第3話 噂が町を冷やす
噂は、音もなく広がった。
「夜、出歩かないほうがいいらしい」
「商店街で、ヤバそうな連中と黒い車を見たって」
「元市長のスナック、やられたんだろ?」
誰も大声では言わない。
ひそひそと、体温を奪うように。
夕方六時。
いつもなら人の声が残る時間帯なのに、
商店街はシャッターの音ばかりが響いていた。
ガラガラ、ガラガラ。
一軒、また一軒。
八百屋の親父は、時計を何度も見てから店を閉める。
居酒屋の提灯は灯されないまま。
子どもたちは外で遊ばなくなった。
町が、早送りで夜になる。
診療所にも、変化は現れていた。
怪我人は増えない。
その代わり、眠れない人、胃が痛い人、
「なんとなく具合が悪い」人が増えた。
さっちゃんは、カルテを書きながら気づいていた。
これは、病気じゃない。
“空気”だ。
待合室の隅で、若者のケンジが椅子を蹴った。
「ムカつくんだよ」
声は小さいが、苛立ちが滲む。
「なんで俺らが、ビクビクしなきゃいけないんだ。
殴られたのは元市長だろ?
だったら、殴り返せばいいじゃん」
待合室が、一瞬静まる。
年寄りたちが、視線を落とす。
誰も反論しない。
さっちゃんは、ペンを置いた。
「ケンジ」
名前を呼ばれて、彼は顔を上げる。
「それね」
さっちゃんは、ゆっくり言った。
「町がピンチの再感染」
ケンジは眉をひそめる。
「再感染?」
「そう。 暴力に暴力で返すとね、
“治りかけ”の町が、もう一度高熱を出すの」
さっちゃんは窓の外を見る。
暗くなり始めた商店街。
「相手はね、殴られることを前提にしてる。
怖がらせて、怒らせて、
『ほら、危ない町でしょ?』って言うために」
ケンジは黙った。
「噂が広がるのも、同じ」
さっちゃんは続ける。
「誰かが悪いって話じゃない。 でも噂は、町を守るふりをして、
先に“希望”を閉店させるの」
その夜。
スナック「たかみや」の前を、
黒い車がゆっくり通り過ぎた。
止まらない。
クラクションも鳴らさない。
ただ、通るだけ。
それだけで、
向かいの店の明かりが消えた。
「あのスナック、狙われてるらしい」
その一言が、
次の日には、町の“常識”になっていた。
鷹宮は、包帯を巻いたまま、
壊れたままの店内に立っていた。
「……殴られてないのに、町が殴られてるな」
背後で、ミツ婆が言う。
「怖いのはな、 手ぇ出される前に、自分で引っ込むことじゃ」
鷹宮は、拳を握った。
そのときだった。
診療所のほうから、さっちゃんが歩いてくるのが見えた。
夜風の中、白衣がゆれる。
「ここからが、本番よ」
彼女は静かに言った。




