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38.男装/女装の理由を話します(後)

 だがアレンが言葉を返そうとした瞬間、ルーチェにその微笑を向けられた。


「心配してくれてありがとうございます。アレン様はお優しいですね」


 それは張り付けられたいい子の笑顔で、アレンは息が止まる。モヤモヤの正体が分かって、じわじわと怒りに変わった。


「なんで、隠すんだよ……」


 声に怒気が混じり、人の気配に敏感なルーチェの肩が小さく跳ねる。それでも崩さない微笑に、アレンはますます苛立った。自分が我慢すればいいんだと、諦めて理不尽な扱いを受け入れていることに腹が立った。身代わりになっているのも、兄の不始末をなんとか片付けようとするのも、アレンが嫌だったのだ。


「前に、ライアンのことクズって言ってたじゃん。それなら、もっと怒れよ。嫌なら嫌って言えよ!」


 ルーチェはこれ以上話すと苦しいから、笑顔で覆い隠して話を終わらせようとしたのだ。それを見透かされて、いい子の仮面に罅が入る。それでも出てくる言葉は、何度も自分に言い聞かせたもの。


「だって、怒ったって無駄で、私が我慢すればうまくいくもの。私、こういうの得意だから大丈夫です」


 そうやって過ごしてきた。ルーチェがライアンとしてうまく立ち振る舞えば、被害は最小限で済み、両親にも迷惑がかからない。一人部屋でうさぎのぬいぐるみを胸に抱き、そう言い聞かせてきた。無理やりつくった笑顔が痛い。心が痛い。崩れかける。


「我慢って……」


 アレンは怒鳴りたくなるのをぐっと堪えた。ここで追い詰めたら、もう一生心を開いてくれない気がしたからだ。知らぬうちに両手は拳を握っていて、掌に食い込む爪が痛い。その手をゆっくりと開き、右手をルーチェの左手に重ねた。彼女の手は震えていて、ぎゅっと力を入れて包み込む。


「本当に? それが、ルーチェ嬢の、ルーチェの気持ち?」


(私の、気持ち?)


 すっと、渦巻く感情に切り込みを入れられた気がした。自分の気持ちは押さえつけて、隠して、見せないもので。涙も、泣き声も、一人の時に出すもので。その黒いものに目を向けてしまえば、もう逃れられない。その感情を言葉にしようとすれば、喉が締まり、唇が震える。だけど、ルーチェを応援するように握られた手から伝わる熱が温かくて、優しくて、自然と涙に押し流されるように言葉が零れた。


「……嫌、です」

「うん、そうだよね」


 たった一言。アレンの頷きが、自分の気持ちを受け入れてもらえたかのようで、ルーチェの涙は堰を切ったようにあふれ出す。ぽとぽと、アレンの甲に涙が落ちた。


「私、ライアンの我儘に振り回されて嫌だった。子供の時から、ずっと私の邪魔をして、侍女も、お母様も、お父様も、ライアンばっかり見てっ」


 本当はルーチェだって、両親に甘えて我儘を言いたかった。

 しゃくりを上げて、それでも懸命に気持ちを言葉にしようとする。涙を空いている右手で擦るように拭う様子は子供のようで、アレンは胸が締め付けられた。なんだかこちらまで泣けてくる。


「私、ライアンの代わりじゃないのに……。いいように使われているのが、嫌で、でも、それを断れない私も嫌いなの」

「うん……」

「だって、お母様たちの役に、立ちたかったんだもの。少しでも、手助けしたかったの」


 涙で濡れた声で、時たま堪えきれないように嗚咽が混じる。ルーチェはズボンに皺が付くほど強く握りしめていた。積もり積もった思いが涙に溶けて流れていく。怒り、羨ましさ、諦め、卑屈さ、悲観。様々な感情が入り乱れ、絡み合う。


「ライアンが大変だから、私はいい子でいなきゃって……思ったの」


(優しすぎる、いい子過ぎるよ!)


 聞けば聞くほどルーチェの境遇が可愛そうで、クズ兄への怒りが燃え上がる。陥れようとしていた相手がルーチェだと気づいた時から、衆目の前での婚約破棄は止めようと思っていたのだが、黙っていられない。


「ねぇ、ルーチェ嬢。このままでいいのか? クズにやり返したくない?」


 ルーチェの口が、「やり返す」と小さく動いた。初めて聞いた言葉のような反応で、今まで考えたことがなかったのだ。激しく渦巻く感情に出口が与えられ、やがて一つの思いを形づくる。


