29.冒険者になろう
査定詐欺事件は、ダレルの捕縛によって一先ず幕を閉じた。
後は、商業ギルドで改めて詳細な調査を行うという。
被害者が買取明細書を持って来て、被害額を証明できれば、商業ギルドの方で差額を補填するそうだ。
──イリスに関しては昨日の取引分しか証明できないため、それ以前の被害については泣き寝入りするしかないが。
「いやー、無事に解決して良かった良かった」
ダレルがギルドの護衛官に連行され、ハドリーとブランドン、バートが出て行った後の会議室で、イリスは上機嫌に伸びをする。
一番被害額が大きく、救済措置も適応外であるというのに、当人には悲壮感の欠片も無い。
《君、今まで自分が被って来た損害はどうでも良いの?》
一応訊いてみると、イリスはあっさり肩を竦める。
「後悔なら昨日散々したし。これからは適正価格で買い取ってもらえるし。それに、もう一晩カラスの羽休め亭にタダで泊まらせてくれるって言うんだから、もう良いかなって」
せめて穴埋めに、と、ブランドンがポケットマネーから今晩の宿代を出してくれた。
それだけで許すと言うのだから、イリスは心が広いのか大雑把なのか。
(多分両方な気がする)
溜息をつき、ラズライトはテーブルの上の紙に視線を投げた。
《まあ、君が良いなら良いけど。──で、書類、書けた?》
「まだ」
イリスがペンをくるりと回す。
テーブルの上にあるのは、冒険者登録用の申込用紙。
イリスが冒険者になるつもりだと言ったところ、『ここで書いてしまうと良いですよ』とジュリアがすぐに持って来てくれた。
1階の受付カウンターで好奇の視線に晒されながら書くより良いかと、有難くそれを受けることにしたのだが──名前を書いた後、イリスはぴたりと動きを止めてしまった。
《何が問題なの?》
尋ねつつ書類を覗き込んで、ラズライトはあっさりと納得した。
名前の下の記入欄は、種族名。
さらにその下は出身地。
外見でそれと分からないので、種族の欄にエルフと書いたら間違い無くひと悶着あるだろうし、出身地も『エルフの里』とは書けない。
そもそもエルフには、他種族──主にヒューマンによる『亜人狩り』の対象になっていたという歴史があるため、『出身地を他種族に明かさない』という不文律があるのだ。
《適当に書いたら?》
「…書類の書き方の説明に、『記入後、魔法道具で記載内容に虚偽が無いことを確認します』って書いてあるから、変な事書けない…」
《あー…》
嘘を書いたら一発でバレるという事か。
ならば、取るべき手段は一つである。
《じゃあ、書けるところだけ書いて、後は担当の人に相談するしかないね》
「それってありなの?」
《分からないけど》
「うう…」
イリスが苦悩の表情で書類に向き直り、種族名と出身地の欄を飛ばして他の項目を埋め始める。
性別、年齢、主な使用武器、得意とする分野──討伐、採取、護衛などの中から該当するものを選ぶようだが、選択肢の中に『夫婦喧嘩の仲裁』やら『爬虫類の世話』やらがあるのは何故だろうか──とりあえず、項目は大変多い。
「『ケットシーの世話』はマルっと…」
《いや君、どっちかって言うとお世話されてる側でしょ》
「ナンノコトカナー」
《丸付けて『嘘』判定されたらどうするのさ》
「いやー、大丈夫じゃない? …多分」
不毛な会話をしつつ、数分で書類を書き終える。
それを見計らったようにノックの音がして、ジュリアが入って来た。
「イリスさん、書き終わりましたか?」
ジュリアは買取カウンターだけでなく、冒険者ギルド本体の業務を行う受付カウンターでも働いていると言っていた。
今日の受付カウンターの担当者の代わりに、イリスの登録処理を請け負ってくれるらしい。
「えっと、一応」
イリスが空欄のある書類を恐る恐る差し出す。
それを受け取ったジュリアは、書面を見るなり眉間にしわを寄せた。
「イリスさん、種族名と出身地は書けませんか?」
「……諸事情ありまして」
さすがにここで『エルフです』と名乗る気は無いらしい。
イリスがそっと視線を逸らしたので、代わりにラズライトが訊いてみる。
《全部埋めなきゃダメなの?》
「そうですね…基本的には、全て書いていただく事になっています」
「おう…」
頭を抱えたイリスに、ジュリアが慌てて声を掛ける。
「ああでも、今までにも、一部空白のまま提出した方は居ますから! 保証人のサインがあれば、名前以外は空白でも良いんです!」
《保証人?》
「ええ」
保証人とは、文字通り、冒険者登録する者の人間性や実力を保証する人間の事らしい。
保証人がサインした専用書類を添付して提出すれば、登録情報に空欄があっても冒険者登録が可能となる。
事情があって自分のプロフィールを全て明かせない人間に対する、一種の救済措置だという。
ただし、保証人付きで冒険者登録をした者が問題を起こした場合、その保証人が責を負う事になる。早い話が、連帯責任で罰金を払わなければならない。
そのため、基本的に好き好んで保証人になる者は居ない。
それに、誰でも保証人になれるわけではない。
「保証人になれるのは、冒険者ギルドメランジ支部と10年以上の取引実績がある商会、商店、または工房の責任者。もしくは、5年以上の活動実績がある冒険者で、この支部で冒険者登録をした者ですね。イリスさんの場合、空白項目が2つありますから、2人の保証人が必要です」
《それって意外と難しいんじゃ…》
「難しいの?」
「ええ…そうですね」
ジュリアは頷いて、首を傾げるイリスに丁寧に補足してくれる。
南の半島への玄関口だけあって、この街には冒険者に関連した店や工房がたくさんある。
だが、冒険者ギルドと直接取引をしていて、かつそれが10年以上続いている店となると、数は極端に少ない。
小規模な店や工房は、冒険者ギルドと直接取引するのではなく、大店に仲介を頼む事が多いからだ。
そして、この街で登録を行い、かつ活動実績が5年以上の冒険者。
こちらも実は比較的珍しい部類に入る。
この街は冒険者の数は多いが、大部分は一獲千金を夢見て他の街からやって来た者たちだ。
南の半島は危険度が高く、初心者向けではない事が大きな理由である。
この街の出身者が冒険者登録を行う場合、周辺地域の危険度が低い中央都市や東の都市の支部までわざわざ出向く事が多い。
そちらである程度経験を積んでから、この街に帰って来るそうだ。
つまり、この街の支部で冒険者登録を行う人数自体が少ない。
「うへぇ……」
状況を理解したイリスが、何とも言えない顔で呻く。
そもそも彼女の場合、彼女の実力や人柄を保証してくれるような人間がこの街に居るかどうかも怪しい。
冒険者と親交があるわけでもなさそうだし、鉱石の買取を頼んでいた武器屋の担当者はあの有様。強いて言えば、今回の騒動で知り合った武器屋オーナーのブランドンが保証人の条件に合致しそうだが、
《ちなみにブランドンは?》
「ブランドンさんの場合、店と冒険者ギルドとの取引実績は条件を満たしていますが、本人がオーナーになってから日が浅いので…保証人として認められるかは微妙な線ですね」
訊いてみると、概ね予想通りの答えが返って来た。
《分かった。ちょっと考えてみるよ》
ラズライトが頷くと、ジュリアはすまなさそうに眉を下げた。
「冒険者ギルドとしては、イリスさんのような優秀な採取屋の方にはぜひ登録していただきたいので…よろしくお願いしますね」
イリスではなくラズライトに頭を下げるあたり、ジュリアもイリスとラズライトの関係性を理解してきたようだ。




