49.台地から地上へ
ジェフに圧縮バッグを背負ってもらい、そのジェフを圧縮バッグごとイリスが背負う。
お互いの身体をベルトで固定し、ラズライトが圧縮バッグの上部に収まれば、降下の準備は完了だ。
「全員、準備は良い?」
《大丈夫だよ》
「よろしくお願いします」
当初、ジェフはイリスに背負ってもらう事に難色を示していたが、氷漬けから脱したばかりの彼は歩行すら困難だった。
それを自覚したら、後は早かった。
「…」
イリスが真剣な目で、ワイヤーロープにセットされた降下用の吊り具を確認する。
形としては、『あちらの世界』で言う電車の吊り革を全部金属にして、かなりごつくした感じだ。
握りの部分にレバーが付属していて、それを強く握ることでブレーキが掛かるようになっている。
ワイヤーと吊り具の耐荷重は、余裕を持って大人5人分ほど。2人と1匹なら問題無いはずだ。
「──じゃあ、行くよ」
イリスが崖に背を向けた状態で、軽く地面を蹴った。後ろ向きのまま、崖から飛び降りる。
浮遊感は一瞬で、すぐに落下感。
次いでブレーキが掛かり、後は一定の速度で降下し始めた。
ジイイイイ、と吊り具が鳴る。
(この音…あいつに聞き付けられないと良いけど)
今、ラズライトたちは完全に丸見えの状態だ。
ケツァルコアトルスが出入りする洞窟の入り口がどこに面しているかは分からないが、こちら側に来られたら、まず間違い無く見付かる。
とはいえ、むやみに降下速度を上げる事もできない。
道具の強度に余裕はあるが、制御を誤れば百メートル以上を自由落下する羽目になる。
(…!)
半分ほど降下した頃、ラズライトの耳が重い羽音を捉えた。
音のする方を振り仰ぐと、南の上空に独特のシルエットが見えた。
《イリス、来た!》
ラズライトの警告と同時、イリスがパッとブレーキレバーを放す。
「しっかり掴まって!」
「は、はい!」
一気に、3倍近い速度まで加速する。
吊り具の摩擦音が甲高くなり、風にあおられて大きく身体が振れた。
岩壁に叩き付けられそうになるのを、イリスが壁を蹴って回避する。
風切り音が、すぐ近くで響いた。
(…!)
間近で見る翼竜の眼は、侵入者への怒りに燃えていた。
がぱ、と口が開く。そのまま全員を一飲みにする気だ。
「跳ぶよ!」
イリスが吊り具から手を放し、ダン、と岩壁を蹴った。
飛び来るケツァルコアトルスのくちばしが、真下すれすれを通過する。
ケツァルコアトルスの真上で上体をひねったイリスは、翼竜の背中でバク転をするように両手を使ってさらに跳躍し、崖から距離を取って落下するコースを取った。
その時点で、地面までの距離はそれほど残っていなかった。
イリスが足を下にして体勢を立て直した直後、巨木の樹冠に突っ込む。
「…!!」
ジェフの声にならない悲鳴を背中に、イリスが右手でワイヤーフックを投擲する。
いざという時のためにと、昨日街で買い求めたものだ。
ワイヤーを収納したパーツを腕に装着し、袖口の中にしまい込めるようになっていて、先端のフックを木の枝や岩の出っ張りに引っ掛ければちょっとしたワイヤーアクションができる。
ただし、耐荷重は成人男性1.5人分程度だが。
「…っ!」
フックが巨木の大枝に掛かり、イリスが両手でワイヤーを掴んで引き寄せる。
ぐん、とそちらに引っ張られ、落下する方向が変わった。
フックを支点に、大きく弧を描いて森の中を落下する。
ロープを使って木から木へ飛び移るアクションに近いが、速度が乗っている分、体に掛かる負荷は段違いだ。
ワイヤーを持つイリスの口から、苦痛に耐えるような呻きが漏れた。
弧の頂点──一番地上に近付いた時、嫌な音を立ててワイヤーが切れた。
(落ちる…!)
