Burnt2 宵闇に覆われて
今回はバクフーマー視点です。
俺――風間丁がここにいる事を、本人である俺以外の誰かが知っているなんて考えたこともなかった。
今の住所は誰にも明かしていない。
実家からも絶縁されていたし、今まで通販とか携帯電話とかをまったく使ったことが無い。
あの事件以来、隠れるようにこのボロアパートへ引っ越してきた。
俺は私物なんて殆ど持っていなかった。
蓄えだけはそれなりにあったから、無職になった今でも生活には困っていない。
藍羽瑠子という少女が、八恵さんの親戚を名乗って隣の部屋にやってきたのは、つい先週の事だ。
高校生が一人暮らしというのも物騒な話だが、八恵さんを見守るために両親の名義で部屋を借りたと頑なに言い張るから、俺も深く突っ込めなかった。
携帯電話で誰かと話しているのを何度か見かけたから、家出ではなさそうだ。
――『今日は肉じゃがを作りました』
――『お洗濯物、用意しておきました』
――『八恵さんの容態を確認しに来ました』
――『聞いて下さい、丁さん! スーパーの特売で卵が安かったんですよ!』
ゴミ捨て場のカラスとコミュニケーションを取る、風変わりな隣人。
そんな彼女は、俺の凍りついた心を少しずつほぐしていった。
――『車椅子、私にも引かせて下さい』
――『ああ、いいよ』
――『学校の宿題でわからない所があって……』
――『見せてみて。ここはね……』
――『今度、友達と遊びに行く事になったんです』
――『あまり遅くならないように、気をつけて帰ってきてね』
ある日の事だった。
三人で買い物をしていた。
その帰りに、怪人に襲われた。
――『見つけたぞ、バクフーマー!』
変身能力を持たない俺に、抗うすべは無い。
最初、瑠子に八恵さんを連れて逃げてもらって、俺がその間に生身で怪人と戦うつもりだった。
けれど。
――『たぁー!!』
瑠子の、気の抜けた掛け声。
でも、その両手から放たれた黒い羽の奔流が、怪人の身体を容赦なく切り裂いていく。
――『ぐわああああ! き、貴様は一体!?』
――『悪党に名乗る名前なんて無いわ』
怪人は爆発し、倒れる。
耐久限界を迎えたナノマシン装甲が破裂した事によって生まれる爆発だ。
あとは怪人対策課が何とかしてくれるだろう。
事情聴取は面倒だったから、さっさと逃げた。
――『君は、何者なんだ?』
――『詳しくは、まだ明かせません。丁さんこそ、変身能力は……』
――『……できないんだ』
――『アイテムの、故障……ですか?』
――『本部から承認されてロックを解除しないと。でも、肝心の本部はもう、解体されている。この腕時計型デバイスは、今は本当にただの腕時計でしかない』
――『そう、だったんですね……私は、あなたに再び立ち上がってほしいと思ってました。でも、そんな事になっていたなんて』
それで、君は何者なんだ?
などという疑念を口にするだけの気力は無かった。
俺が平和だと思い込んでいた世の中は、結局は偽物でしかなかった。
守る力なんて無い。
抜け殻だ。
―― ―― ――
ズルズルと、ダラダラと、数日が過ぎ去った。
今までと同じように。
……。
…………。
『続いてのニュースです。多国籍犯罪集団“マガントピア”が東京駅を占拠、死傷者は300名にのぼり、治安は戦後最悪と見られ――』
怪人に襲われてから久しぶりにつけるようにしたテレビのニュースは、相変わらず辛気臭い。
八恵さんには見せないようにして、ヘッドホンで聴く。
そうすれば、辛いニュースから遮断させる事ができる。
こんな世の中への、罪の意識を思い起こさせなくて済む。
背負うのは、俺だけでいい。
――ピンポーン!
安っぽいチャイムが鳴った。
瑠子の忘れ物だろうか?
