第1話 消える宇宙船
最初の異常は、フランス領ギアナのクールー宇宙センターで起こった。
2025年3月6日、現地時間18時12分。欧州宇宙機関(ESA)の通信衛星「アルテミスII」が、軌道投入からわずか6分後に通信を完全喪失。
当初は機器トラブルと見なされたが、次第にそれは「偶然」の域を超えていく。
3月7日
インドのリサット偵察衛星が沈黙。
同日午後、イスラエルのアモス衛星が軌道上から瞬時に消失。
3月9日には、NASAの民間協力衛星“パトリオット・ノヴァ”が突如としてブラックアウト。搭載していた全天球カメラは最後の一瞬、映像を送信していた。
それは、海のように静まり返った宇宙空間に、赤い尾を引く“何か”が接近し、衛星を飲み込むように覆う一瞬だった。
国際的な宇宙監視機関(UNOOSA)は事態を「偶発的なデブリ衝突」と説明したが、専門家の間では憶測が飛び交っていた。
「明らかに追尾している」
「推進器のない物体が、どうやって衛星に接近できるのか?」
そして、決定的だったのは3月12日。
ロシアの有人宇宙船「ソユーズX5」が、地球周回軌道上で予定どおり船内実験を終えた直後、船体ごとレーダーから消失。
残されたのは、地球上空の大気圏ギリギリで断続的に記録された、不可解な“ジャミング・パターン”だった。
ロシアはすぐにアメリカの妨害行為を疑い、NATOはロシアの陰謀を糾弾。国際情勢は一気に緊張の色を深めていった。
ロンドン・MI6本部。
地下一〇階、セキュリティレベル5。
アイゼンハワードは、重く冷たいスチール製のドアをくぐると、そこに元上官Mが待っていた。
「また呼び戻されたか。墓場を出た幽霊のような気分だ」
「幽霊にはまだ骨があるようだな、アイゼン。だが、今回はお前にしかできん」
Mが差し出したのは、一枚の静止画像。
写っていたのは、衛星の望遠カメラがとらえた神戸港沖。そこには、貨物船としては不自然なほどの大型ミサイルランチャーの影があった。
「この影、最新鋭のレーザー妨害ロケットと推測されている。しかも発射熱源は、大エイドーのオキナワ領海内から感知された」
「大エイドー、か……あの国で何か動いているな」
Mは次に、映像を差し替えた。そこには、一人の男の顔写真が現れる。
浅黒い肌、鋭利な目元、顔に縦一本の傷
それは、アイゼンハワードの脳裏に深く焼き付いていた亡霊だった。
「……九条イサム……生きていたのか」
「お前が14年前、香港で“始末した”と報告した相手だ」
「奴は日本の外事情報機関“零課”のエリートだった。CIAですら手に負えず、日本政府に見捨てられ、地下に潜った。だが……まさか」
「今や、彼は“ワルダー”という新しい国際犯罪組織の幹部として動いている。神戸の貨物船は、彼のものだ」
アイゼンハワードは、ゆっくりと息を吐いた。
「なぜ今、宇宙を狙う?」
「それを探るのがお前の仕事だ。タイムリミットは10日後のジェミニ6号の打ち上げ。このままでは米ロが暴発する」
アイゼンハワードは、灰色のロングコートを羽織り、いつもの古びたレザーのブリーフケースを手に取った。
その中には、拳銃ではなく、歯ブラシ、血圧計、そして過去の地図が入っていた。
「老骨に鞭打って、再び大エイドーか。
だがイサム……今度こそ、お前の“死”を確認しに行く」
老スパイの足音が、MI6の長い地下通路をゆっくりと響かせる。
外は雨。
再び、記憶と因縁の国へと、彼は旅立つことになった。