「……悔しいです。あの腹立つ、人を馬鹿にした笑顔を浮かべるライアンの顔を引っぱたいて、鳩尾に拳を入れてやりたいです」


 思ったより具体的な鉄拳制裁が返って来て、アレンはそうだ隠れ武闘派だったと鍛えられた剣術の腕を思い出す。ルーチェの涙は止まっていて、意志の強い青色の瞳がアレンの視線を真正面から受け止めていた。


「じゃあさ、俺たちに協力してよ。いや、むしろ俺たちが協力する。実は、あのクズをひどくフッてやるつもりで、計画を進めてたんだ。だから、ルーチェ嬢もそこで思ってることを全部あいつにぶつけたらいいよ」

「それは……楽しそうですね」

「だろ? 妹のミアと、俺の友達が計画に加わっているから、明日にでも話そう。そんで、あいつを再起不能になるまで叩きのめす!」


 アレンは拳を掌でパァンと打ち鳴らし、ニィッと口角を上げた。その不敵な笑い方に、ルーチェもつられて笑顔になる。


「俺、ルーチェ嬢には笑顔でいてほしいんだ。だから、一緒にあのクズを倒そう」


 アレンは手を差し出し満面の笑みを浮かべる。その手を、気恥ずかしそうなルーチェが握った。



 最初、薔薇が咲き誇る庭園でルーチェが跪いて差し出した手を、アレンが取ってしまったところから全てが始まった。それが今は同じ目標に向かう、同士の握手に変わる。二人の空気は春の木漏れ日のように暖かく、二人はしばらくその心地よさに浸った。



 その甘い空気を壊したのは、ドアがノックされる音だった。給仕は壁から来るのにと訝しく思いながらカツラを被りなおしたルーチェがドアを開ける。念のためアレンもカツラを被った。要件を聞いたルーチェは、「あっ」と短く声を上げて肩越しにアレンを見る。


「侍女を待たせていたんだった。そっちも、従者が待っているって」

「あ、時間が過ぎていますわ」


 アレンは口元に手を当て、裏声で話す。一瞬でミア嬢になっており、ルーチェは目を丸くした。先ほどまでのアレンが幻だったようだ。


「そろそろ出ようか。明日もあるし」

「そう……いえ、二人を呼んでもらいましょう。彼は事情も知っているので伝えたいですわ」

「あ~、それはこちらもだ。じゃあ、呼んでもらうよ」


 ルーチェはその旨を連絡と案内をしている女性に伝えた。ほどなくして、ヴェラとダリスが案内され部屋に入った二人は一緒に連れてこられた相手を不思議そうに見やってから、それぞれの主人に顔を向ける。頭の上には疑問符が並び、どういうことだと目が訴えかけていた。


 ルーチェとアレンは二人と向かい合って立っており、一度視線を交わすと頷き合う。ルーチェがまず口を開いた。


「ライアン・オルコット改め、ルーチェ・オルコットです」


 女性らしい柔らかく少し高い声で名を告げれば、ヴェラは「ルーチェ様!?」と驚き、ダリスは首を傾げた。ヴェラからすれば、主人が自分の正体を明かし首を絞めるようなことをしたことが信じられず、ダリスからすれば知らない声に情報が耳を素通りしたのだ。

 二人が口を開くより先に、次はアレンが地声で話した。


「ミア・ブルーム改め、アレン・ブルームだ」


 そして、この方が早いと理解が追い付いていない二人に、ルーチェとアレンはカツラを外して正体を見せたのだった。それを見た二人は卒倒しなかったのが奇跡だと後に訴えられるほど白目を剥いていた。だがそこは有能な侍女と従者。数秒で理解は置いといて事実を飲み込むと、おずおずと確認する。


「つまり、ミア様はお兄様のアレン様だったと……」

「ライアン様だと思っていたのは、妹様のルーチェ様……」


 信じがたいのだろう。二人の視線は主人の隣、男装、女装だと知った相手に向き、上から下まで往復した。その後、隣に立つ存在へと移る。先に言葉を発したのはダリスだ。


「あの、男装は貴女が?」

「あ、はい。では、女装は貴方が……?」


 ダリスが頷くと、二人は同時に手を伸ばしてがっちりと握手した。これには主人たちの方が驚く。


「すばらしい補整と化粧です! ぜひご教授を!」

「こちらこそ、あの自然な補整技術と化粧道具を教えてください!」


 扮装を手伝ったものどうし感じるものがあるのか二人は意気投合し、主人の方が時間つぶしに小腹を満たすのを兼ねてケーキを注文しておしゃべりをするという、奇妙な構図ができあがったのだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] ルーチェにはぜひパンプキンプリンとキャロットケーキをたっぷりのオレンジジュースで 涙には必要です。そして、うんと泣いてね
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