68.凍った腕の治療法
ようやく杖から解放され、足湯ならぬ腕湯をするイリスは、どことなく楽しそうだ。
ナディが浴槽から杖を引き上げる。
完全に壊れたらしく、魔法使いであるナディが持っても魔力を吸われる様子は無い。
「機能停止したみたいね」
《この状態で壊れてなかったらびっくりだよ…》
杖に巻いていた布は、よく見ると大きく裂けている。
ケツァルコアトルスを殴った時と、先程宝玉を砕いた時の衝撃に耐えられなかったのだろう。
「ラズライト、手が何だか変な色になってるんだけど」
お湯の中で皮手袋を脱いだイリスがご丁寧に報告してきた。
《多分凍傷だね。感覚はある?》
「一応ある」
《さっき、氷を融かしてる時は痛かった?》
「結構痛かった」
《今は?》
「かーなーりー痛い」
大変素直だ。
《自分で動かせ…はするみたいだね。手袋脱げたんだし》
「浮腫んでて動かしにくいけどね」
「……あなたたち、何でそんなに冷静なのよ…」
ナディが呆れているが、色々と今更だろう。
《イリス、そろそろ良いよ。乾かすから、こっちに腕出して》
「はーい」
目の前に差し出された両腕は、衣類ごと肩のあたりまでびしょ濡れだった。
服をめくりあげる事もできずにお湯の中に突っ込んだのだから仕方無い。
両手は全体的に白っぽくなり、一部は赤とどす黒い紫色のまだら模様になっている。
恐らく肘の手前までは同じような状態だろう。
《乾燥!》
魔法で服──と、ついでにナディが持っていた壊れた杖と布──を乾かすと、ナディが目を見張った。
「風と火の複合魔法? すごいわ」
「珍しいの?」
イリスが首を傾げる。
《そんなに難しくないよ。──ナディ、イリスのバッグから毛布出して、イリスの腕に巻いてくれる? 確か、凍傷は保温した方が良いんだよね?》
「ええ」
ナディが毛布を取り出したところで、平原の向こうからオルニトミムスが駆けて来た。
「ハァイ、おつかれさま」
「ヴィクトリアさん」
《ヴィクトリア、救出した人たちを処置してたんじゃないの?》
やって来たのはヴィクトリアだった。
イリスが凍傷を負ったタイミングでの登場は大変ありがたいが、救助した者やロベルトが連れて行った冒険者たちの方は放っておいて良いのだろうか。
「他の連中はもう街へ向かってるわ。ロベルトに『イリスがやばい』って言われて、私だけ出張よ。…両腕凍り付かせたんですって?」
大柄なオルニトミムスの上で、ヴィクトリアがギラリと目を光らせる。
「う」
イリスがさっと目を逸らし、そっと両腕を背中に隠そうとするが──もう遅い。
オルニトミムスから降り立ったヴィクトリアが素早く横手に回り、イリスの右腕を掴んだ。
迅速かつ丁寧に袖をめくり上げ、指先から肘の手前まで皮膚が変色している事を確認すると、眦を吊り上げる。
「まーた無茶して! 少しは自重しなさい!」
「うう…」
叱り付けられて反省するかと思いきや、イリスは半分逃げ腰のまま反論した。
「だ、だって隙が作れなきゃ倒せなかったし! ロベルトさんが連れて来た剣士の人とかは早々に気絶しちゃってたし!」
《気絶…》
「…してたわね、そういえば」
ロベルトがここを立ち去る際、数人の戦士や剣士をゴーレムで回収して行った。
その事を思い出してナディと顔を見合わせると、ヴィクトリアの口元がひくりと引きつった。
「ふぅん…?」
「な、何かごめんなさい」
明らかに機嫌が急降下した回復術師に、イリスが条件反射のように頭を下げる。
あなたを責めてるわけじゃないわよ、と、ヴィクトリアは溜息をついた。
「とりあえず、先に応急処置しちゃうわ。事の顛末は、帰ってからじっくり聞かせてもらうから…ね?」
「ハイ」
イリスににっこりと笑い掛けた後、ヴィクトリアがウエストポーチから手袋を取り出した。
『あちらの世界』で言うゴムのような質感で、長さは丁度肘くらいまで。
指部分も腕部分も、イリスに使わせるにしてはかなり大きい。
ヴィクトリアはそのゴム手袋もどきの中に謎の白っぽい粉を放り込み、さらにビンに入った薄緑色の液体も注ぎ入れると、履き口の部分を閉じて勢い良く振り始めた。
液体がシェイクされるバシャバシャという音が次第に重くなり、音がしなくなったところで口を開け、イリスに差し出す。
「はい、これ着けて」
「……何か中がべっちょりしてるんですけど。何これ?」
イリスはあからさまに引いている。
ラズライトがイリスの肩に乗り、覗き込むと、手袋の内側一面に薄緑色のゼリー状の物体がべったりと貼り付いているのが見えた。
考えるまでも無く、凍傷用の薬なのだろうが──見た目、魔物の内臓の中身のようで少々(いやかなり)触りたくない。
「血行促進と痛み止めの薬よ。あと、加温効果もあるわ。凍傷にはこれが一番効くの」
ちなみに、薬効があるのは先程手袋に投入した液体の方。
白い粉はスライムから採れる素材に特殊な処理を施し、粉末状にしたものだそうだ。
水分を含むと粘着質のゲル状になり、保水力が非常に高い。
普通ならすぐ蒸発してしまう液体の薬を長時間同じ場所に保持できるため、主に皮膚にじっくりと成分を浸透させたい場合に使われるらしい。
(あっちの世界で言う、『パック』的なやつ?)
見た目が大分アレだが。
「うう…何かにゅるにゅるする…」
ヴィクトリアの圧に負けて手袋に手を突っ込んだイリスが、顔を歪めて呟く。
見た目を裏切らない質感らしく、手袋の中から何とも言えない音がした。
「ガマンしなさい。ギルドに着いたらもっとちゃんと処置するから、外しちゃダメよ」
ヴィクトリアは意に介さず、手袋の履き口を防水性の高い包帯で巻いて脱げないように固定する。
二の腕の半ばまで大きな手袋に覆われた姿は少々シュールだが、致し方ないだろう。
できるだけ保温しろと追加の指示を受けたイリスが上着の袖だけ元に戻し、驚いた顔をした。
「あれ? 痛くない」
《痛み止めってそんなにすぐに効くの?》
「結構良い薬を使ったのよ。在庫があって良かったわ」
南の半島周辺は温暖な気候で、冬でも滅多に凍らない。
氷属性持ちの魔物もほぼ居ないため、凍傷の治療薬はまず必要無いはずだ。
《この辺の地域じゃ出番が無さそうなのに、よく持ってたね》
ラズライトが尋ねると、ヴィクトリアは軽く肩を竦めた。
「不測の事態に備えて、ギルドの治癒室は主な怪我や病気の治療薬を用意しておくっていうルールがあるの。今回は氷属性のケツァルコアトルスって情報があったから、凍傷とか凍結の治療用資材を優先して持って来たのよ」
ギルドの用意周到さと、ヴィクトリアの判断力の勝利というわけか。
「さて──これで応急処置は完了よ。私たちも帰りましょうか」
《そうだね》
「クルァ!」
「ピルル!」
帰る、という単語に、スピネルたちが目を輝かせた。




