93.灼熱の火口
サラマンダーたちの棲み処から、南に2時間ほど歩いた場所。
「熱い…」
イリスがげっそりと呟き、ラズライトは耐熱と耐火の魔法をもう1回重ね掛けする。
《ほらイリス、もう少しだよ》
「…頑張る…」
既に耐熱・耐火魔法は3重に掛かっている。これ以上は重ねられないから、後は根性で何とかするしかない。
理論上、これだけ重ねてあればドラゴンのブレスにも耐えられるのだが──一瞬の熱さと、辺り一帯が灼熱地獄になっているのとでは状況が全く違う。
(最悪、僕が本来の姿になれば近付けない事も無いけど…)
イリスの肩の上で、ラズライトは周囲を見渡した。
火山の中腹、緩やかな上り坂。
『火山』と言うときれいな円錐形をした成層火山を思い浮かべる者も多いだろうが、この半島の火山地帯の山々は、とてもなだらかな形をしている。
『あちらの世界』で言うハワイ島のキラウエア山に近いだろうか。粘性の低い玄武岩質溶岩が造り出す、独特の地形。
ただし、この火山地帯には多数の寄生火山──大きな火山の周辺にできる小さな火山──があり、そちらは明らかに安山岩質の成層火山のような形をしているため、この地域一帯が玄武岩質であるとは言い難いのだが。
「あと、ちょっと…っ」
イリスが登っているのは、その寄生火山の一つだった。
熱さに耐えながら登り切ると、視界が拓け、寄生火山の火口が見えるようになる。
寄生火山の高さは15メートルほどだろうか。火口もそれ相応に小さいが、きれいなすり鉢状の形をしていた。
その中央に、問題の存在が居た。
「女の子…?」
黒っぽい火山礫が周囲を埋め尽くす中、うずくまる小さな人影。
もっとも、その人影からこの異常な熱が放射されている事を考えると、人間でないのは明らかだ。
《イリス、ちょっと止まって。呼び掛けてみるよ》
「分かった」
火口の縁でイリスが足を止める。
ラズライトは心持ち背筋を伸ばし、念話で呼び掛けた。
《──ねえ! 聞こえる? そっちに行っても良い?》
途端、ごうっと熱風が吹いた。
《来ないで!》
「うわっ!」
イリスが咄嗟にラズライトを外套のフードで覆い、身を伏せる。熱波が収まってイリスが立ち上がると、周囲の気温はまた一段階上がっていた。
「すごいね…」
火口の底の人影は、うずくまったままだ。純粋に火の魔力を放射しただけでこの有様。状況から、あの人影の正体は一つしかない。
「火の精霊…だよね?」
《そうだと思う》
精霊。
魔物とは異なる、知性と理性を持った高等存在。
特定の属性の魔力や魔素が集まる場所に自然発生するとされているが、その誕生の瞬間を見た者は居ないという。
姿形に法則性は無いが、大抵、人ないしそれに近い姿を取ると言われている。
実際、目の前に居る人影も、10代前半ほどの少女の姿をしていた。
《イリス、ちょっとここで待ってて。僕が行ってみる》
「大丈夫?」
《いざとなったらドラゴンの姿に戻るから、大丈夫》
イリスの肩から飛び降りて、ラズライトは人影に近付く。
火口はそれほど大きくない。時折熱波が放射されて足が止まったが、さほど苦労も無く人影の元へ辿り着いた。
《ねえ、話をしたいんだ》
《……どうして…》
覗き込むと、きれいなバラ色の目が涙に濡れていた。
《どうして来るの…みんなみんな、焼けちゃうのに》
《僕は大丈夫》
自信満々に言い切って、ラズライトは少女の膝に肉球を押し付けた。
《触っちゃダメ!》
途端、少女が飛び退る。一瞬だけ触れた精霊の身体は、別に熱くとも何ともなかった。むしろ今の外気温よりも低温なのではないだろうか。
《大丈夫。火傷なんかしないよ》
この灼熱地獄は、放出される火の魔力が空気に作用して発生している。
実のところ、放出元そのものは熱くないのだ。
そう説明すると、少女はぽかんと口を開けた。
《…で、でも、私の魔力でこんな状態に…》
周囲には、所々に黒く炭化した植物片のようなものが転がっている。元々この辺りに生えていたのだろうが、長時間の熱に耐え切れなかったのだろう。
しかし普通、精霊は本能的に自分の魔力を制御できるはずだ。
この惨状はどうしたことか──考えられるのは一つしかない。
《ねえ、君ひょっとして、『ネコ』?》
《!?》
囁くように尋ねると、少女は目を見開く。図星だ。
《ど、どうして…》
《そりゃあ、僕もだからね》
《あ、あなたも、『ネコ』?》
そうだよ。ラズライトが頷くと、少女は肩の力を抜いた。
《そう…。ええ、私も、『ネコ』よ》
気持ちが少しだけ落ち着いたのか、放出される火の魔力が弱まる。
少女は自分の手を見詰めて呟いた。
《…私、精霊になるのなんて初めてで…どうしたら良いか分からないの》
精霊の身体は、勝手に周囲の魔素を吸収し、火の魔力に変換する。だが、その魔力をどう扱ったら良いのか分からない。
魔素を吸収するのを制限すればまだマシなのだろうが、その方法も分からないのだと言う。
結果、飽和状態に達した魔力が無差別に体外に放出され、当人の望まない灼熱地獄が現れてしまった。
それは仕方ないだろう、とラズライトは内心で頷く。
『ネコ』は転生を繰り返すから、様々な生き物として生きた記憶を持つが、精霊は普通の生き物とは全く違う存在だ。魔力の制御方法が分からなくても仕方ない。
《それじゃあ…》
ラズライトは考えを巡らせる。
《この場所を離れたらどうかな?》
《え?》
魔力を放出してもすぐにまた飽和状態に達してしまうのは、供給される魔素の量が膨大だからだ。この火山地帯は、魔素が豊富な南の半島の中でも特に魔素濃度が高い。
逆に言えば、周囲の魔素濃度が下がれば体内の魔力量も下がり、制御できる可能性がある。
《で、でも、ここ以外に行ったら、またそこを焼き尽くしてしまうかも知れないじゃない》
精霊は二の足を踏んだ。
《それでも、動き出さないと何も変わらないよ》
制御できない力は恐ろしい。それはラズライトも知っている。
だからこそ、このまま放置していてはいけないのだ。今のままでは、精霊はいつまで経っても魔力を制御できず、周囲に灼熱を振りまくだけの存在になってしまう。
(…そうだ。このままじゃいけない)
チリ、と胸が灼けるような感覚。
現状から逃げているのは自分も同じ──泡沫のように浮かんだ考えを振り払って、ラズライトは魔力を解き放った。
《──魔法反射!》
精霊の足元に魔法陣が浮かび上がり、精霊を取り囲むように薄い膜のようなものが現れる。
精霊が驚いた顔をした。
《魔素が…来なくなった?》




