48.脱出
《ケツァルコアトルス!》
心底ぞっとしながら、ラズライトはその名を叫ぶ。
南の半島に生息する飛行型魔物の中で、最大級のサイズを誇る種類だ。
最も大きい個体では翼長10メートルを超え、胴体よりもくちばしから首までの方が長いという、非常に特異な体格をしている。
『あちらの世界』では、中生代白亜紀に生息していた翼竜の一種で、史上最大級の飛行生物。
こちらの世界では、それに加えて風の魔法と重力魔法を操り、飛行能力も攻撃能力も格段に上がっている。
個体数が少なく積極的な討伐対象ではないが、非常に戦闘能力が高いため、人間を襲う事を覚えてしまった個体に関しては、ギルドが討伐隊を組んで『処理』する事になっている。
その巨大な飛行型魔物は、こちらを見るなり目の色を変え、殺気立った声を上げた。
「とりあえず逃げるよ!」
イリスが駆け出す背後で魔物の足音が響いた。
ラズライトが見遣ると、翼を広げない状態でもイリスの3倍はありそうな魔物が、四つん這いで突進して来ている。
《あいつ速い!》
その速度は、ラズライトの予想よりはるかに速い。
ケツァルコアトルスは走るのが苦手なはずだが、一体どういう事なのか。
「くうっ…!」
イリスがさらに速度を上げた。
侵入口まではそんなに離れていないのに、恐ろしく遠く感じる。
それでも、実際には数秒だったのだろう。
「──!」
イリスが岩の裂け目に体をねじ込み、強引に通路へ駆け込んだ直後、
──ドン!
岩と岩がぶつかり合うような激しい音を立てて、岩の裂け目に巨大なくちばしが突っ込んで来た。
くちばしだけで2メートル近くあるだろうか。
幸い、岩を砕くほどの攻撃力は無いようで、ケツァルコアトルスはくちばしを岩の裂け目に突っ込んだところで止まった。
かなり殺気立っているらしく、ガチガチガチと、巨大なくちばしが激しく打ち鳴らされる。
「うわ…」
振り返ったイリスが、岩の裂け目がくちばしだけで埋まったのを見て顔を引き攣らせた。
《イリス、今のうちに!》
「うん!」
即座に身を翻し、地上へ向かって走り始める。
背後で魔力が膨れ上がった。
イリスの肩に掴まったまま振り向くと、突き出されたくちばしの先端に、青白い魔法陣が展開している。
(氷魔法!)
反射的に、ラズライトは魔力を練り上げた。
《火炎弾!》
放たれた複数の火球が、魔法陣から飛び出して来た氷の槍とぶつかり、いくつかを相殺する。
消し切れなかった数発はイリスのわきを掠め、前方の地面や壁に突き刺さって周囲を凍り付かせた。
「何でケツァルコアトルスが氷魔法!?」
凍り付いた部分を跳び越え、イリスが悲鳴じみた声を上げる。
ケツァルコアトルスが使う魔法は、風魔法と重力魔法。
氷魔法まで使えるとは聞いた事が無い。
《考えるのは後! 今は逃げなきゃ!》
「のおおおお…!」
だが、これではっきりした。
あの広い空間の氷を作り出したのも、ジェフ達を凍り付かせたのも、あの魔物だ。
さらに数発氷の槍を喰らいそうになりながらも、ラズライトの炎魔法の援護を受けたイリスが洞窟を駆け上がる。
「──!」
地上に出た時には、既に日没寸前になっていた。
夕日で赤く染まっているが、洞窟の中と比べればかなり眩しい。
ラズライトが灯り魔法を消すと、イリスは一旦男性を地面に下ろし、洞窟入り口に放置していた圧縮バッグを素早く背負った。
「このまま地上まで逃げよう。台地の下の森に入れば、とりあえず直接攻撃されるリスクは減る」
《そうだね》
森に居るとバレれば、森ごと氷漬けにされる可能性も無いわけではないが──そこまで大規模な魔法を使えるほどの魔力量ではないと思いたい。
その後再び移動し、林の中で降下の準備をしていると、地面に横たえた男性が小さく呻き声を上げた。
「う…」
《意識が戻った?》
ゆっくりと瞼が開き、茶褐色の瞳がラズライトを捉える。
不思議そうに眉を寄せた男性は、横からひょいと覗き込んで来たイリスに視線を移し、やはり困惑の表情を浮かべる。
「目が覚めたんですね。良かった」
「ここは…私は、魔物にやられたはず…」
そこまで言って、視線が斜め上を向いた。
「──いや、そうか。あなた方が助けてくださったのでしたね」
《覚えてるの?》
まさかそこまで把握しているとは思わなかった。
氷漬けにされたまま、意識を保っていたのだろうか。
「おぼろげですが…あなたがたの姿が見えた後、炎に包まれたのは把握しています」
「あー…」
閉じ込められた側の人間からしたら、ちょっと刺激が強すぎたかも知れない。
そっと視線を逸らすイリスに、男性は苦笑した。
「本当にありがとうございます。あの状態がもう少し続けば、死ぬところでした」
《安心するのはまだ早いよ》
感謝の言葉を述べる男性に、ラズライトは首を横に振る。
《今、氷魔法を使うケツァルコアトルスに追われてる。多分だけど、あいつがあなたたちを氷漬けにした魔物だよね?》
「…ええ。同じ個体かは分かりませんが、確かに私たちを氷漬けにしたのもケツァルコアトルスでした」
やはり、あの特異な魔物が犯人か。
ラズライトは一つ頷いて、言葉を続けた。
《僕らだけで全員を救出するのは無理だったから、ギルドへ戻って救助要請を出そうと思ってるんだ。だけど、あいつに見付かったら、多分僕ら全員やられる》
「…そう、ですね」
「まあそうならないためにも、さっさと台地を脱出しようって話になってるわけで」
深刻な雰囲気を振り払うように、イリスが軽く肩を竦めた。
「あ──そうそう、私は新米冒険者のイリス。こっちは、相棒のラズライトです」
「ああ…申し遅れました。私は、元冒険者のジェフと申します」
横になったまま、男性はそう名乗った。
《じゃああなたが、ジーンのお父さん?》
「娘をご存知なのですか?」
《僕ら、カラスの羽休め亭でお世話になってるから。ターニャさんも元気だよ。3年前に失踪した旦那さんを、ずっと待ってる》
「…ああ…」
告げた途端、ジェフの目に涙が浮かんだ。
震える手で顔を覆い、感極まった声で呟く。
「3年…3年も、待っていてくれたのですね…」
「だから、ちゃんと帰らなきゃ」
イリスが励ますように笑った。
「ジーン、自分で父さんを探すんだって、今にも南の半島に飛び出して行きそうだったんですよ。さっさと帰って、安心させてあげないと」
「それは…」
完全に予想していなかったのだろう。
涙が引っ込み、驚きに目を見開いた後、ジェフは嬉しいような困ったような笑みを浮かべた。
「──それは大変ですね。何が何でも、帰らなければ」




