【最終話】 カズヤの復活と哀しみの手紙
後藤久美子がトキオー観光した
あの夏から、数年が過ぎた。
トキオの片隅。
品川の駅から歩いて5分、小さな不動産会社の看板の下に、スーツ姿の青年が立っていた。
カズヤだった。
髪は短く整えられ、シャツには汗じみができている。
しかし彼の足取りは、確かだった。
引きこもっていたかつての自分を、まるで別人のように思う日が来るなんて、夢にも思わなかった。
「……あの部屋、案内したいんです。きっと、奥さんも気に入りますから」
彼の声ははっきりしていて、優しい響きを持っていた。
仕事を終え、家に戻ると、アイゼンハワードがちょうど紅茶を入れていた。
「おかえり。今日はずいぶん遅かったのう」
「新婚さんの引っ越し案内でした。いい人たちでしたよ」
カズヤはネクタイをゆるめ、ソファに腰を下ろす。
アイゼンハワードは湯気の立つティーカップを差し出しながら、ふと呟く。
「やっぱりな……恋ってのは素晴らしい。わしもそう思う。若い時でも、年取ってからでも」
カズヤは笑って、黙って紅茶を飲んだ。
彼の中で、「恋」はまだ終わっていなかった。
どこか遠くへ、いつか戻ってくると、そんな気持ちだけをしまい込んでいた。
ある日、郵便受けに、一通の封筒が届いた。
カズヤは手に取り、宛名を見た。
差出人
【後藤 久美子】
封を開けると、中にはクリーム色の紙と、柔らかな筆跡の招待状が入っていた。
「このたび、わたくし後藤久美子は、ナゴヤーにて結婚式を挙げることとなりました。
トキオーでの日々は、私にとって忘れられない時間でした。
どうか、幸せを祈ってください。ありがとう、カズヤ」
カズヤは、しばらくそれを見つめていた。
笑ったつもりだったが、気づけば涙が落ちていた。
その夜、彼は静かにベランダに出た。
あの夏、久美子が煙草を吸っていた場所。
今は誰もいないベランダで、彼はただ夜風に吹かれていた。
アイゼンハワードが紅茶を手にやってくる。
「どうした、泣いとるのか?」
「……泣いてませんよ」
「そうか。なら、よかった」
しばらく沈黙があったあと、アイゼンハワードはぽつりと笑った。
「うむ。やっぱり、遠くのいい男より、近くのええ男だったんじゃろうな」
カズヤは、紅茶を口に運び、ふっと笑った。
「……そうですね。悔しいけど、そうかもしれません」
でも、悲しさと同じくらい、不思議な清々しさがあった。
彼はもう、部屋の中に閉じこもってはいない。
人の目を見て、言葉を交わし、働き、生きている。
恋は終わった。
けれど、その恋がいまの自分を生かしてくれた。
それだけは、きっと一生、忘れない。
遠くの空で、結婚式の鐘が鳴る。
トキオーの片隅で、青年はひとつの失恋を胸に、明日へと歩き出した。
『アイゼンハワードの魔族のおっさんはつらいよ5 ~孫と休日のトキオ恋観光~』
ー完ー




