35.女装せずに参加した夜会で……
◇◇◇
アレンは手紙でオルコット伯爵令嬢もこの夜会に参加すると知っていたため、広間に入り主催への挨拶を終わらせた後はドアの近くでその姿を探していた。一通り見回してまだかなと思った時、オルコットの名を告げる声がして視線を向ける。
(わぁ、さすが絵になるな)
美人の兄妹はシャンデリアの輝きを受けてさらに美しく見える。今までは兄の方に視線を奪われていたが、今日は最初からルーチェを見ていた。彼女は兄にエスコートをされ、やや視線を下にして歩いている。逆に女たらしの方は辺りに笑顔を振りまき手を振っているので、自然と皆の視線はそちらに向かう。
(あ~、だからルーチェ嬢が記憶になかったのか)
彼女はいつもああやって、極力存在を消しているのだろう。背負って来た苦労が感じ取れて、アレンは心苦しくなった。それと同時に、妹の様子には一切目もくれない女たらしの横っ面をひっぱたきたくなる。
そして二人は主催への挨拶を終えると、ダンスをすることもなく別れた。
(仲が悪いというか、距離があるというか……)
ミアにあんな態度を取られたら、アレンなら丸一日寝込みそうだ。彼女は誰とも話すことなく、壁際のソファーに座った。さりげなく辺りに視線を巡らせていて、探してくれているのかなと嬉しくなる。そして目が合った瞬間、心臓がキュッと掴まれたようで、頬に朱が差す。
(あ~、だめだわ。間違いないやつ)
正直ここに来るまでは、実は勘違いなんじゃないかと思ったこともあった。だが、心は正直に体を反応させる。気恥ずかしさから微笑み、近づいていった時背後から声をかけられた。
「お、アレンじゃん。やっぱ来てたな」
「フレッド……お前」
「え、何怒ってるの?」
うきうきとしていた気分を一気に台無しにされ、アレンは腐れ縁の友達を睨みつける。
「別に……今日はまた誰かの代わり?」
「いや、もうすぐ決行日だから、対象の顔をしっかり拝んどこうと思ってよ」
ニタリと人の悪い笑みにつられて、アレンも笑う。令嬢たちの声かけも終わり、女たらしも誘った婚約破棄の日は六日後に迫っていた。フレッドには肩に腕を回してきて、耳元に顔を近づける。
「お前の女装姿が見られるの、また楽しみにしてっからな」
思わず手が出そうになったが、足を踏みつけるだけにしておいた。ルーチェに見られているかもしれないと思えば、乱暴なことはできない。その後二三言葉を交わし、手を挙げて別れてやっとルーチェの所にいけると思ったところに、ファンファーレが鳴り響いた。
(え? 王族が来る予定ってあったけ)
その場合は事前にダリスが教えてくれるので、急遽参加が決まったのかもしれない。アレンは足を止め、礼をするために体を開け放たれた大きな扉の方へと向ける。だが告げられた西の第二王女の名に、なぜ? と頭の上に疑問符が出た。周りも同様で、頭を下げながら近くの人と目で問いかけあっている。
そして再び歓談の雰囲気になったのでルーチェに近づいていたら、視界の端に銀色が映った。思わず意識を取られた先にいたのは兄の方で、彼にしては珍しく人目を避けるように歩いていた。だが、何をしていても目立つのがライアン・オルコットという男だ。
(あいつ、何やってんの?)
こんな兄だから妹が苦労するんだとルーチェの方を見れば、険しい表情をしていた。そしてそこに王女が声をかけたことで、またアレンは足を止める。ちょうど二人がよく見える位置におり、立ち止まったライアンは胸に手を当てて挨拶をしていた。ため息が出るほど美しい所作だ。
(怪我、大丈夫……ん?)
いつもは顔に目が行っていたが、今日は昨日のこともあって胸に当てられた右手を見ていた。血は止めたが医者ではないので、ひどくなっていたら嫌だったからだ。
(え? 傷がない? まさか、一日で治るなんてことある?)
剣を握っていた右手の人差し指の付け根に切り傷があるはずなのに、彼の手にはない。アレンの耳には目の前で繰り広げられている王女との会話は素通りしており、ひたすらその手を見ていた。ざわざわと胸が騒ぎ、違和感が強くなる。
(おかしくない? なんで傷がないんだよ。というか、あの手、きれいすぎないか? 剣ダコもない……は?)
