33.男装したせいで/女装したおかげで
◆◆◆
ルーチェは馬車で屋敷に戻ると、ヴェラに着替えを手伝ってもらいながら両親の予定について聞いた。一刻も早く、話がしたい。
「申し上げにくいのですが、旦那様と奥様は先ほど領地にお戻りになりました」
「え、なんで?」
社交シーズンの盛りに両親が領地に戻ることはほとんどなかったのにと、ルーチェは目を丸くした。自分の間の悪さが呪わしくなる。
「それが、例の密売人の組織がそこそこ大きかったようで、領地の方で大量の武器が見つかったんです。その対応のために出向かれました」
「そんな……。お父様が行くのは分かるけど、どうしてお母様も?」
母親は普段領地の経営に関わることはなかったので、疑問に思う。この際、両親がそろっていなくてもいいから、話してしまいたかった。ヴェラはルーチェの問いにどう答えていいか困ったようで、少し間が空く。
「その、旦那様のサポートをするそうです。奥様の方が顔が利く部分もございますので」
ヴェラにしては珍しく歯切れが悪い言い方だとは思ったが、ルーチェはそれ以上追及せずにソファーに座る。いつも置いてあるウサギのぬいぐるみが少し揺れた。ゆったりとしたドレスを着れば、やっと日常に戻れた気がする。温かいハーブティーが疲れた体に染み渡った。
「お話をしたかったのは、その怪我と関係があるのですか?」
もう血は止まっているが、隠し通せるはずもなくルーチェはコクリと頷く。指を動かせばひりつくので、カップは反対の手で持っている。
「お父様たちが対応に行った、武器の密売人たちに襲われたのよ。ライアンを捕まえて、他国に売り飛ばすつもりだったらしいわ。あ、ライアンは無事?」
「そんな……ライアン様は、お屋敷にいらっしゃいますが……。すぐに知らせます」
ヴェラは顔色を変え、小間使いを呼んで領地に向かっている当主たちに早馬を飛ばした。そして戻って来たヴェラは、指を動かして痛がっているルーチェを見て眉間に皺を寄せる。
「また無茶をして、大怪我をしたらどうするつもりだったんですか。奥様がお戻りになったら、叱ってもらいますからね」
「え、まさかこのことも伝えたの? 指を少し切っただけなのに!」
母親の叱責は迫力があって恐ろしいのだ。ルーチェが剣術をすることを快く思わなかった母は、傷を見つけると目くじらを立てていた。
「もちろんです。どんな傷でも、令嬢にとっては望ましくないものですよ」
「別に、手の傷なんて手袋をしていれば見えないじゃない……」
それこそ母親は四六時中網目の細かいレースの手袋をしていた。淑女の身だしなみと母は言うが、家の中まで手袋をつけるのはルーチェは嫌だった。
そしてお茶をすすりながら、ヴェラから詳しい今の状況を聞く。それによると、領地で大量の武器が見つかったことで、領民の反乱を促されたり、王家への謀反の疑いがかけられたりする危険性があるらしい。このことは王宮に報告済みで、オルコット家に嫌疑がかけられることはなさそうだが、領内に密売人の組織が潜んでいる可能性が高いという。ついでにと、ヴェラはライアンのことも教えてくれた。
「西の王妃から毎日手紙が来ていて、返答の催促状も来ているらしいです。そちらは領地のことを理由に先延ばしができそうとおっしゃっていましたが……」
家の中も外も頭が痛い問題が転がっており、ルーチェは深々とため息をついた。そこに自分の問題もあるのだから、両親に申し訳なくなる。
(どうしよう……手紙で書ける内容じゃないし)
こうも思い通りにいかないのかと、嘆かわしくなってくる。
「お父様たちはいつぐらいに帰ってくるの?」
沈んでいるルーチェに、ヴェラはさらに申し訳なさそうな顔をして口を開く。
「早くて三日、遅ければもっとかかるかもと。そして、その間お二方が出席される予定だった重要な社交の場に、ライアン様とルーチェ様に出ていただきたいと……」
すでに精神力が限界を迎えているルーチェは、悲壮な顔になった。
「私も、領地に帰りたい……」
「お気持ちはわかりますが……。すでに明日、夜会の予定が入っております」
「そんな……」
「ライアン様もご一緒です」
情報の追い打ちが続き、打ちのめされたルーチェはそのまま横に倒れ込んだ。手を伸ばしてウサギのぬいぐるみを引き寄せ、抱きしめる。
