第1話 鬼医者、町に来る
ONI FAMILY MEDICAL CENTER。
その看板が掲げられた朝、町は静かすぎた。
遠巻きに集まる町民たち。
誰も近づかない。
誰も入らない。
理由はひとつ。
「……鬼、だろ?」
囁くように、しかし確実に広がる不安。
診療所の前で腕を組んで立つ女がいた。
白衣。
長い黒髪。
額から生えた、立派な鬼の角。
さっちゃん先生
元・魔界医療看護専門学校の鬼教師。
鬼族最強クラスの治癒師。
そして今日から、この町の開業医。
本人は静かに待っているつもりだったが、
角はわずかにピクピク動いている。
(……誰も来ない)
内心、ちょっと泣きそう。
「鬼が医者ぁ?
祟られそうだねぇ……」
一番大きな声を出したのは、
町内最古参
ミツ婆
噂と偏見と膝痛を抱えて生きている、
この町の情報ハブ。
「昔はねぇ、鬼なんて――」
「昔話はあと!!」
雷のような声。
さっちゃんが一歩前に出る。
「祟りません!!
診ます!!
治します!!
黙って腰を出しなさい!!」
町民、一斉に後ずさる。
そのとき。
「……ひっ」
前列にいた青年が、
緊張のあまり――
バタッ。
倒れた。
「ケンジ!!」
倒れたのは、
ケンジ
気弱で真面目な町の青年。
噂を真に受けやすく、
心拍数もメンタルも弱い。
「ちょっと誰か――」
「どきなさい!!!」
さっちゃん、即座に駆け寄る。
脈を取る。
魔力を流す。
診断は一瞬。
「……過換気。
緊張性失神。
原因:考えすぎ」
手をかざすと、
淡い治癒光が広がった。
ケンジの顔色が戻る。
「……あ、れ……?」
「倒れる前に来なさい!!!
医者は“怖くなってから”じゃ遅いの!!!」
怒鳴り声。
だが、ケンジは――生きている。
町民、ざわつく。
「……治った?」
「今の、一瞬じゃなかった?」
「祟り、なかったよね?」
ミツ婆が一歩、前に出る。
「……あんた、
本当に医者なのかい」
さっちゃん、少しだけ声を落とす。
「ええ。
治すために来ました」
角は怖い。
声も怖い。
でも、目は真っ直ぐだった。
その様子を、
診療所の奥から見ていた男がいる。
エリオット=ハワード
人間の医療研究者。
理論派。冷静沈着。
さっちゃんの夫。
「……初日は上々だね」
「どこが!!」
さっちゃん、振り向いて叫ぶ。
「誰も来ないし!!
倒れるし!!
町民は遠いし!!」
「でも、助けた」
エリオットは静かに言った。
「それが一番大事だ」
ミツ婆が、ため息をついた。
「……鬼でも、人でも、
命を助けるなら医者だねぇ」
その一言で、
町の空気が、少しだけ変わる。
誰かが言った。
「……腰、痛いんだけど」
「……俺も」
さっちゃん、顔を上げる。
「はい!!
順番に来なさい!!
診察券作ります!!!」
声は相変わらず大きい。
でもその日から、
町には新しい噂が立った。
「怖いけど、効く」
「怒鳴るけど、治る」
「鬼医者だけど、逃げない」
こうして鬼医者は、町に根を下ろし始めた。




