第4話 幽霊オルガンの夜
港町レムノンの深夜は、海霧がゆっくりと街灯を飲み込んでいく。
その霧の底、古いジャズバー「ハモンド・クラブ」は、
今夜も客のいないまま、沈黙の海に浮かんでいた。
ルアーナが扉を押し開けた瞬間
店内の空気が震えた。
ぼぉん……
ハモンドオルガンの低音が、心臓の裏を叩くように響いた。
リュカが息をのむ。
「だ、誰も……いないのに……」
鍵盤には誰の手も触れていない。
埃をかぶった古いオルガンは、
音を出せるはずのない故障品だったはずだ。
しかし
キャサリーがいつも弾いていた曲が、
まるで彼女の指が再び踊り出したかのように流れ始める。
哀しみと温もりを抱いた旋律。
無数の夜を、アイゼンと共に過ごした曲。
アイゼンハワードは、
扉の前で立ち尽くしたまま動けなかった。
ルアーナは気づいた。
「……アイゼン。
ねぇ、あなた……泣いてるの?」
その声に、老人の肩が微かに揺れた。
「……泣いてない」
影のような声だった。
でも、その目は赤く濡れていた。
レイヴは黙って天井を見上げた。
彼には“音の中の魂”が、かすかに見えていた。
「まだ終わってねぇな、キャサリー。
俺に何を伝えようとしてるイヒヒヒヒ」
アイゼンが一歩踏み出すと、
オルガンの旋律に混じり
ピッ、ポ…ピッ、ピピ。
金属音のような、不自然な短いノイズが走った。
ルアーナが即座に反応する。
「今の……モールス信号?」
リュカも耳を澄ませる。
「曲のなかに……誰かの“声”が隠れてる……」
レイヴは静かに頷いた。
「キャサリーだ。
この店に残った“最後の響き”に、
自分のメッセージを刻み込んでるかもな」
再びノイズが混じった。
・・- -・・ ・・ -・-・ …
ルアーナが息を呑む。
「読める……これは――」
アイゼンが低く呟いた。
「“探せ”。
“赤い階段の下へ”。」
オルガンの音が、途切れた。
沈黙が店を支配する。
キャサリーは確かにここにいた。
そして今なお
“誰か”に追われながら、アイゼンを導こうとしている。
アイゼンは深く息を吐き、
懐から古いライターを取り出して火を灯した。
「……いいだろう、キャサリー。
最後まで付き合ってやる」
炎がゆらめいた瞬間、
バーの奥の暗闇で“何か”がきしむ音がした。




