50.囮作戦
台地の下の森の西端。
夕日が赤く染める草原を前に、イリスは圧縮バッグのベルトを締め直し、ウエストポーチやポケットの中身を確認する。
《イリス、行けそう?》
「──うん、問題無い。ラズライトは?」
《いつでも良いよ》
応えつつ、ラズライトは圧縮バッグの上でぎゅっと爪を出す。
ケツァルコアトルスの気配は、まだ森の上を旋回している。大変にしつこい性格だ。
こちらの位置はバレていないのが幸いだった。
こうしてこっそり二手に分かれ、それぞれ森の西端と北端に移動しても、上空を旋回する動きに変化は無かった。
──イリスとラズライトは、森の西端に。オルニトミムスとジェフは、北端に。
イリスが提案したのは、二手に分かれて片方がケツァルコアトルスを引きつけ、その間にもう片方は全力でその場を離脱する──いわゆる囮作戦だった。
『オルニトミムスだったら、ジェフを乗せて走れるよね』
今回優先すべきは、救出したジェフを無事に街まで送り届けること。
囮役は当然、イリスとラズライトだ。
『私とラズライトだけなら、ケツァルコアトルスを限界まで引き付けた後に逃げる事もできると思う』
その言葉にジェフは猛反対したが、オルニトミムスがさっさと乗れと言わんばかりに背中をジェフに向けたことで、議論はあっという間に終わった。
なお、門で見たオルニトミムスより体格が大きいと思ったのは気のせいではなかったらしく、鞍は幅が小さすぎてそのままでは載せられず、背中との間に分厚く折り畳んだ寝袋と毛布をかませてフィット感を誤魔化すことになったし、頭絡もサイズ調整ベルトの穴が間に合わず、その場で新しい穴を開ける羽目になった。
ジェフは自力でオルニトミムスに掴まる事ができなかったので、鞍に跨ってもらい、数本のベルトを使ってオルニトミムスに体を固定した。
走行中に落ちる心配は無いが、自力での脱出も不可能だろう。
ケツァルコアトルスを撒いた後、ちゃんと合流できることを祈るばかりだ。
「それじゃあ、そろそろ行こうか」
トントン、と爪先で軽く地面を叩き、イリスが軽く上体を屈めた。
ラズライトが圧縮バッグに爪を立ててしがみ付くと、
「行くよ!」
《了解!》
短い応答の後、イリスは一足飛びに森の中から飛び出した。
太陽は既に西の水平線に掛かり、間もなく日没となる。
赤く染まった空の下、イリスは森から十数メートル走ったところでくるりと振り返り、上空を振り仰いだ。
「──いた!」
イリスが叫んだ途端、甲高い咆哮が響き渡る。
真っ直ぐにこちらに突っ込んで来る巨大な影。
イリスは右手を振りかぶり、小さな物体を力一杯投擲した。
「今!」
《うん!》
──ドン!
夕空に紅蓮の閃光。
イリスがケツァルコアトルスに投げつけたのは、台地で拾った火の魔石だ。
投げたところにラズライトが魔力を込めれば、空中で突然爆発する危険物の出来上がりである。
が、ケツァルコアトルスは翼一振りで機敏に爆発を避けた。
突撃の勢いを殺されて、ぎらり、殺気を含んだ視線が完全にこちらを向く。
「上手く行ったね」
ケツァルコアトルスの眼光を受け止め、イリスがにやりと囁いた。
最初の爆発は、ケツァルコアトルスの注意を引くため。
そして、オルニトミムスとジェフへの作戦開始の合図でもある。
さらに数個の火の魔石を投擲した後、イリスはおもむろに身を翻し、全速力で西へ向かって走り出す。
森から離れれば離れるほど、オルニトミムスとジェフがケツァルコアトルスに見付かる可能性は低くなる。
ジェフが隠蔽魔法を使う手筈になっているが、そもそもケツァルコアトルスがそちらに行かなければ良い話だ。
だからイリスは全力でケツァルコアトルスを挑発するし、ラズライトは全力でそれを補佐する。
《火炎弾!》
夕暮れ時、それも西方向から放たれる火魔法は非常に判別しづらいはずだが、ケツァルコアトルスはひらりと避ける。
ただ、こちらが攻撃して来るのが気に入らないのだろう。
巨体に渦巻く魔力がどんどん上昇している。
《イリス、多分そろそろデカいのが来る!》
「上等!」
イリスが走りながら強気に口の端を上げ、ポケットから魔石をいくつも取り出す。
「合図よろしく!」
《了解!》
応じて、ラズライトは圧縮バッグの上からケツァルコアトルスの様子を窺う。
イリスがかなりの速度で走っている上、ラズライトが散発的に魔法を使うため、ケツァルコアトルスは距離を詰めたくても詰められないでいた。
その苛立ちが頂点に達したのだろう。
ケツァルコアトルスは大きく羽ばたいて上昇し、甲高い鳴き声を上げた。
くちばしの先に、青白い魔法陣が展開する。
《今だよ!》
「!」
イリスが急ブレーキを掛け、振り返りざま魔石を全力で投擲する。
投げ放たれた石に、ラズライトは即座に魔力を放った。
──轟──!
ケツァルコアトルスの眼前で風の魔石と炎の魔石が弾け飛び、一瞬で巨大な炎嵐と化す。
爆発的に膨れ上がった炎は、魔法陣もろとも空の魔物を呑み込んだ。
甲高い鳴き声と、怯む気配。
(でも──)
ケツァルコアトルスは本来、風の魔法の使い手だ。
魔石には大した持続力も無いし、この程度の炎ではダメージにはならないだろう。
案の定、数秒もしないうちに炎は小さくなり、その向こうに巨大な影が見えた。
だが──それが狙いだ。
「──!」
イリスがこぶし大の道具を投げる。
それは直線的なコースを描いて飛び、炎を超えてこちらに突っ込んで来ようとした魔物の目の前で発動した。
──カッ!
目を伏せていても分かる、真昼の空よりなお明るい、真っ白な光。
魔法閃光弾の威力は絶大だ。
ケツァルコアトルスの悲鳴が上がり、羽音が大きく乱れた。
「よしっ──」
左腕をかざして目をかばっていたイリスが、小さく快哉を叫ぶ。
続く言葉は、ラズライトの念話ときれいに重なった。
《「逃げよう!」》




