44.女装せずに想い人と妹と話す
計画が仕上がるとカミラは一足先に帰り、フレッドも「またな」と勝手に帰って行った。ルーチェが乗ってきた馬車は馬を休ませるために厩舎に入れたらしく、準備に時間がかかるため相手をミアに任せて小部屋で休んでもらっていた。アレンは諸々の手配をダリスと確認した後、少しでもルーチェとの仲を深めようと二人がいる小部屋に向かった。
部屋に近づくと開け放たれたドアから、賑やかな声が漏れ聞こえてきて頬が緩む。ルーチェがブルーム家にいて、妹と話しているだけでどうしようもなく嬉しく、愛おしさがこみ上げるのだ。
「ルーチェ様も観劇をされるのですね。今度ご一緒しませんか?」
「もちろん、行きましょ。ミアちゃんのおすすめが観たいわ」
声が弾んでおり、ルーチェの口調が砕けたものになっていた。さすが女性同士は打ち解けるのが早いなと思いながら部屋を覗き込んだアレンは、予期せぬ光景に心臓が潰れるかと思った。ソファーに座るルーチェの隣でミアがべったりとくっついていたのだ。互いに顔を向けて笑いながら話している二人が輝いて見え、心臓は走り込んだ後のように早鐘を打っている。
(え、天国? 可愛い天使と好きな人が一緒にいるとか……幸せすぎる)
今すぐここに画家を呼んで、肖像画にしてほしいぐらいだった。アレンは声をかけるのも忘れて、その光景を目に焼き付けていた。
「あら、お兄ちゃん。そんなところで何してるの?」
すぐにミアに気付かれ、アレンは笑ってごまかしながら部屋に入る。
「いや、楽しそうだったから邪魔しちゃ悪いかなって」
アレンがテーブルを挟んだ向かいに座ると、ミアはうふふと嬉しそうに唇で弧を描いた。
「ルーチェ様、すっごく素敵なの。髪の毛もサラサラでお肌もつやつやなのよ。深窓のご令嬢って感じなのに、剣の腕も強いなんてすごいわ」
(何それ羨ましい。俺も髪とか頬とかに触れてみたい!)
同性の距離の近さに、今だけは女装して変わってほしくなるアレンだ。思考が暴走し始めたところで、ハッと我に返って冷静になる。
(いや、女装して側にいたところで、ドキドキしすぎて触れないな)
冷静にはなりきれていなかった。荒波のようなアレンの心は、ルーチェに視線を向けられたことでさらに激しくなる。
「アレン様がミアちゃんを大切にするのも分かりますわ。こんなに可愛くて純粋なら、心配でたまりませんもの」
「ミアはまだ社交デビューもしてなくて友達が少ないから、仲良くしてくれると嬉しいよ」
ミアと仲良くなれば自分と会う機会も増え、ブルーム家に呼んでも来てくれそうだという打算もあるが、心からの願いだった。その言葉にルーチェは眉尻を下げて、物悲しそうに微笑む。
「私も友達と呼べる人はいないので、ミアちゃんが仲良くしてくれると嬉しいですわ」
美しい人が物憂げに微笑むのは、面食い二人にとっては劇物である。
「ルーチェ様、私はすでにお友達ですわ! 何かあったらすぐに呼んでくださいませ!」
と、ミアはルーチェの手を両手で取って握りしめ、
「俺ももう友達だと思ってるし、小癪だけどフレッドも気はいいから友達に数えてもいいと思う!」
とアレンも友達に名乗りを上げた。本当は友達に以上になりたいが、ひとまずルーチェに存在を受け入れてもらうのを優先した。二人の勢いにルーチェは面を食らったが、すぐに破顔し握られていない方の手を口元に当てて小さく笑う。
「そうね。私も友達と呼びたいわ」
その笑顔はアレンを引き付け、心臓が高鳴る。ずっと眺めていたい。もっと言葉を交わして、彼女のことを知りたいと思ったところに、小間使いが馬車の用意ができたことを伝えに来た。同時にミアが母親に呼ばれていることも伝えたため、ミアは別れの挨拶をし、アレンがルーチェをエスコートして玄関まで送ることになった。他愛のない話をしながら廊下を進む。
「妹はちょっと元気すぎるところがあるけど、失礼はなかった?」
「ありませんわ。とても可愛くて、私の方こそ失礼して抱きしめたくなりましたわ」
「きっと喜ぶから、してあげてよ」
小さい時から甘えん坊で、よく母親の膝に乗って抱き着いていたミアを思い出す。妹に感じる愛おしさと、手袋ごしに伝わる熱に感じる愛おしさはまた別であり、このまま握って離したくないと思ってしまう。
(なんとか、デートに誘えないかな)
この後お礼の手紙を書くつもりなので、そこで誘ってもいいのだが、やはり直接言いたい。
(計画を話すためだったら、自然?)