無警戒にも開けてしまった。
「おかえり、早かっ――……」
知らない男が数人。
話の通じるような相手でないのは、表情を見ればわかった。
「ちぃーす!」「マジモンの風間丁さんだ」
「そっち写真とって写真」「お邪魔します」
嘲笑。
侮蔑。
好奇。
相手を対等な人間とは見なしていない、嫌な目つきだった。
服装、髪型は、普通の人なのに。
いわゆるヤンキーというような見た目は一人もいない。
なのに、嫌な空気は纏っていた。
俺は身構えるが、相手は数人だ……。
「なんなんだ、あんた達は!」
精一杯の抵抗で、そう尋ねる。
「ファンですけど何か?」
「迷惑だから帰ってください。警察呼びますよ」
「いや呼べないだろ電話持ってないだろー?」
「……」
「ほら黙った図星だ」
駄目だ。
話が通じない。
なんで、ヘラヘラしているんだ。
「おい見ろよ女かこってるよ女!」
「あれこの女リーコック・ノヴェムじゃね!?」
「やっぱ匿ってるって情報マジだったんだ!」
やめろ、くそ!
抵抗虚しく押しのけられた。
俺は、弱っているのか……!
「やめろ……!」
「いやあのこいつのあの、こいつのせいであの、解決が遅れたんじゃないですか? うん」
「やめろって言っている!!」
「有名税だよ有名税! ひとりだけ怪人倒さないとか、贔屓しすぎでしょ~」
「そんで結局、怪人増えて無駄に犠牲が出たのに謝罪会見にも出てこないしよ」
「いつまでもヒーロー気取りとか呑気だろ」
「マジ死ね」「死んどけカス」「ボケ」
俯せに押さえつけられながら何度も足蹴にされて、俺は身動きが取れない。
「やめてくれ、やめて……」
眼の前で繰り広げられている惨状は夢なんかじゃなかった。
聞こえてくる、八恵さんの叫び声。
八恵さんの肌に、次々と他の肌色が覆い被さっている。
「こいつガバガバやで」「やば、めっちゃヤッてる」
「動画撮らせるなよ」「大家帰ってくるのいつ?」「明日らしい」
この部屋は狭い。
数人で押しかけて行為に及べば、嫌な臭気が立ち込めるのは、すぐだった。
ああ……。
一度だけじゃなくて、二度も。
大切な人の、大切な中身は、蹂躙されてしまうのか。
……誰が俺を売った?
アパートの大家か?
マスコミか?
いや……瑠子、なのか……?
あいつが、俺達を……?
いや、そんなハズは、ない。
俺は、見ていた。
俺は、あいつが、そんな事を、するハズないって、知っているから、これは、何かの、間違いで、誰かが、これを、仕組んだと、いうのは、間違いないわけで、そうすると、パックス・ディアボリカの、残党が――
そうだパックス・ディアボリカの残党のせいだ!
「――おい誰か来た! 逃げるぞ」
「は!? おいそろそろ離れろ」
「い、イヤ、だ、ヨ」
何人かは、まぐわううちにカエルの化物みたいな姿になった。
怪人だ。
そうか。
八恵さんの中にあるナノマシンは、まだ生きていたのか。
パリン。
窓の割れる音。
「うわ、ちょ、ちょちょちょちょちょちょちょちょちょ――」
そして銃声。
銃声。
銃声。
銃声。
銃声。
銃声。
死体。
死体。死体。
死体。死体。死体。
死体。死体。死体。死体。
押しかけてきた男達は、怪人になりかけのも含めて、あっという間に処理された。
アパートはボロボロだ。
壁には穴が空いた。
「八恵、さん……」
手を伸ばす。
八恵さん、ごめんね。
俺が弱かったから守れなかったよ。
あんなに沢山の男に嬲りものにされて、怖かったよね。
頭を掴まれて、強制的に仰向けへと転がされた。
視界には、最近ニュースでも話題のコスプレ男。
いびつな笑みを浮かべて、俺を見下ろしていた。
そうだ、こいつは。
アメコミの悪役の真似事をしているっていう……
「――ごきげんよう、俺だ」
ダーティ・スー!
こいつが仕組んでいたに違いない。
八恵さんは、こいつのせいで……!!
ダーティ・スー……!
ダーティ・スー……!!
お前も、許さない……!!
視界が真っ赤に染まると同時。
俺の意識は途絶えた。




