第5話 逃げた医者、戻る
雨が降っていた。
町の診療所の前。
ONI FAMILY MEDICAL CENTER の看板が、
濡れて少しだけ滲んでいる。
その前に立つ男。
藤堂 恒一
元・町医者。
白衣を脱いで十年。
背中は丸く、目だけが昔のまま。
ミツ婆
「あら……あんた、生きてたのかい」
藤堂
「……はい」
ケンジ
「逃げた医者だ」
声は小さいが、刺さる。
藤堂は何も言わない。
過去。
十年前。この診療所で判断ミス。
救えなかった命。
町は、藤堂を責めた。
藤堂は、自分をもっと責めた。
そして――
町を捨てた。
今。
自動ドアが開く。
ぎい。
中から出てきたのは――
さっちゃん先生。
角あり。
白衣あり。
目、まっすぐ。
さっちゃん
「……久しぶりですね」
藤堂
「俺は……」
言葉が続かない。
藤堂
「俺は医者失格だ」
「逃げた」
「町を捨てた」
雨音が、代わりに喋る。
さっちゃん
「ええ」
即答。
藤堂、顔を上げる。
さっちゃん
「逃げましたね」
藤堂
「……」
さっちゃん
「でも」
一歩、近づく。
さっちゃん
「逃げたままでも、生きてていい」
藤堂
「え?」
さっちゃん
「医者は完璧じゃないといけない、
なんて誰が決めたんです?」
診療所の中。
エリオット、遠くで書類を整理しながら聞いている。
カグヤ、腕を組んで黙っている。
焔丸、姿勢を正す。
全員、聞いている。
さっちゃん
「でも」
声が、少しだけ厳しくなる。
さっちゃん
「戻るなら――」
藤堂、息を呑む。
さっちゃん
「治しなさい」
静かに。
逃げ道のない声。
藤堂
「……俺に、まだ」
さっちゃん
「あります」
即答。
さっちゃん
「泣いた医者は、 もう逃げない」
藤堂の肩が震える。
雨に混じって、
嗚咽。
藤堂
「……すみませんでした」
額が、地面につく。
ミツ婆
「まったく……」
ケンジ
「泣くなよ、余計しんどいだろ」
白石副会長
「腰より重いな、これは」
少し、空気が和らぐ。
さっちゃん
「明日から、来てください」
藤堂
「え?」
さっちゃん
「掃除係から」
藤堂
「……はい」
その夜。
診療所の明かりは、いつもより遅くまで点いていた。
白衣が二枚、並んで揺れている。
さっちゃん(独白)
医者は、逃げる。
でも戻ってこれる。
それだけで、少しだけ世界は治る。




