23.母子の事情
ヤギ乳を飲み干して顔を上げると、ターニャは穏やかに目を細めていた。
そういえば、カラスの羽休め亭は食堂兼宿屋のようだが、夕食時だと言うのに客の姿は無い。
宿泊客もイリスとラズライト以外には居ないようだ。
《お客さん、久しぶりなの?》
どう訊いたら良いのか迷った結果、大変ストレートな質問になってしまった。
しかしターニャは気分を害した様子も無く、あっさりと頷く。
「昔は冒険者ギルドと提携していたから、宿泊も多くて結構にぎわっていたんだけどね。今は近所の人がご飯を食べに来るくらいさ」
《提携、やめたの?》
「ああ」
聞けばこの店は、ターニャが結婚を機に冒険者を引退し、始めたものだと言う。
夫は元々冒険者仲間で、『カラスの羽休め亭』という名前は、夫が『自分が帰って来る場所』という意味を込めて名付けたのだそうだ。
最初の頃はターニャの昔馴染みの冒険者や夫とパーティを組む仲間たちが常連となり、繁盛していたらしい。
しかし、ジーンが生まれ、彼女が10歳くらいになった頃、ターニャの夫は冒険者を引退。同時に、冒険者ギルドとの提携を解消した。
曰く、『可愛い可愛い一人娘が、冒険者のいざこざに巻き込まれては困る』。
《……親バカ?》
「ああ、典型的な親バカさね」
思わず呟いたら、真面目な顔で肯定された。
しかし、ターニャの夫君の心配も分かる。
可愛い子ども、まして女の子となれば、荒くれ者の多い冒険者の中に好き好んで放り込もうとする親は居ないだろう。トラブルが起きてからでは遅いのだ。
当時既にある程度の蓄えがあったので、夫が冒険者を引退しても、宿として冒険者ギルドとの提携を解消しても、それほど問題は無かったそうだ。
だが、客足は目に見えて減り、冒険者の話を聞いては目を輝かせていたジーンは、ふさぎ込むことが多くなった。
そこに追い打ちをかけたのが、ターニャの夫、つまりジーンの父の失踪だ。
「昔の冒険者仲間に、どうしてもって頼まれてね。助っ人として南の半島に行って──それっきりさ」
あっさりとした物言いだが、その目には言いようの無い複雑な色が揺れている。
夫君が行方不明になったのは、もう3年も前のことだと言う。
参加していた冒険者パーティが全員失踪したらしい。
何か事故に巻き込まれたのか、それとも──あまり考えたくはないが──意図的に姿を消したのか。
当時、冒険者ギルドでも大騒ぎになり、大々的に捜索隊が組まれたが、行方不明者は誰一人として戻ることは無く、手掛かり一つ見付けられずに、捜索は丸1年で打ち切られた。
「…あの子があんなに楽しそうなのは、久しぶりだよ」
夫君が行方不明になった後、ターニャは生活のため、毎日必死で働いた。
おかげで経営はある程度安定したが、ジーンのケアは後手に回ってしまった。
気付けばジーンは、丁寧だが冷静過ぎる態度で人に接するようになってしまっていた。
《それは…》
仕方がない。そう言おうとして、ラズライトは言葉を続けられなかった。
ターニャは今のジーンの変化を喜んでいるが、その目には強い後悔がある。
「──っと。すまないね、お客様にこんな話」
《いいよ、気にしないで》
我に返ったターニャに、ヤギ乳のお礼だよ、と応じると、彼女は肩の力を抜いて苦笑した。
「ラズライトさんは、不思議なケットシーだね。何だかずっと年上の知恵者に話を聞いてもらっている気分になるよ」
《そりゃあどうも》
実際ラズライトは今生だけでも50年以上生きているから、恐らくターニャより年上だ。
今まで生きてきた記憶を足し合わせたら、もっと長い。
《一応、僕も色々経験してるからね》
わざとらしく胸を張ると、ターニャがブフッと吹き出した。