理由を脳内で作るがいい切り出しを思いつかず、気づけば玄関まで来ていた。ルーチェがアレンの手から離れ、挨拶をする。
「アレン様、今日はお招きくださりありがとうございました。皆様と出会えたこの日を一生忘れませんわ」
その言葉一つで、アレンの心には喜びの花が咲き乱れる。
「俺も忘れないよ。計画、絶対成功させような」
「はい! あ、えっと……それで、なんですが」
小気味よく返事をしたルーチェだったが、アレンをじっと見つめると気恥ずかしそうに言葉を続けようとした。
(あれ、もしかしてルーチェ嬢の方からお誘いしてくれる感じ!?)
恥じらい、そわそわと落ち着かないルーチェにぐぐっと期待するアレン。言葉を待とうとするが、ハッと重大なことに気付く。
(いや、ここは俺から誘わないと、男らしくないだろ!)
だが誘い文句を口にするより前に、頬を朱に染めたルーチェの言葉が耳に届く。
「ミアちゃんをお茶に誘ってもよろしいでしょうか!」
アレンは期待が空振りして足元から崩れるかと思った。勘違いした自分が急激に恥ずかしくなり、顔から火が出そうだ。
「え……ミア?」
ルーチェは照れくささを隠したいのか両手の指を組み遊ばせている。
「その、前にアレン様の女装姿が可愛いいとお話したと思うんですが、今日本物のミアちゃんを見たら、可愛すぎてもっとおしゃべりして、仕立て屋にも行って可愛いドレスをたくさん着せてあげたくなったんです!」
今まで話した中で一番ではないかと思うほどの熱量で訴えられ、アレンは頷くしかない。思わず本音が漏れる。
「俺も見たい」
天使を彩るドレスにはアレンもうるさい。
「はい! 一緒に選びましょう!」
そして近いうちにお茶をする約束をし、玄関口の馬車までルーチェを見送ったアレンは遠ざかっていく馬車を眺めながらポツリと呟く。
「俺、ミアに負けてる?」
いい感じに距離を縮められていると思っていたのに、後から来た可愛い妹に全てをかっさらわれた。兄として悔しがるべきか喜ぶべきか複雑だ。
(まあいいや、次頑張ろ)
できる兄として最初は妹に譲ろうと思いながら玄関に戻ると、母親の用事を済ませたミアがいた。
「残念、見送りたかったのに間に合わなかったわ」
「近いうちにお茶をする約束をしたから会えるよ」
「本当!? 嬉しい!」
にこにこと満面の笑みを零すミアを見ていると、悔しさも吹き飛ぶ。だが、次の一言で思考も吹き飛んだ。
「お兄ちゃん、ルーチェ様が好きなんでしょ? 私、ルーチェ様をお義姉様って呼びたいから頑張ってね!」
言いたいことだけ言ったミアは、よろしくねと軽く手を振って部屋の方へと進んでいく。後に残されたアレンは、妹に恋心を感づかれたショックでしばらく動けずにいたのだった。




