74.魔タタビの功罪
(…はっ!?)
ぱちりと目を開けると、何故かベッドの上だった。
カーテンの隙間から差し込む光の中に、埃がきらきらと舞う。
視線を横に動かすと、隣のベッドでイリスが寝ていた。どうやら、いつの間にか自分たちの部屋に戻っていたらしい。
昨夜──だと思うのだが。魔タタビジュースの皿に顔を突っ込み、がぶ飲みしたところまでは覚えている。
芳醇な魔力と独特の香り。大変美味しかった。
(…おっと、よだれよだれ)
口の中に溢れた唾液を呑み込む。
立ち上がって伸びをすると、ベッドシーツではないものを踏ん付けている事に気付いた。
部屋に備え付けのタオル。
あと、その周囲を取り巻くように、イリスの上着。
《…え、なんで?》
思わず呟くと、
「あ、ラズライト、おはよう」
イリスが起きた。
《おはよう。えっと…これ、一体どうなってるの?》
恐る恐る訊くと、イリスはラズライトと下敷きになっているタオルと上着を順に見遣り、フッと遠い目をした。
「昨日はオ楽シミデシタネ」
《口調が怖いよ!?》
「だってさー」
軽く伸びをして、若干呆れた顔でこちらを見る。
「まさか魔タタビでべろんべろんに酔っ払うとは思わなかったんだもん」
ドラゴンなのに。
言外に含まれた意味を察して、ラズライトは血の気が引いた。
《……べ、べろんべろんに…酔っ払ってたの? 僕…》
正直、全く記憶に無い。
呆然とするラズライトに、イリスは丁寧に昨夜の状況を説明してくれる。
ラズライトは、顎と胸毛をべちゃべちゃにしながら魔タタビジュースを一気飲みした後、テーブルの上でひっくり返って魔タタビの実を咀嚼していたらしい。
その時点で酔っ払っていると分かったので、イリスは他の客やジェフたちと談笑していたのだが──そのうちラズライトが『ウケケケケケ…』と謎の笑い声を上げ始めたので(念話ではなく肉声だったらしい)、イリスはラズライトを抱きかかえて客室へ戻った。
備え付けのタオルで口元や胸毛に付いたジュースを拭い、袖がびしょ濡れになった上着は脱いで、風呂に入って戻って来たら、ラズライトはタオルと上着をきっちり下敷きにして、とても幸せそうな顔で寝ていたという。
「多分、魔タタビの匂いを全身で堪能したんだろうね」
《ああああああ……》
ラズライトはその場に突っ伏して頭を抱えた。
(不覚…!!)
確かに、今生では魔タタビを味わうのは初めてだったが。
まさか泥酔するとは思わなかった。
姿形はケットシーとはいえ、本質的にはドラゴンなのだ。ケットシーには良くない食べ物や毒物でも、自分は平気──の、はずだった。
ところが、ふたを開けてみれば完膚なきまでの敗北。
魔タタビ2個とそのジュースだけで酔っ払うとは、ケットシー基準でもかなり魔タタビに弱い部類に入ってしまう。
《忘れて! 全力で忘れて!》
「ええ、ヤだ。可愛かったし」
《お腹見せて奇声上げるとか、ただの迷惑な泥酔客じゃないか!》
「あの状態でヨダレ垂らしてても可愛く見えるとか、ケットシーって罪な生き物だよね」
《にゃー!!》
顔面が熱い。あまりの羞恥に、ごろんごろんとベッドの上を転がる。
…その姿をイリスがニヤニヤしながら眺めているのは、全力で見なかった事にする。
《………ああもう……》
ひとしきりのたうち回った後、ラズライトはノロノロと立ち上がった。
「あれ、もう終わり?」
《何が『もう』なのか知らないけど、とりあえず朝ごはん!》
全身をぶるぶる震わせて、無理矢理思考を切り替える。
今日は一連の仕事の報酬を受け取りに行く事になっていたはずだ。
確か、午前中、できれば昼前に来て欲しいと言われている。
窓から差し込む光を見る限り、既に太陽は結構な高さまで上がっているようだ。
今から朝食と身支度を済ませてギルドに行くとなると、あまり余裕は無い。
《ほらイリス、行くよ!》
「はいはーい」
ラズライトがベッドから飛び降りると、イリスも立ち上がる。
鏡で自分たちの格好だけ簡単に確認し──変な寝癖がついていなかったのは幸いだった──1階に降りると、ターニャが厨房から顔を出した。
「イリスさん、ラズライトさん、おはよう! 良く眠れたみたいだね!」
《おはよう》
「おはようございます」
良く眠れたと言うか、冒険者基準でははっきりと寝坊だ。イリスの表情に苦笑が混じる。
テーブルにつくと、すぐにターニャがコップが載った盆を手にやって来た。
「食事はすぐに作るから、ちょっと待ってておくれよ。イリスさん、卵はベーコンエッグとスクランブルエッグ、どっちが好みだい?」
「どっちも好きです!」
《いや、どっちもって》
ラズライトが思わず突っ込むと、イリスは涼しい顔で言葉を続けた。
「強いて言えば、今日はベーコンエッグが食べたい気分です」
「ははっ、分かったよ」
ターニャがテーブルにコップと皿を置き、笑って厨房へ戻った。
イリスの前に出されたコップの水には、ミントを中心に数種のハーブが浮いている。
ラズライトの皿は普通の水かと思いきや、体温より少し高いくらいのぬるま湯だった。
気遣いが大変ありがたい。
それぞれ飲み物をいただきながら待っていると、すぐにターニャが食事を持って来てくれた。
「はいよ、お待ちどおさま」
イリス用は軽く焦げ目のついたバゲットに、バター、木イチゴのジャム、ベーコンエッグと野菜たっぷりのスープ。
ラズライトにはほぐしたゆでササミがこんもり盛られたスープ。
「いただきます!」
《いただきます》
当然ながら、大変美味しい。
料理だけでも、この宿に泊まる理由になると心底思う。
その上、ケットシー宿泊可で部屋の設備も充実、ラズライトから見たら非の打ち所が無い宿だ。
(ここを拠点に活動とか…その分、ちゃんと稼がないとだけど)
そんな未来を思わず夢想する。
冒険者ギルドの提携宿ではないから、宿泊料は他と比べたら若干高い。
それでも、少し頑張れば何とかなる額だ。イリスの踏破能力と収集能力を考えたら、余裕だろう。
イリスがどう考えているかは分からないが──目の前で野菜スープを堪能している顔を見る限り、この宿を気に入っているのは確かだ。
「ごちそうさまでした」
《ごちそうさま》
「はいよ、お粗末さまでした」
あれこれ考えているうちに、あっという間に食事が終わった。
皿を下げに来るターニャに、イリスが軽く首を傾げる。
「そういえば、今日はジーンは不在なんですか?」
「ああ、冒険者ギルドに行ってるよ」
《え、ギルドに?》
驚いてターニャを見上げる。
ターニャはしょうがないという顔で苦笑していた。
「あの子、数日前に冒険者登録してね。その後はジェフの一件でばたばたしてたから、今日やっと、初めての依頼を受けに行ったんだよ」
何と、ラズライトたちがジーンの願いを断った後、ジェフを自分で探しに行くため、ターニャを説得して冒険者登録を済ませていたらしい。
ジェフを連れ帰った時にジーンが南の半島の門の前に居たのは、カイトたちに同行依頼を出したからではなく、自分が冒険者になって、カイトたちと行動を共にしていたからだった。
《すごい行動力だね…》
思わず感嘆すると、ターニャは誇らしげに笑った。
「ああ。何せ、アタシとジェフの娘だからね」




