プロローグ 泣き虫鬼医者が開業します。
治癒師は、泣いちゃいけないって。
昔は、本気でそう思ってた。
強くて、冷たくて、
一切の迷いも揺らぎもなくて、
完璧じゃないと命は預かれないって。
患者の前で声を荒げることはあっても、
涙だけは、絶対に見せちゃいけない。
泣いたら、負け。
揺らいだら、失格。
それが、
鬼として生まれた私の、
医者としての“正しさ”だった。
でもね。
子どもを産んで、
初めて抱いたあの重さを知って。
小さな手が、私の指を掴んで離さなくて、
その体温が、怖いくらい脆くて。
「この命が、もし失われたら」って考えただけで、
胸が、張り裂けそうになった。
患者を抱いて、
泣きながら謝られて、
「生きててよかった」って言われて。
何百回も、何千回も、
「大丈夫だよ」って言い続けるうちに、
気づいたの。
泣かない医者より、
泣きながらでも逃げない医者の方が、
ずっと、ずっと強いって。
涙は、弱さじゃない。
怖さを知ってる証拠。
失いたくないと思える証拠。
命の前で震えることを、
私は、恥ずかしいなんて思わなくなった。
今日もまた、
魔界はちょっとだけ不器用で、
ちょっとだけ騒がしくて、
ちょっとだけ優しい。
偏見も、誤解も、文句も山ほどある。
それでも、
「助けて」って声は、必ず届く。
だから私は、
今日も白衣を着る。
角を隠さず、
涙を隠さず、
逃げずに、立つ。
鬼だけど、
母だから。
治すことも、
守ることも、
叱ることも、
全部、私の仕事だから。
さあ、今日も診療開始。
泣き虫鬼医者、
ここにいます。