「ちょっと、一人にして……」
横になれば疲労が一気に押し寄せてきて、ルーチェは目を閉じた。もう無理だ。何も考えたくない。ドアが開く音がし、ヴェラが出て行った。
(なんで、こうなるのよ……)
ただ穏便に過ごせればよかったのに、男装をし、そしてミア嬢に会ってから事態は悪化を続けている。
(全部、ライアンのせいじゃない)
胸の奥がぐちゃぐちゃで苦しい。涙があふれてきて、滑り落ちていく。声を出さないように、喉を絞めてルーチェはただ涙を流した。そのまま眠りにつくまで、静かで虚しい時間が過ぎていった。
◇◇◇
屋敷に戻ったアレンが恐る恐るカツラを外せば、髪は思ったより抜けておらず胸をなでおろす。束で挟んでいたのが功を奏したようだが、ダリスに頭皮が赤くなっていると言われて少し落ちこんだ。頭皮にいいと髪がふさふさの父親が使っている保湿水をつけてもらい、アレンはソファーに座って一休みをする。紅茶を飲みながら今日あった事件を話せば、いつも落ち着いているダリスも顔を青くした。
「無事なだけよかったですね……。実は、先程商会の伝手からオルコット伯爵領で大量の武器が見つかったと来ていて、どうやら以前摘発された密売組織が絡んでいるそうです」
「え、大事じゃん。ルーチェ嬢は無事なの? あいつのように襲われるかもしれない」
てっきりライアン個人の問題かと思っていたら、規模が大きいようで急激に不安になる。
「今のところ、ご令嬢に何かあったという話は聞いておりませんが……」
商会の情報網は強力だ。そこから話がないということは無事だろうとホッとする。それが顔に出ていたようで、ダリスがニマニマと楽しそうな笑みを浮かべた。
「ご心配ならお手紙を差し上げたらどうですか?」
「は? 何だよ急に」
そのフレッドを思い起こさせる笑みに嫌なものを感じて、アレンは不機嫌な声を出す。ダリスはアレンのカップにお代わりの紅茶を注ぎ、蜂蜜を入れてから生温かい目を向けた。
「オルコット伯爵令嬢を好ましく思っているんでしょう? バレバレですよ」
そう指摘されたアレンの顔が真っ赤になり、思わず立ち上がって「ばっ」と叫びそうになってから、すぐに腰を下ろした。頭を抱えてうずくまっているアレンは恥ずかしくて顔が上げられない。代わりに蚊のような細い声が出た。
「い、いつから……」
「そんなの、オルコット伯爵令嬢に会ったと話した時からですよ。何度ミア様にポロっと話しそうになったか。さっさと行動に移しましょうよ」
遠慮の欠片もなくズケズケと刺してくるダリスに、アレンは恨みがましい目を向ける。つまり、ダリスはアレンが気恥ずかしさを隠してルーチェのことを話していた時も、手紙が来て喜びを押さえた時も、散々考えて手紙を書いていた時も、全部分かっていたということだ。自分の行動が思い出されて、顔から火が出るようだった。
「絶対ミアには言うなよ」
「それは約束できませんねぇ。その前にデートに誘ったらいいんじゃないですか? あ、あと明日は夜会があるので、もしかしたら会えるかもしれませんよ?」
「今それ言う!? もう出てけ!」
初めて聞いた明日の予定に、アレンは目を吊り上げた。ルーチェに思いを寄せていることを知られた以上、次会えば根掘り葉掘り聞かれてからかわれるのが目に見えている。アレンはダリスを出て行かせ、やけ気味に残りの甘い紅茶を呷るように飲み干す。
そして一人になれば頭に浮かぶのは、ルーチェのことで。
(……無事、だよな。やっぱり手紙を書くか)
ダリスは無事だろうと言っていたが気にかかる。言われたとおりに手紙を書くのは癪に障るが、アレンは机の引き出しから便箋を取り出し、ペンを手にする。
(けど、変な話だよな。女装してから俺の周りで色んなことが起きてる)
中には危ないこともあったが、今までの単調な生活が一気に変わったのだ。ルーチェに気付けたのも、ミアに扮して女たらしから話を聞いていたことが大きい。今までは輝きを放つ色男にばかり目が行っていた。
(明日の夜会は公爵家のだし、来る可能性は高いな。さりげなく聞いてみよ)
そして彼女に似合っていた薄紫のドレスの色をした便箋に、言葉をつづっていくのである。