フッと身体が軽くなったような感覚。
しかし実際には、ワイヤーが切れて荷重が掛からなくなっただけで、その勢いのまま空中に放り出される。
「──ふっ!」
イリスが再び身をひねり、宙返りをして体勢を立て直した。
目の前にあった太い枝を両手で掴んで勢いを殺し、『あちらの世界』の体操選手が鉄棒から飛び下りる時のような動作で、両足を揃えた状態で再び空中へ。
そこから地上までは、3メートルも無かった。
上手く両足から落下したイリスは、しっかりと膝を曲げて衝撃を吸収し、数秒後に深い溜息をついて立ち上がった。
「…ふう。100点満点?」
《途中が一々怖かったから減点。70点だね》
「あらヤダ辛辣」
「…」
ラズライトのコメントに、イリスが飄々と返す。
イリスに背負われたままのジェフは黙ったままだ。顔を覗き込むと、真っ青な顔で目を回していた。
《ジェフ、大丈夫?》
「………え、ええ。だいじょうぶ、デス」
呂律が回っていない。
《ちょっと休みたいところだけど…僕らがこの森に居るって、あいつにバレてるよね?》
「そうだね。多分、上空から見張ってると思う──ほら」
イリスがそっと木の真下に移動しながら、頭上を指差した。
木々の葉の向こうに、独特のシルエットがちらりと見える。それなりの高度を飛んでいるのは、全体を見渡せるようにだろう。
この森から出たら最後、すぐに見付かるのは間違い無い。
《どうする?》
「夜目は利かないと思うから、日没を待って移動するか──いや、あいつ洞窟の中に居たよね?」
《居たね》
「…私たちが侵入した時は灯り魔法を使ってたから明るかったけど、洞窟の中って普段は真っ暗だよね?」
《あそこはヒカリゴケも無かったし、多分そうだろうね。あいつ自身が灯り魔法を使えるとも思えないし》
「…じゃああいつ、その気になれば暗い所でも状況を把握できるんじゃ…?」
《…可能性は高そうだね》
「…うわあ…」
嫌な推測に、イリスとラズライトは揃って沈黙する。
もしあのケツァルコアトルスが暗闇でも状況を把握できる能力を持っていたとしたら、夜を待つのは悪手だ。
ラズライトもイリスも夜目は利くが、昼間よりは格段に動きにくい。
あの、とジェフが小さく手を挙げた。
「隠蔽魔法で身を隠しながら移動するのはどうでしょう?」
《隠蔽魔法って…ジェフ、使えるの?》
驚いて尋ねると、ジェフは軽く頷いた。
「ええ。本調子ではありませんので、持続時間はさほど長くないと思いますが…多少は距離を稼げるのではないかと」
思わぬ朗報に、ラズライトは目を輝かせる。
隠蔽魔法は、武器屋のオーナーであるブランドンが使う隠形魔法とは異なり、自分以外──例えば、他の人間や物を隠すのにも使える魔法だ。
使い方によっては犯罪行為も自由自在に行えてしまうため、体系立てて教えてくれる本や施設は存在しない。そのため、独自に術式を開発する以外に習得方法が無く、使い手は非常に珍しい。
《それなら望みはあるかも》
「うん。…でも、もう一押し何か欲しいな…」
視線を巡らせたイリスが、ふと顔を上げた。
覚えのある気配が近付いて来る。
程無く、ガサガサと茂みが揺れ、にゅっと細長い頭が突き出した。
「クルァ!」
《君、昨日の》
赤目のオルニトミムスはこちらを見るなり遠慮無く近付いて来て、イリスに背負われたジェフの匂いを熱心に嗅ぎ始めた。
戸惑うジェフに、ざっくり昨日の出来事を説明する。
《昨夜イリスが夕食を分けてあげたら、何かこっちを気に入ったらしくて。3日で台地の調査を終えるから、下で待っててってお願いしてあったんだよ》
まさか本当に待ってるとは思わなかったけど。
「ご飯で懐いたんですか」
「同じ釜の飯を食うって大事らしいですし」
《何か違う気がする》
「クルルっ」
話していると、オルニトミムスはようやく納得したのか、嗅ぐのをやめた。
それを見ていたイリスが、ポンと手を打つ。
「そうだオルニトミムス、協力してくれない?」
「ル?」
首を傾げるオルニトミムスに、イリスは思わぬ要求を始めた。
それは──




