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24.女装したけど、男は好きじゃ……ない

 ◇◇◇

 夜会から数日、アレンは目に見えて不調だった。何もないところで躓き、話を聞いていても上の空、剣の鍛錬中に木製の剣が手からすっぽ抜け窓ガラスを割った。ここまでくれば、愛らしいミアに


「お兄ちゃん、ライアン様のお相手をして疲れているんだわ。一緒に領地に戻る?」と心配されるしまつ。


 母親と共に一週間ほど領地に戻ることになっており、何度も一緒に行こうと誘うミアを大丈夫だと説得して先ほど送り出したところだ。そしてアレンはいつもより静かに感じる部屋で、ソファーに寝転がっているのだった。


(ミアに心配されるなんて、情けないな……)


 アレン自身も調子が悪いのは自覚していた。それもこれもあの女たらしのせいだ。考え事のせいで寝付けず、ここ数日は睡眠不足が続いている。


(少し寝よ)


 クッションを引き寄せ枕にし、寝返りを打って横向きになる。その瞬間、耳をクッションがこする感覚が記憶と熱を呼び戻す。壁に押し付けられた時の甘い香り、頬にかかる吐息は熱かった。焦りが滲んだ青い瞳に艶やかな唇は、胸が締め付けられるほど色めかしかった。

 一気に体温が上がり、顔が熱くなる。アレンは飛び起きて、邪念を払うように頭を激しく横に振った。


(まずいまずい! また思い出してしまった。忘れたいのに!)


 庭園の花の香り、廊下の青い飾り、剣の銀色。様々なものが引き金となってあの日の感触が蘇り、集中がかき乱される。思い出すたびに記憶は色濃くなり、ざわざわと胸を落ち着かせなくさせるのだ。

 さらにアレンを追い詰めたのは、ぼんやりと生返事をしていたら、ダリスに「ぼーっと考え込んで、恋する乙女ですか?」と言われたことだ。その時は「は? 気持ちが悪いこと言うな」と引きつった顔で言い返したが、後からじわじわ厄介な毒のように効いてきた。


(あいつは、男だぞ? いや、ない。ないない。俺に限って、そんな……)


 思考はぐるぐる空回り。結論も解決策も出したくない頭は休まらず、眠りも浅くなった。アレンは落ち着かず、寝返りを繰り返す。


(全部あいつが悪いんだ。顔がよすぎるから。顔と声に人を狂わす何かがあるんじゃないか?)


 考えれば考えるほど、ドツボに嵌っていく。そして考えすぎて気持ちが悪くなってきた時、ノックの音がして「ひょあっ」っと変な声が出た。少し間があって、開けられたドアからダリスが顔を出す。


「アレン様、お休みのところすみません。フレッド様がいらっしゃいました」

「よぉ! 寝てたのか? 邪魔するぜ」


 ダリスの肩口からひょいっと顔を出したフレッドは、昔なじみの遠慮のなさでアレンの部屋に入ってきた。そのままアレンの左手にある一人掛け用のソファーに座る。この部屋に遊びに来た時の、フレッドの定位置だ。

 アレンは体を起こすと、ダリスに頭がすっきりするハーブティーを頼む。フレッドはレモンティーを頼んでいた。目をこすって眠そうなアレンを見て、フレッドは意外そうな顔で口を開く。


「ミアちゃんから手紙をもらって来たけど、本当に調子が悪そうだな。眠れないのか?」

「あ~、ミアが言ったのか。心優しくて天使なんだけど、フレッドに言わなくてもいいのに」

「え~、親友が心配で来てやったのに、ひどいなぁ。ミアちゃんに、お兄ちゃんに虐められたって返そう」

「やめろ」


 軽口を叩いている間に、ダリスが茶器を持って戻り、二人の要望通りのお茶を淹れた。アレンのハーブティーにはミントが入っており、スッキリとした味わいで少し目が覚めた気がする。

 お茶を飲み、茶請けの焼き菓子をつまんで人心地ついたところで、本題に入る。


「で? 俺の様子を見に来ただけじゃないんだろ?」

「もちろん。あれから噂を流しつつ、俺の方でも探ってみたんだけどよ。あいつ、お前のこと上手く隠してるぜ。ここ最近は女遊びも控えてるみたいで、本気なのかもな。噂を否定している様子もない」


