番外編2 浮気疑惑には早急に対処しなければならない
「アレン、ちょっとよろしいかしら」
「あ、はい。何でしょうか」
気疲れを感じて帰宅したアレンはルーチェが訪ねて来ていることを知り、砂漠の中でオアシスを見つけたような心地で彼女が持つサロンに入ったのだが、そこは吹雪だった。ソファーに座り、ゆったりとくつろいでお茶を飲んでいるルーチェの向かいに座ったアレンは、張り詰めた空気に居心地の悪さを感じて背筋を伸ばす。
(あれ、なんかルーの機嫌が悪いな。俺、何かしたっけ……)
仕事柄相手の表情と空気を読むのに長けているアレンは、恋人の不機嫌を察知して自分の最近の行動を省みるが思い当たる節はない。
ルーチェはカップをソーサーに置き、テーブルに戻すと氷のような青い瞳をアレンに向けた。
「今日はお仕事だったの?」
「あ、いや。仕事というか頼まれごとをちょっと」
剣の切っ先のような視線に、アレンはゾクリとする。不安が背中に這い上がってきて、急速に頭を回転させて原因を探るがまったく見当がつかなかった。
(え、何!? 今朝の手紙で何かまずいこと書いた? この前贈ったものに何か不具合でもあった!?)
動揺が顔に出ており、それを見たルーチェの表情が陰る。
(やっぱり、隠したいのかしら。でも、こういうのは早い方がいいというし。深みにはまってからでは遅いもの)
これから話すことを考えれば胸がズキリと痛むが、これも婚約者の務めと自分を奮い立たせ、ルーチェは本題を切り出した。
「あのね、実は今日繁華街のカフェにいるアレンを見てしまって」
「……え? あそこにいたの?」
カフェと言われて、アレンは一瞬返答に詰まった。確かにアレンはカフェにいたが、女装姿だったからだ。
(ルー、女装姿でもすぐに俺だってわかってくれたんだ。嬉しい……けど、あの姿を見られたのはちょっと恥ずかしいな)
(あら、否定されるかと思ったけど、あっさり認めたのね。それだけ本気ということ?)
気恥ずかしさと嬉しさから半笑いになっているアレンと、疑念を深めるルーチェ。
アレンは「あはは」と苦笑いに変わり、気まずそうに視線をそらしてお茶をすすった。
「びっくりしたよね。全部終わったら話そうと思ってたんだけど」
「ううん、分かってるわ。アレン様も殿方ですもの」
「え、少し見ただけで分かるの? さすがルー。実は、フレッドからの話でさぁ」
アレンはやっぱり頭がいいなぁと思いながら、気の抜けた表情で甘いクッキーを口に放り込む。疲れた頭には糖分が必要だ。カフェでもケーキを食べていたが、緊張する相手だったのであまり味わえなかったのだ。
ルーチェはおいしそうにクッキーを食べているアレンからカップへと視線を落とした。彼の笑顔に昼間見た、女の子らしい恥ずかしそうな表情が重なって辛くなってくる。
(やっぱり別腹というやつなのかしら。それに、フレッド様が関係していたなんて……。カミラ様から騎士団では同性の恋愛もあると聞いたし、普通のことなの?)
