第1話 鳥取への“やけ旅”に出る。
アイゼンハワードは、スーツの内ポケットから小さな銀製のスキットルを取り出し、ウイスキーをひと口飲むと、しわの多い手でカズヤの肩を叩いた。
「女にフラれた時は、砂に埋もれて忘れるもんだ。よし、鳥取行くぞ」
「……鳥取?」
「そうだ。砂丘がある。あそこに心の全部、埋めてこい。ちょうど、旧知の妖子も音楽祭で鳥取にいる」
「音楽祭って?」
「天音交響祭。クラシックから前衛音楽、はては子守唄まで演奏される、東洋一の奇妙な音楽の祭典だ」
カズヤは呆然としたまま、その数時間後には、新幹線と特急を乗り継ぎ、鳥取駅に立っていた。
駅前には、見事に何もなかった。
「……これが鳥取か。やけに空が広いな」
「いいか、カズヤ。大事なのは心の解像度だ。空と地面だけで充分だ」
そう語るアイゼンハワードの目はどこか遠くを見ていた。彼が元・MI6の諜報員であり、今は人間界でただの“おっさん魔族”として年金暮らしをしていることを、カズヤはこの時あらためて思い出す。
そして2人はタクシーに乗り、鳥取砂丘へ向かった。
砂丘のてっぺんで風を受けながら、カズヤは叫んだ。
「うおおおおおおおおおおっっ!!」
「よし、声が足りん。もっと腹から出せ」
「じいちゃん!叫んでも何も変わらないってば!」
「だが気持ちは変わる。砂に叫べ、心の全部を」
カズヤの絶叫が風に舞ったとき、一台のクラシックカーが砂丘のふもとに止まった。
ドアが開き、姿を見せたのは艶やかな和装の女性。年齢不詳、口元に常にふわりとした笑みを湛える、妖艶な存在。
「おやおや……おっさん魔族と、若いの一匹。砂丘で叫んでるのはあんたたちかい?」
「妖子。お前こそ相変わらず、色気で空気を歪ませる女だ」
「褒め言葉として受け取っとくよ」
妖子は、天音交響祭のゲストとして鳥取を訪れていた。妖怪と人間のハーフである彼女は、その艶やかな歌声と怪異譚の朗読で知られる“舞台の魔女”。
「今夜の演奏会、来るといい。舞台裏にも入れるよう手配しといた」
「また何か事件でも起きそうだな」
「フラれたばかりの男と、元スパイのおっさん魔族が、平穏に旅できるわけないでしょ」
そうして、カズヤとアイゼンハワードは、音楽祭という非日常の渦に巻き込まれていく。
事件の幕が開く、運命の交響曲。