 夜会の日から、フレッドにはライアンに婚約を考えている令嬢がいると噂を流してもらっていた。これはフレッドの考えであり、追い込む心づもりらしい。


「計画通りだな。後は、婚約破棄をするだけだし、できるだけ迅速に実行しよう。これ以上あいつと顔を会わせたくない」

「へぇ。てっきり、遠慮なく顔を見られるから長引かせるかと思ったぜ。面食いアレンからすれば、本望じゃねぇの?」


 目を丸くするフレッドに、アレンは「うるさい」と不機嫌な声を返した。


「お前も一度女側になって話せば分かるよ。あの破壊力はやばい。あれは、遠くから鑑賞するものだわ。近づくな危険。ミアには絶対近づかせない」


 息もつかずに言い切ったアレンに、フレッドは吹き出し大声で笑う。


「おまっ、最近ぼんやりしてるっての、マジの恋煩いなの? 落とすつもりが、落とされてるのかよ!」


 貴族の品もなく足をばたつかせて笑い転げるフレッドに向けて、アレンはクッションを投げつけた。顔に当たり、「ぶはっ」と笑い声が止まる。給仕に徹していたダリスが目を剥いて固まっていたので、アレンは慌てて「違うから!」と全力で否定した。


「ま、あの優男は間近で見ると男でもドキッとくる色気があるからな。わからなくはない。恋人もいないアレンには刺激が強すぎたか~」


 にやにやとからかう気満々のフレッドだ。


「違うって言ってるだろ! これは誤作動なの! 女の子が好きに決まってるだろ!?」

「いやいや、別にいいんじゃね? 国王陛下も心のままに人を愛せよとおっしゃってるし、俺は、ふふ、寛容だ、ぜっ」


 最後は笑いをこらえられず、切れ切れになっていた。すぐに吹き出し、涙を浮かべて笑っている。そこにようやく衝撃から復帰したダリスが口を挟む。


「えっと、アレン様? 気のせいではなく?」

「ダリスやめて? その悲壮な顔やめて? 違うからね? 髪の毛一本も好意なんかないから、嫌悪感でいっぱいだから!」


 アレンは早口でまくしたてて否定するが、そこにフレッドが悪乗りする。


「よし、ここは俺が男を見せて、色気で誘惑してやるぜ。そしたら、どっちが好きか分かるだろ」

「いやいや意味が分か、何すんの!?」


 フレッドが立ち上がったと思えば、近づいて来てソファーに膝を乗せ、覆いかぶさるようにソファーの背に片手をついてきた。体は触れそうで触れない距離。騎士服の詰襟のボタンを外し、ニィッと口角を上げる。首筋から鎖骨がなまめかしい。


「俺と遊ぼうぜ?」


 男らしい野性味のある色気。そこが、寝不足アレンの理性の限界だった。


「いい加減にしやがれ!」


 がら空きの胴、鳩尾に捻りを入れて拳を叩き込んだ。フレッドはあまりの痛みに息を止め、ソファーに倒れて悶絶している。そこに蹴りを入れて追撃した。


「俺で、遊ぶな! 男は無理に決まってるだろ。鳥肌が立ったわ!」


 ぞわぞわする両腕を抱くようにさする。


「痛いって……悪い悪い。つい面白くって。ま、あの反応なら大丈夫だろ。重度の面食いなだけだって。今度お前好みの令嬢見つけたら紹介するから許せって」

「全力で探せよ。そうでなくても、ミアたちがいない間、嫌ってほど夜会を詰めこまれてるんだから」


 早くも痛みから回復したフレッドは、これ以上蹴られてなるかと元の場所に戻る。ハラハラと成り行きを見守っていたダリスは、ほっとした表情で二人のカップにお茶を注いだ。


「大丈夫ならいいんです」


 本当に安堵した声音であり、常に余裕があるダリスとしては珍しいことだった。フレッドが面白がってにんまりと笑う。


「なんだ? 昔ぐらっと来た口か?」

「え、あいつに思うところがあるって、そういうこと?」


 やけに積極的に協力してくれる理由はそれかと、二人が好奇の視線を向けると、不愉快そうに顔を歪めて首を横に振った。


「馬鹿なことをおっしゃらないでください。古い友人が、少年だったその男の顔と色気に当てられ夢中になり、幼馴染に婚約破棄されそうになったのを思い出しただけですよ」


 当時のことが頭をよぎったのか、やるせない表情に変わる。


「えっと、その友人は男?」

「はい、男でした」


 気まずい沈黙が下りる。アレンは一口ハーブティーをすすると、「よし」と気合を入れた。

「その友人とダリスのためにも、一生忘れられない婚約破棄にしてやる!」


 その意気込みを聞いたフレッドは、「そうそう」と視線をアレンに向けた。


「その婚約破棄の舞台を作るために、今まであの男に遊ばれて泣いたご令嬢たちに裏で声をかけてるんだ。だから、えぐい修羅場になると思うぜ」


 フレッドは言葉と裏腹のいい笑顔をしており、聞いた二人は若干引いた。フレッドが仲間に入ってから、とんとん拍子に悪だくみが進んでいる。


「ほんと、人が嫌がることをよく考え付くよな。性格悪い」

「褒めるなよ」

「褒めてない」


 そして、詳しい婚約破棄舞台の段取りを話し、今日はお開きとなった。


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