第8話 町を守るって、誰のことだ
朝の町内放送は、やけに丁寧だった。
「……町内会長の黒川は、
体調不良のため、職務を――」
最後まで聞かなくても、町はざわついた。
ミツ婆が口を押さえる。
ケンジが新聞を落とす。
誰も「ざまあ」とは言わない。
代わりに出るのは、
「え……」
という、困った声だけだった。
黒川の病気は隠しようがなかった。
検査結果。
過労。
慢性的な高血圧。
放置された持病。
「会長は強い」
「会長は倒れない」
その“前提”が、音を立てて崩れた。
町民は混乱した。
誰が決める?
誰が仕切る?
次は誰が前に立つ?
町を守っていた“役職”が、突然いなくなったから。
ONI FAMILY MEDICAL CENTER。
診察室の椅子に、黒川は座っていた。
背中が、ひどく小さく見える。
さっちゃんはカルテを閉じる。
「……会長」
黒川は苦笑した。
「わしな、
町を守っとるつもりだった」
声がかすれる。
「反対するのも、
締め付けるのも、
全部“町のため”だと思っとった」
沈黙。
さっちゃんは、静かに言った。
「役職は治せません」
黒川の肩がびくっと動く。
「でも、人は治せます」
鬼の赤い目が、まっすぐ向けられる。
「町を守るってね、
自分を削ることじゃないんですよ」
黒川は、長く息を吐いた。
「……わしは、
守られたことがなかった」
初めて出た、弱音だった。
数日後。
町内会の臨時集会。
黒川は、自分の足で立った。
「……わしは、 町内会長を引退する」
ざわめき。
だが、誰も止めなかった。
「守るつもりで、 人を疑って、
自分を壊した」
一礼。
「ありがとう」
それだけだった。
拍手はない。
でも、誰かが深く頷いた。
診療所の前。
黒川は帽子を被り直す。
「鬼医者」
「はい」
「……助けられたのは、
町じゃなくて、
わしだったな」
さっちゃんは、少し照れた。
「そういう日もあります」
黒川は、初めて笑った。
その夜。
町は、少し静かだった。
でも、不思議と不安は、なかった。
役職は倒れた。
でも、人は立ち直った。
それでいい、と町が知った夜だった。
完全敗北。
でも、誰も壊れなかった。




