90.アノマロカリスの味
《え? ちょっと待って。食べるの? 本気?》
アノマロカリスの巨大な死体を見上げ、ラズライトは呆然とイリスに訊ねる。
「え? 食べるよ、当然」
イリスはきょとんと首を傾げた。何故そんなことを訊かれるのか分からないという顔だ。
《だって、今までアノマロカリスを食べた事のある人なんて居ないでしょ?》
「え、そうなの? 私、知り合いに『新鮮なうちに焼いて食べると美味しいわよ』って教わったんだけど」
《………は?》
大変具体的な調理方法が出て来た。
しかもその口調、知り合いというのは女性だろうか。
《それ、誰情報?》
「私の姉弟子」
同じ師匠から剣を学んだ女性が居るらしい。
聞けばその人物はイリスより少し年上で、今はイリスの兄弟子とペアを組み、凄腕の冒険者として活躍しているそうだ。
「アノマロカリスはエビとカニの中間くらいの味で、美味しいんだって」
なお、時間が経つとえぐみや臭みが上がってきて美味しくなくなる、らしい。
(そこまで試したのか、姉弟子…)
ラズライトが呆然としているうちに、イリスはアノマロカリスの胴体の解体に戻る。
仕方ないので、放り投げられた外殻はラズライトが回収し、一つ一つ洗浄魔法できれいにしてから圧縮バッグに放り込んで行く。
「あれ、殻も回収するの?」
《アノマロカリスの外殻とか爪とか、冒険者ギルドで高値で引き取ってもらえるんだよ》
「なぬ」
イリスが変な声で呻いた。
知らなかったらしい。
《ほら、食べるならちゃんと切り分けなよ。土まみれの肉とか嫌だからね、僕》
ラズライトが促すと、イリスは慌てて作業に戻る。
──ラズライトも食べる前提で話をしているが、幸か不幸か、ラズライト自身は気付いていない。
そのうち、あ、とイリスが声を上げた。
「魔石だ」
アノマロカリスの背面中央付近、白っぽい筋肉に埋もれる形で、褐色に近い紫色の魔石が出て来た。
大きさは握りこぶしほど。魔物の体内から見つかる魔石としては、かなり大きい部類に入る。
《紫だから…主に水属性と火属性かな?》
魔石には、大きく分けて二種類ある。
地面から採れる魔石は、大地を巡る魔素が結晶化したもの。
一方、魔物から採れる魔石は、その魔物が体内に取り込んだ魔力や魔素が、何かのきっかけで結晶化したものだ。
どちらも魔石には違いないが、地面から採れる魔石は単一属性が多く、魔物の魔石は様々な属性を含んでいるものが多い。
また、産地の限定される地面由来の魔石と異なり、『魔物の魔石』は魔物さえ居ればどこででも採れるため、地面から魔石の採れない地域では色々と重宝されている。
《アノマロカリスの魔石は珍しいから、ギルドに持って行けば良い値段で買い取ってくれると思うよ》
「おお。なら、ちゃんと回収しないとね」
魔物の魔石は、全ての魔物の体内にあるわけではないし、存在する場所もまちまちだ。
5匹倒して1個出れば良い方で、魔物の倒し方によっては砕けて魔素に還元され、消えてしまう。だから、完全な形で回収できるのは結構珍しい。
まして、討伐実績自体が少ないアノマロカリスの魔石である。
買取金額がいくらになるか、ラズライトにも想像がつかない。
(イリスって相当引きが良いよね。何でか分からないけど)
問題は、手に入れた物の価値を、彼女自身が理解していない事だが。
イリスはナイフで魔石を丁寧に取り出し、回収する。
そうして解体できるだけ解体し、素材と食材を確保すると、イリスは対岸の崖を登り──こちら側は火山活動の影響で岩盤の質が変わっているらしく、登るための足掛かりはいくらでもあった──1人と1匹は『未踏破地域』とされる火山地帯に足を踏み入れた。
「到着―!」
イリスが諸手を挙げて叫ぶ。
《すごいね…》
大小様々な丘陵と、その奥に聳え立つ複数の火山。
奥手中央の一際高い山の山頂には、薄らと白いものが見える。
この温暖な南の地域では珍しく、積雪があるのだろう。
今イリスとラズライトが居るあたりはまばらに灌木が生え、草丈の低い植物が密生している。
が、少し視線を遠くにやると黒や赤褐色の地面の露出が増え、丘陵を2、3越えた先は所々で白い蒸気が噴き出す火山地帯独特の荒野だ。
これだけ離れていても、『腐った卵』と評される硫化水素ガスの臭いが鼻をつく。
毒性の強い成分だからあまり近付きたくないが、目的が硫黄である以上、どう考えてもそちらへ向かう流れだろう。
「さて…」
ひとしきり周囲を確認したイリスは、おもむろに圧縮バッグから簡易コンロを取り出した。
街で調達した火の魔石をセットし、火力を強火に調整すると、適当な大きさに切り分けたアノマロカリスの肉を串に刺したものを炙り始める。
途端、甘さを含んだ香ばしい匂いが周囲に広がった。
《うわ、本当にエビっぽい…》
匂いが完全にエビかカニだ。大まかな括りでは、海生の節足動物という仲間だからだろうか。
「──良し、できた!」
しばらくして、イリスが良い感じに焦げ目の付いたアノマロカリスの肉串をがばっと頭上に掲げた。
上手に焼けましたー、という謎の音声は聞こえない。聞こえないったら聞こえない。
「ラズライトはこれ」
《ありがと》
イリスが塩を振らずに焼いた肉を串から外し、皿に乗せてラズライトの前に置いてくれる。
湯気を上げるアノマロカリスの肉は、一口大に切られていても存在感抜群だ。
息を吹きかけて軽く冷ましてからかぶりつくと、口の中いっぱいに甘さと旨味が広がった。
《うわ、美味しい》
見た目と食感はエビに近いが、味はカニに近い。水分が若干少ないのか、エビやカニより味が濃いように感じる。
臭みはほとんど感じない。高級レストランで出されてもおかしくないくらいだ。
「ん~…これすごいわ。いくらでも食べられそう」
イリスはへにゃりと相好を崩していた。
甲殻類の中では1、2を争うね、という言葉に、ラズライトは首を傾げる。
《1、2を争うって…これと同じくらい美味しい甲殻類なんて食べた事あるの?》
「あるよー。水のきれいなところだとものすごく美味しい」
《それって何?》
「ザリガニ」
《…》
ザリガニ。
…はて、『こちらの世界』のザリガニは、食材として認知されていたのだったか。
それ以前に、『こちら』のザリガニは『あちらの世界』のザリガニの10倍くらいの大きさで、時として群れで行動するれっきとした魔物のはずなのだが。
何故イリスはよだれが出そうな顔で頬を染めているのだろうか。
(突っ込まない方が良い事もあるよね…)
とりあえずコメントは入れず、黙々とアノマロカリスの肉を咀嚼する。
美味しい。
「塩でも美味しいけど、辛味噌も合うかな?」
《ああ、ターニャに貰ったやつ? 合うんじゃない?》
「よし、じゃあ2本目はそれで。ラズライトも食べる?」
《ちょっとだけ味見する》
イリスがいそいそと次の肉串を用意していると、丘陵の向こうで影が動いた。