心の中で余裕、余裕と繰り返すが、それに反発するように胸が苦しくなり、黒い感情が渦巻く。
(嫌だわ、アレンを私だけのものにしたい。でも、束縛しすぎると嫌がられちゃうかも……。これが、愛人を持つ妻の気持ちなのね)
嫉妬という感情が、自分がいかにアレンが大好きなのかを教えてくれる。本当は泣いて、私だけを見てと縋り付きたい。だが、それは婚約者としての矜持が許さない。
一方のアレンは突然ルーチェが黙り込んだので、心配そうに視線を投げかけていた。顔を上げたルーチェと目が合い、「大丈夫?」と口にしたところに言葉が重なる。
「アレン、彼を愛人として認めるけど、第一夫人は私だからね」
「……へ?」
ぽかんと間の抜けた顔を晒すアレンに、ルーチェは畳みかける。
「アレンの好みは否定しないわ。だって、私ではあの貫禄は出せないもの。でも、でもね。私気持ちでは彼に負けていないし、婚約者の座は渡さないから!」
一息で言い切ったルーチェの目は潤んでおり、対するアレンは衝撃が大きすぎて内容を理解するのに時間を要していた。
「……ん? え。ど、どういうこと?」
「覚悟はできてるから。今度、彼と三人でそれぞれの役割について話しましょ」
「待って? 色々待って? ルー、なんかおかしい。絶対勘違いしてるって! ちょっと落ち着いて話そうか!」
アレンはここにきてようやく、重大なボタンのかけちがいが起きていることに気付いた。ルーチェもアレンの反応から、「あら」と思考が立ち止まる。この驚きと慌てようは、隠そうとしているものではなく、本当に身に覚えがなさそうだからだ。
「もしかして、浮気じゃなかったんですか?」
「誰と!? え、昼間の男? なんで!?」
目を剥いて驚愕しているアレンに、ようやく勘違いだったということに気付いたルーチェは、恥ずかしさから耳が赤くなる。
「俺が浮気すると思ったの? あれは、結婚詐欺の男を引っかけてたんだよ。あの後、周辺で張っていたフレッドと一緒に捕まえたからね?」
巷で問題になっていた結婚詐欺師を捕まえるということで、身の危険もあるためフレッドがアレンに囮役を頼み込んだのだ。
「そ、そうだったの……。ごめんなさい。てっきり女装して、男の人に目覚めたのかと」
完全に思い込みで暴走していたと分かり、ルーチェはしどろもどろになる。
「ルー……。俺、泣くよ? けっこう頑張って愛情を伝えてきたんだけどなぁ」
肩を落として落ち込んでいるアレンに、ルーチェは申し訳なくなって身を小さくしていいた。
「本当にごめんなさい」
アレンは反省しきりのルーチェが忍びなくなってきて、隣に移動すると肩を抱き寄せた。
「いいよ。さっき、婚約者の座は渡さないって言ってたの、嬉しかった。俺のこと愛してくれてるんだなぁって。絶対浮気なんてしないから、安心して」
ルーチェの胸には安堵が広がっており、いっそうアレンへの愛しさが増す。
「うん、アレン、愛してるわ」
「俺もだよ」
アレンはルーチェの頬に軽くキスをし、にこりと笑った。可愛い笑顔のまま、怒りのこもった低い声をだす。
「けど、いらぬ誤解を生んだ原因のフレッドには鉄拳制裁入れてくるわ」
「あ、いえ。これは私のせいですし、フレッド様は何も……」
「いや、あいつ俺の女装に詐欺師が騙されて喚き散らしていたのを見て笑い転げてたし、思い出したら腹立ってきたからやっぱぶん殴る」
ルーチェはいつものアレンとフレッドのやりとりが目に浮かび、小さく笑った。そしてふと思い出す。
「そういえば、今日の女装も素敵だったわ。清楚な感じもいいわね」
「あ~……。あれ、ルーのイメージなんだよね。銀髪のストレートだったでしょ? あと、力をもらうためにもらった中でもお気に入りのドレスを着てた」
頬をかいて照れた表情を浮かべるアレンが可愛すぎて、ルーチェの顔がぱぁっと輝く。
「今度、新しい雰囲気にも挑戦しましょ! アレン様の可愛さは無限だわ!」
愛しさが爆発し、ルーチェはアレンに抱き着く。それをしっかり抱きしめ、頭を撫でるアレン。いつもの甘い二人の雰囲気へと戻っていくのであった。
後日、一発鳩尾に入れられた後、浮気疑惑の経緯を聞かされたフレッドはアレンの前では腹を抱えて笑って数発追加され、さらに後日、ルーチェには平身低頭謝るのだが、それはまた別の話。




