Result 13 蜘蛛の巣の中心、或いはそのすぐ横で
ルーセンタール帝国南東部、ツァーデンバッハ領。
三年前はグランロイス共和国の領土だったが、帝国軍はこの街への魔物襲来の混乱を収拾した報酬と称して、ここを半ば強制的に接収した。
当時の共和国側の領主の「領土拡大の為に恩を着せた」という反論は、グランロイス共和国中央議会の圧力によって掻き消されたという。
さてこのツァーデンバッハ領だが、近頃は国境の山岳地帯を超えた先にある“祈りの森”に生息する魔物達が、にわかに活発化してきた。
また未確認情報だが、目から光線を発し相手を石化する者――“邪眼の怪人”がいるという噂も舞い込んでいた。
(後者は後にナボ・エスタリク騒ぎの張本人であると判明したが)
それらの動向を探るべく、マクシミリアン・デュセヴェル管区長は自ら赴いていた。
山の麓で南北に広がる街――“ベルクスヴィントミューレ”には、軍用の軽量馬車を以てしても約45日を要するほどの距離である。
領主であるアトール・ツァーデンバッハとの会談を控え、デュセヴェル達一行は高級宿にて休息を取っていた。
ナボ・エスタリクの騒ぎなど、市井の大衆達はすっかり忘れてしまっているようだ。
デュセヴェルは平穏を取り戻した喧騒を小窓から耳にして、僅かばかりの安堵を覚えた。
その溜め息が合図となって、デュセヴェルの腹の上にまたがる少女が頬を染めた。
「デュセヴェルおじさま……わたし、おじさまの子が産みたい……」
「嬉しいことを言ってくれる。私も遠路はるばる足を運んだ甲斐があるというものだ。これを受け取りなさい。働きに対する正当な報酬を、君は受け取るべきだ」
「まあ! 金貨! デュセヴェルおじさま……お慕い申し上げます……」
ふかふかのベッドにて、金貨を片手にデュセヴェルの髭面を撫でる少女は、青い髪が特に目を引いた。
齢は16で、みずみずしくも、将来性を秘めた身体を全て露わにしている。
そして何より特徴的なのは――盲目であるという事だった。
どんな相手でも分け隔てなく接する健気さは、客達の下卑た想像力を殊更に掻き立てるのだ。
彼女はこの街一帯の高級宿に回される“巡回娼婦”だ。
宿場通りをボディガード達に伴われて歩き回り、客に呼ばれて同室するという方式である。
(この街を訪れた転生者の一人が「もしやこれは“異世界デリヘル”というやつなのでは?」などと嘯いたが、広まらなかったようだ)
彼女は、“メルリル”の通り名を与えられていた。
もちろん本名は別にある。
が、それを名付けてくれた生みの親は彼女を捨てた。
目の見えない彼女にとって、その情報のすべてが伝聞だ。
包まれていた布に縫われていた名前が、どうやら親の付けた名前らしかった。
その布には名字までは縫われていなかったものの、生地は良質そのもので、裕福な家であることは間違いないと言われた。
だが、目が見えなくなったのは物心がつく前のことだったから、母親がどんな顔をしていたのかすらも知らなかった。
……この街がまだ共和国領だった頃。
街一帯を拠点とする孤児院は運営資金に難がある故に、横の繋がりでどうにか保たせていた。
昨日まで北のほうの孤児院にいた子供が、その翌日には遥か南の孤児院へと徒歩で移動させられたなどという話は、そう珍しくない。
孤児院が奴隷市場に子供を売り渡すなどという真似をすれば、共和国の貴族達はこぞって孤児院の取り潰しに掛かるだろう。
やがて街は魔物に攻め落とされ、メルリルのいた孤児院も被害を受けた。
我が物顔で闊歩する帝国の騎士達の足音は威圧感を隠そうともしなかったが、彼女はそれでも人の善性を信じたかった。
……やがてメルリルは、巡礼に来ていた軍神教の司教に保護された。
司教は、彼女の目が見えないことを即座に見抜いた。
――『教会の祝福では、元から見えない目を治すことはできない。
しかし、錬金術師に新しい目を作らせることは可能だ。多くの物事を見ることができる、目を』
――『目、ですか……』
――『全てが見えるようになる。太陽に照らされた空の青さも、暖炉で燃え続ける炎の眩さも、水面を覗き込んで映る君自身の顔の美しさも、親しい者達がどんな顔をしているかも』
――『見えるように……』
――『君を置いて立ち去ってしまった母親も、きっと自責の念に苛まれているだろう。
君の目が見えるようになったら、彼女を救えるかもしれない』
――『お母さん……』
――『その為には大いなる試練が課される。覚悟はあるかね?』
――『はい。教えてください。試練とはいかなるものでしょうか』
――『来なさい』
そうして彼女は新たな名前と、新たな身分が与えられた。
メルリルという名と、娼婦という身分が。
それでも彼女は“目”を求めた。
目が見えるようになった自分を母親に見せて復讐したかったのか。
