にいる。
「せいぜい、おとなしくしているがいい。用を済ませたら、外の空気を吸わせてやるわよ」
その頃には英雄なんていらない世界にしてやるわ。




