69.ロクイチ
街と半島を隔てる3つの門のうち、2つを通過した時には、既に日は落ちていた。
患部に負荷を掛けるなというヴィクトリアのお達しがあり、イリスが手綱を握れなかったため、スピネルが気を遣って、かなり加減して走ってくれた結果だ。
完全に暗くなる前に到着したのは僥倖だった。
ちなみに、イリスが手綱を握らないでどうやって乗っていたかと言うと、両足でスピネルの胴体を挟み込み、上半身でバランスを取る、完全なるロデオ状態だ。
そのまま数時間の走行をこなしたのだから、イリスのバランス感覚と体力も、スピネルの気遣いもずば抜けている。
「帰って来たか!」
街に一番近い門の前、こちらの姿を目に留めるなり、壮年の門兵が駆け寄って来る。
スピネルから飛び降りるイリスを見遣り、すぐに眉を顰めた。
「イリス、お前また何かやったな?」
「ナンノコトカナー」
門兵の視線の先は、ゴム手袋もどきを嵌めたイリスの両手。
手綱を使っていなかった事もバレているだろう。
得意気なスピネルと明後日の方を向くイリスを交互に見遣り、門兵は溜息をついた。
「…まあ良いけどな。──とりあえず、ロードランナーの返却手続きをしてくれ」
「分かった」
差し出された書類をイリスが受け取ろうとすると、横からサッとヴィクトリアが手を出した。
「私が書くわ」
慣れた様子でサインし、門兵に返却する。
「ああそうそう、オーサン」
「何だ?」
「ロベルトたちはもう帰ってるかしら?」
門兵の名はオーサンというらしい。
「ああ──」
オーサンは少し考える仕草をして、
「大体1時間くらい前に帰って来たな。負傷者5名、うち3名は3年前の行方不明事件の当事者ってんで、騒ぎになってるぞ」
《だろうね》
冒険者ギルドのギルド長が直々に出向いて、とうの昔に捜索が打ち切られた過去の行方不明者を連れ帰って来たのだ。騒ぎにならないはずがない。
「負傷者5名…ね」
一方、ヴィクトリアの琴線に触れたのは別の言葉だったらしい。
口の端を上げて呟く顔には、何やら不穏な空気が漂っている。
オーサンが苦笑した。
「あんまり責めてやるなよ、あいつも苦労してんだからな」
「分かってるわよ」
肩を竦める。
やり取りを見る限り、オーサンとヴィクトリアはそれなりに親しい仲のようだ。
「とりあえず、返却手続きは完了だな。追加料金も無し…と」
書類に何事か書き込み、オーサンは顔を上げた。
「じゃあ、ロードランナーたちはこっちで預かる。おつかれさん」
「あ、おっさんちょっと待って」
早々に話を切り上げようとする門兵に、イリスが待ったを掛ける。
「おっさん言うな。なんだ?」
「スピネルは、『ロードチェイサー』なんだよね?」
「ああ、そうだな」
それがどうかしたか?
「ロードランナーとロードチェイサーって、食事内容とか健康管理の方法とか、同じなの?」
唐突な話題転換だったが、オーサンは気を悪くした様子も無く、平然と首を横に振った。
「いや…ロードチェイサーは肉食傾向が強いからな。エサはそれに合わせて用意する予定だ。運動量も違うはずだが、そこはスピネル自身に一任だな」
「それじゃあ──」
イリスはロクイチを振り返った。
「ロクイチのエサも、スピネルと同じにしてくれないかな?」
「ピッ!?」
小柄なオルニトミムスが、驚いて顔を上げる。
多分だけど、と、イリスは続けた。
「ロクイチも、ロードチェイサーだと思うんだよね」
「はあ!?」
門兵が唖然として目を見開く。
そりゃあそうだろう、今まで足手まとい扱いされていた牧場生まれのオルニトミムスが、野生でもなかなか居ない上位個体だと言われても、早々信じられるものではない。
しかし──
「ああ、そういうこと」
ヴィクトリアが納得の表情を見せた。
「そう考えると、色々と辻褄が合うわね」
他の普通のオルニトミムスに比べて、若干ではあるが体色が濃く、色鮮やかなこと。
身体強化魔法を使う仲間の走りに、身体強化魔法を使えないにも関わらず追従できていたこと。
今まで身体強化魔法が使えなかったのに、スピネルが教えた途端、使えるようになったこと。
その走行能力が、異常に高いこと。
全て、ロクイチがロードチェイサーかそれに近い身体特性を持っていると考えれば、辻褄が合う。
「いやいや待て待て。落ち着け」
丁寧に並べ立てるヴィクトリアを、門兵が制止する。
──一番落ち着かなければいけないのは門兵当人のような気がするが。
「まず体格が違うだろう。普通のロードランナーより小さいんだぞ? こいつは」
「むしろそれが証拠になるんじゃない」
ヴィクトリアが冷静に指摘する。
「ロードチェイサーは肉食傾向が強くて、獲物に対する執着心が強い。って事は、ロードランナーより必要カロリーが高いって解釈できるじゃない? それなのにロードランナーと同じエサを、ロードランナーに必要な量しか食べさせてもらえてないんだから、本来のサイズまで成長できるわけないじゃないの」
「ルルッ」
肯定するように、スピネルが短く鳴いた。
ロクイチは話の内容が理解できているのかいないのか、人間たちをオロオロと見回している。
《要するに、ロクイチは栄養失調気味じゃないかってこと?》
妙に小さいのはただの個体差かと思っていたが、割と根本的な部分で問題があったようだ。
軽く頷いたヴィクトリアは、ピッと顔の前で人差し指を立てる。
「あくまで、可能性の話よ。しばらく食べさせてみれば分かるんじゃないかしら?」
「うーむ…」
オーサンが顎に手を当てて呻いた。
「──お前がそこまで言うなら、試してみるか」
冒険者ギルドの回復術師の言葉は、結構な重みがあるらしい。
イリスがぱあっと顔を輝かせる。
「ホント!?」
ロクイチに振り向き、
「良かったねロクイチ、これでお腹いっぱい食べられるよ」
「ピっ!?」
「クルルッ」
驚くロクイチの横で、スピネルが楽しそうに鳴く。
なおその後、食事内容が変わったロクイチはみるみるうちに成長し──
スピネルに次ぐ体躯と身体能力を持った、『誰でも乗せてくれるロードチェイサー』として大変な人気を博すようになるのだが。
今はまだ、誰もあずかり知らぬ事である。




