第4話 死の旋律と閉ざされた扉
赤と青の光が、王都フィロメル音楽堂の夜を染めていた。
救急車とパトカーが並び、規制線が張られる。
控室の中には、冷えきった空気と、バイオリンのかすかな余韻が残っていた。
アマリリス・エルフェルト、世界的バイオリニストの死は、あまりに静かで、あまりに不自然だった。
「検視官、搬入完了。遺体の状況、確認します」
警察の現場責任者・宗形警部補が、防犯マスク越しに声を張った。
「死後硬直の具合から見て……死亡推定時刻は演奏終了からおよそ一時間以内。外傷はなく、争った形跡もなし」
「毒物の可能性は?」
「目立った泡や出血はなし。だが、口元に若干の変色がある。詳しくは司法解剖を待たないとわかりません」
一方、控室の扉とその周辺には、数名の鑑識が散らばっていた。
「ドアの施錠は、内側から行われていました。内鍵のロックバーが完全に降りていた状態です」
「開口部は?」
「窓なし。換気口は構造上、成人一人が通るのは不可能です。監視カメラも確認済みですが、22時以降この部屋への出入りはなし」
宗形は、無言で額を押さえた。
密室。
「完全な密室殺人、か……」
カズヤは、震える指先でアマリリスの残した楽譜を見つめていた。
古びた五線譜、ところどころに消えかけた鉛筆の書き込み。
「《夜想の約束》……やっぱり、あの曲だったんだ……」
彼の声はほとんど聞き取れないほど小さかった。
「知ってるのか、それ」
背後から重く響く声。アイゼンハワードだった。
「彼女がかつて師と共作したとされる、未発表の楽譜です。でもその存在は、誰も……証明できなかった」
「じゃあ、誰かがこの部屋に“置いた”可能性もあるな」
アイゼンハワードの視線が、アマリリスの亡骸と、弦の切れたバイオリンへと向けられた。
その時。
「すみません! これを見てください!」
鑑識の一人が声を上げた。
指差したのは、バイオリンの弓についた“リードグリース”の痕跡。
「弓の松脂が、部分的に変色しています。通常の松脂とは違う可能性があるかもしれません」
宗形が目を細めた。
「調査に回せ。成分分析を急げ」
控室の外で、妖子が壁にもたれていた。
ただの疲れではない。彼女は、何かを隠す人間の顔をしていた。
「……なぜ、弦が切れた?」
彼女はぽつりと呟いた。
そして誰にも見られぬように、自分のスマートフォンのメモ帳を開いた。
そこにはこう書かれていた。
【22:01】演奏中、E線が断裂
【22:09】舞台から控室へ(監視映像なし)
【22:11】控室ドア施錠
【22:12】音声記録:無音の3秒間
【22:13】拍手開始
目を閉じる。
あの夜、拍手の“空白の3秒”――何があったのか。
(私は、何を見落としてる……?)
そのとき、ハルがゆっくりと妖子に近づいてきた。
「……アマリリスが死んで、あなたは……悲しいんですか?」
「…………」
「それとも、“解放された”?」
妖子は答えなかった。
ただ、目をそらしただけだった。
事件は、まだ始まったばかりだった。
そして“音楽”の中に、何かが潜んでいた。