素の笑顔は、ジーンととても良く似ている。
《それじゃあ僕は、そろそろ部屋に戻るよ。ごちそうさまでした》
「ああ、ありがとうね」
《どういたしまして》
ターニャと言葉を交わし、2階の客室へ戻る。
イリスは部屋に居なかった。室内着が無くなっているから、そのまま風呂に入っているのだろう。
──しばらくして、とても満足そうな顔をしたイリスが、ほかほかと湯気を立てながら戻って来た。
「ただいまー」
《おかえり》
室内着に着替えたイリスは、見るからにリラックスしている。
髪も体もきちんと洗ったようで、髪は艶を増し、肌も一段明るくなっていた。
「いやあ、いいお風呂でした…」
ラズライトも入れば良かったのに、と言われ、顔を顰める。
《僕は人間じゃないから、お風呂は入らなくて良いの》
「でも、汚れてたらベッドに乗っちゃいけないんでしょ?」
イリスがこれ見よがしにボスッとベッドに腰掛ける。
ラズライトは鼻の頭にしわを寄せて魔力を解き放った。
《洗浄!》
足元に魔法陣が出現し、全身が水に包まれる。
濡れる不快感は一瞬で、すぐに水は消えて無くなった。
被毛を濡らす残った水分も、暖かい風が吹いてあっという間に乾いて行く。
水・風・火属性の連鎖魔法。
細かい制御が必要なのでケットシーの姿でなければ使えないが、濡れても平気な物であれば簡単にきれいにできる、とても便利な魔法だ。
なお、似たような効果で光属性の『浄化』魔法があるが、こちらは魔力を使って汚れだけを分解するものだ。
使い手はかなり希少で、ラズライトも使えない。
《これで文句ないでしょ》
ラズライトが向かいのベッドに飛び乗ると、イリスは唇を尖らせた。
「ずるい」
《ずるくない。ついでに君の服もきれいにするから、出して》
昼間着ていた服を魔法で洗浄すると、一瞬で見違えるようにきれいになった。
「ワオ、便利」
《と言うか、今まであんなに汚い服を着てたんだって事に危機感を持って欲しいね》
洗ってみて分かったが、もはや色味も別物だ。
埃や皮脂だけであんなくたびれた見た目になっていたのだと思うと少々ゾッとする。
「じゃあ、今後定期的に洗ってもらうって事で」
イリスは全力でこちらを頼る気満々だった。
《別に良いけど、それを要求するならちゃんと替えの服も揃えてよ》
「………頑張りマス…」
交換条件を突き付ければ、イリスはとてもぎこちない動きで頷いた。
「ところで、ラズライト」
切り替えの早い所は、イリスの美徳か欠点か。
《何?》
「武芸の心得の無い15歳の女の子が冒険者になるって、どう思う?」
《無謀だね》
きっぱりと答えながら、すぐに誰のことかピンときた。
《ジーン、冒険者になりたいって言ってたの?》
イリスが頷き、軽く首を傾げる。
「…と言うより、南の半島に行きたいのかなあ。どうして冒険者になりたいのって聞いたら、今まで行った事が無いから、南の半島に行ってみたいんだって言ってて」
でも、と続ける。
「好奇心で言ってる感じじゃなかったんだよね。何か、すごく思い詰めてる感じで」
イリスの瞳には、ジーンを心配する色があった。
南の半島は、街の北側に広がる平原地帯に比べて格段に危険度が高い。
自分の身を守れない者が足を踏み入れるのは自殺行為に等しい。この街の者なら誰もが知っている常識だ。
それを踏まえてなお、南の半島に行きたい理由。
ラズライトに思い付くのは一つしか無かった。
《…もしかして、ジーン、お父さんを探しに行こうとしてる?》
ちょっと矛盾点が生じてしまったので、修正しました(2021年8月15日)
(修正点:ジーンのお父さんが冒険者を引退した時期)