下ろされている手から少し見えている掌は剣の鍛錬をしている人の手ではない。アレンは何度もミアとして彼の鍛えた手を見ていた。昨日はそれを握り、皮の厚さまで感じていた。心臓は嫌な鳴り方をしている。体の芯が冷えていき、背中にじわりと汗が滲んだ。よく見れば、筋肉の付き方も違う。今までは遠目に見ていたから気が付かなかったのだ。
(こいつ……違う。いや、俺が会っていたほうが違う? なぜ? いつから? いや、……誰?)
直感が別人であることを告げた。そこから一気に疑問が押し寄せる。恐怖に足を掴まれたようで、一歩も動けなかった。誰、と心の中で呟き、顔は吸い寄せられるように双子の妹、ルーチェ・オルコットの方へと向いた。可能なのは、彼女しかいない。
ルーチェは何かに驚いているようで、カップを片手に固まっていた。その様子にまた直感が違和感という名の警鐘を鳴らす。
(ルーチェ嬢の利き手って、右だよな。なんで左で? ……まさか、そんな)
繋がってほしくないのに、繋がってしまう。女性にしては高い身長。手袋で掌は見えず、腕も膨らんだドレスの袖で隠されて見えないが、歩いている様子や身のこなしは弱弱しい感じがしない。
外の声が何も入ってこない。目の前が真っ暗になった。裏切られたような気がして、寒さを感じる。
(騙された? ……いや、違う。ルーチェ嬢はそんなことをする人じゃない。きっと、何か理由があるんだ)
そう信じられるほど、言葉を交わし手紙のやり取りをするルーチェは心優しく、誠実な人だった。何より、好きになった人を疑いたくはない。そして次に頭に浮かぶのは、ならば何故という疑問だ。アレンは高速で頭を回転させ、手元にある情報から答えを導き出す。
(そういや、前の茶会でライアンの代わりにされたことがあるって……まさかあれって、そのまま身代わりになったってことか!?)
あの完成度の高さならば、誰も中身がルーチェだとは気づかないだろう。目の前のクズは王女に腕を組まれており、その身勝手さと浅はかさに反吐が出る。
(あの慣れた感じだと、あれが初めてじゃない……。ルーチェ嬢は、今までどんだけこのクズのために身を削ってきたんだよ)
知らないうちに拳を強く握りしめていて、爪が食い込んだ掌が痛い。アレンもミアのために女装をしてなりきろうと努力したから分かる。異性の立ち振る舞いをするのは並大抵の努力ではできず、辛いものだ。
今なら、ルーチェが扮していたライアンが申し訳なさそうな顔をし、何かを言いたげにしていたのかも理解できる。あれは、アレンが扮したミアの思いを断ろうとしていたのだ。苦しかったから、泣きそうな顔をしていたのだ。
(なんで、もっと早く気づいてあげられなかったんだ……。惚れさせて嵌めてやろうなんて、バカなことをしてしまった)
強い後悔に襲われたところで、ハッとルーチェがソファーにいないことに気が付いた。慌てて辺りを見回せば、ライアンへと近づいて来ている彼女を見つける。心配そうな顔をしており、その際限のない優しさに怒りから歯を食いしばる。
(なんであのクズを助けようとすんだよ。ほっとけばいいだろ、あんな奴! 一番被害を受けていて、一番怒らないといけない人のはずなのに!)
そして激情に身を任せ、ルーチェを止めようと一歩踏み出した時、彼女が口を開いた。だが聞こえたのは別の大きな声で、驚いて振り返れば赤い髪を後ろで束ねた女騎士がいた。
(カミラ近衛騎士?)
フレッドから名前と逸話は何度も聞いていたが、間近で見たことはほとんどない。何より彼女が王妃の側を離れて夜会にいることが珍しいのだ。話を聞いていると、どうも王妃殿下の使いとして来たようで、彼女のおかげでルーチェがいらない注目を浴びずに済んだ。
その後、ライアンと王女とのやり取りがあり、王女はカミラ騎士と共に出て行った。すぐにオルコット兄妹も広間を後にする。去り際にルーチェと目が合ったが、声はかけられなかった。言いたいことも、聞きたいこともたくさんある。
(手紙を書いて、会おう。それで、正直に全て話そう)
きっと心優しい彼女は、今の状況に思い悩んでいるだろう。ここまで引き伸ばしたのはアレンだ。そして、騒動の中心人物が出て行った後、憶測や悪口が飛び交う中アレンはフレッドに最終舞台の一時保留を告げたのだった。目を見開いて「どういうことだ」と詰め寄るフレッドに、「確認することができた。詳細は追って伝える」とだけ言い残し、アレンは急かされたように屋敷へと戻るのである。




