第3話 役所という名の迷宮
ONI FAMILY MEDICAL CENTER 開業一週間。
診察室は少しずつ賑わいを見せていたが、
その平和は一人の男によって破られる。
スーツ。
無表情。
名札。
田辺(役所職員)
三十代後半。
融通は利かないが、悪人でもない。
田辺
「本日は、医療施設立ち入り確認に参りました」
さっちゃん
「……ああ、ついに来たか」
角が、ぴくっと震える。
診察室奥。
テーブルに置かれる分厚い書類の束。
ドン。
田辺
「まず、こちらですが」
エリオット
「……?」
田辺
「不備が百二枚あります」
さっちゃん
「百?」
エリオット
「“百二”ですか?」
田辺
「はい」
空気が、止まる。
田辺
「まず、鬼族医療免許の様式が旧式です」
「人族と混合診療の場合の例外申請がありません」
「無料診療の継続性に関する前例がなく」
「診療所名称に“鬼”を使う前例がなく」
「前例がありません」
「前例が」
「前例が」
さっちゃん
「……前例前例って」
田辺
「前例がないものは、基本的に認められません」
ミツ婆(待合室)
「前例って何年前の話だい」
さっちゃん、深く息を吸う。
さっちゃん
「……患者は?」
田辺
「制度上は“対象外”です」
さっちゃん
「……」
角が、ゆっくり立つ。
その瞬間。
エリオット
「――失礼」
前に出たのは、エリオットだった。
エリオット
「確認します」
淡々と、しかし正確に。
エリオット
「鬼族医療免許は、三年前の改訂で
“地域医療限定”において簡略化が認められています」
田辺
「……え?」
エリオット
「混合診療の例外申請は、
“命の危機が常態化している地域”では不要」
書類を、一枚一枚指差す。
エリオット
「無料診療は“恒常”ではなく
“開業初期支援”に分類可能」
田辺
「……」
エリオット
「名称問題は、
文化的配慮条項により――問題なし」
さっちゃん
(……始まった)
エリオット、止まらない。
エリオット
「前例がない、という理由は
“否定理由”ではありません」
エリオット
「前例がない場合、
“新しい前例を作る”が正解です」
田辺
「……」
田辺の額に、汗。
沈黙。
田辺、書類を閉じる。
田辺
「……確認します」
数分後。
田辺
「この診療所」
顔を上げる。
田辺
「正しいですね」
待合室、ざわっ。
ミツ婆
「役所が認めたよ!」
ケンジ
「すげぇ!」
田辺
「制度は、守るためにありますが」
少しだけ、声が柔らぐ。
田辺
「人を見捨てるためのものではありません」
さっちゃん
「……ありがとう」
帰り際。
田辺
「一点だけ」
さっちゃん
「?」
田辺
「“鬼”という名前」
一瞬、構える。
田辺
「……覚えやすくて、いいですね」
小さく、笑った。
扉が閉まる。
エリオット
「合法的に殴りました」
さっちゃん
「ええ、完璧だったわ」
白衣を整え、診察室へ。
制度の壁に、
小さなひびが入った音がした。
それはきっと、
町が変わる音だった。