それとも親子の絆を取り戻したかったのか。
荒んだ心では、もはやそれすらも判然としない。
いずれにせよ、目標の金額へはあと少しで届く。
目が見えるようになったら冒険者とやらにでもなってみようか、などと益体のない妄想をしながら、メルリルは手慣れた動作で服を着た。
「また、話をお聞かせ下さいね。デュセヴェルおじさま」
そうしてメルリルは護衛に連れられ、夜闇に掻き消える。
「“夕闇迫る冬の山にて”
“灯りも持たずに出ようなど”
“誰があの子に言えようか”
“灯火よ、巡れ”
“渦巻く大火を成す前に”
“道を照らせ”
“夜闇が道を閉ざす前に”」
誰が残したとも知れぬ詩を、吟遊詩人の歌声が紡ぐ。
メルリルも、鈴のような歌声をそこに重ねた。
そうしている間、彼女は不思議と懐かしい気持ちになっていた。
―― ―― ――
「“名誉妊娠”は確か、強姦であっても、帝国の男達の子を産めば報奨が与えられるという内容でしたな」
赤いサーコートの騎士がずらりと並ぶ中、長身痩躯の副官がデュセヴェルに問うた。
「こんな時代だ。子は多ければ多いほど有益だろう。
誰も産みたくないと言われるなら、産みたい時代にすれば良い。吟遊詩人がしきりに“灯火よ巡れ”と言っているが、あれは金の事だ。
生活が保証されるなら、未亡人でも老婆でも、新たに子を宿したいと考えるだろう」
デュセヴェルは喉を鳴らしながら「ああ。だが、君には――」と続けた。
「君には興味のない事だったかな? クロエという変わり種に、尻を掘らせている君にとっては」
「あの感触は癖になりますよ。生娘の男根というのは、なかなかお目にかかれるものでもありますまい。
ですが、それとは別に、きちんと各人の務めについては考えますとも。
程よく仕事をして、程よく遊ぶ……それこそが新しい帝国の在り方だと管区長殿も仰せられたではありませんか」
「そうだったかな! ふッ、ふふふ……」
「ふふふ……敬虔な信徒達が聞けば、どんな顔をするのでしょうね」
「どんな顔をしようとも知ったことではないよ。力任せに強姦する事と、言葉巧みに騙して寝取る事、それらの貴賤を果たして如何様に比べられるというのかね?」
「難問ですな」
「同じだよ。我々は生まれながらにして悪魔だ。天使の羽衣の作り方と神々を欺く為の作法を、親から習っただけの、醜悪な悪魔でしかない」
そしておそらく、あのダーティ・スーも同じように言うのだろう。
デュセヴェルは胸中にて、彼との不思議な縁をどう処理すべきか決めあぐねていた。
バンッ!
扉が乱暴に開かれ、もつれ込むようにして伝令兵が入ってきた。
「――伝令! “祈りの森”に展開中の魔物共が行動を開始! 誘導部隊が奇襲を受けました!」
「まったく。泥棒よけに放った野伏せりトカゲはあのザマだし、基本的に碌なものではないね。今回は」
デュセヴェルは悪態をつく口ぶりの割に、さほど堪えた様子は見られない。
伝令兵が抱えていた報告書を、さっと摘み上げて読み込む。
「……とはいえ、あの黄色いケダモノ……ダーティ・スーとやらは、我々の損害を軽減してくれたようだね。オーク共の数が最初の報告より随分と少ない」
「は……さ、然様でございます! “邪眼の怪人”の撃退も奴によるものだという証言がございます!」
「ゴミ掃除を率先してやってくれるとは、実に善良で有能じゃないか。是非とも引き抜きたいね」
「……奴をそう評価できるのは、デュセヴェル管区長閣下くらいですよ」
イスティ・ノイルをはじめとする、皇帝派の面々であればまず投げ出すような難物達を迅速かつ適切に配置してきた。
全ては皇帝派の鼻をあかす為だ。
少しずつ、少しずつ、口の中で飴を溶かすように。
これについては、ヴィクトラトゥス宰相からは全権を委任されている。
期待には応えたい。
……そして、ジルゼガット・ニノ・ゲナハらによって予言されていた――来るべき魔王軍出現。
これに乗じて、何もかもを覆すのだ。
―― 次回予告 ――
「ごきげんよう、俺だ。
忘れられたダンジョン……人出の途絶えた礼拝堂……。
窓を見つめる老婆。
なるほど、事情は理解した。
奴らには立ち退き料をたっぷり請求してやるとしようじゃないか。
だが、まずはあのアホ面のゲスト共を存分にもてなしてからだ。
どうしようもなくなったという事実をじっくり、叙事詩のように説明した上で!
そう!
全部お前さんのせいだぜ、お客さん!
だから忘れ物はするもんじゃないのさ!
……てね。
次回――
MISSION14: 忘れ形見の黄金郷
さて、お次も眠れない夜になりそうだぜ」
これにて、MISSION13は終了です。
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