170.森と平原
エルフの里を出発して3日。
休憩と野営を挟みながら、ようやく一行は広大な森を抜けた。
「──平原だぁ…!」
唐突に拓けた視界。イリスが大きく伸びをする。
目の前に広がるのは、広大な平原地帯。多少の起伏はあるが、地平線まで見渡せる。
もう少し東へ向かえば、南北を結ぶ大きな街道に出るらしい。
逆に言えば、この辺りは人通りも少ない。
そのさらに奥にある広大な森の中にエルフが住んでいるなど、この国の人間は想像もしていないだろう。
《平原だねぇ…》
《やっと抜けましたね…》
ラズライトも肩から飛び降り、地面の上で思い切り身体を伸ばす。
ネロは止まり木の上で周囲を見渡し、ホッと息をついた。
つい先程まで、周囲は木と木と灌木と朽ち木と下草と枯草ばかりだった。
それでも、秋が深まるこの時期はかなり歩きやすい部類のはずだ。夏だったらもっと鬱蒼としていただろう。
「すごい…」
ホッとしているラズライトたちに対して、ビオラとアイビーは目を見開いている。
彼らは里とその周囲の森しか知らないから、こんなに見渡す限りの平原は初めて見るのだろう。
平然としているのはラフェットとレオンだけだ。経験の違いだろうか。
「今日はこの辺りで野営しましょうか。イリス、野ウサギでも狩って来て」
「何匹要る?」
「2匹か3匹かしらね…」
ラフェットの注文に、イリスが即座に了承を返した。
圧縮バッグを地面に下ろし、わくわくとした顔で準備運動を始める。
森の中ではビオラとアイビーの方が活躍していた。『森の人』と言われるだけあって食べられる植物や木の実を見付けるのが上手いし、障害物の多い中で軽々と獲物を狩っていたのだ。
どうやらイリスはそれを見て、微妙にフラストレーションが溜まっていたらしい。
(…まあ気持ちは分かる)
ラズライトはイリスの肩に飛び乗った。
《僕も手伝うよ。ネロはこの辺りに危ない魔物が居ないか、見回って来てくれるかな?》
《分かりました、任せてください!》
イリスがこれならネロもだろう。
そう思ってお願いしたら、ネロが勢いよく翼を広げた。
森の中では飛べないわけではないはずだが、飛ぶのを我慢している節があった。
多分、イリスとラズライトと行動を共にする以上は、はぐれるわけにはいかないと思っていたのだろう。
根が真面目なのだ。
ネロが勢いよく飛び立つと、イリスも短剣を手に平原へと足を向ける。
「イリス、俺も行って良いか?」
「私も」
興味津々の顔でアイビーとビオラが声を掛けて来た。
イリスはすぐに頷く。
「勿論」
ラフェットとレオンが苦笑した。
「あまり遠くまで行くなよ」
「私たちはここで準備してるわね」
「はーい」
軽く手を振って、イリスは改めて意気揚々と平原に出る。
ついて来るアイビーとビオラは、最初は恐る恐る、次第に軽快な足取りで歩き始めた。
「すごいわ。植物が全然違うのね」
「匂いも違うな」
周囲をひたすら見回しているので、足元が疎かになっている。
「アイビー、止まって。足元にムカデが居る」
「え?」
アイビーが首を傾げた時には、イリスが地面に短剣を突き刺していた。
2つに分かれた藍色の胴体が突如ビチビチとくねりながら跳ね飛び、アイビーの靴に当たる。
「うわっ!?」
平原名物、アオムカデだ。
ムカデと言っても普通の5、6倍の大きさで、最大体長は人間の腕の長さを軽く超える。
太さも節の数も相応にあり、足の多い生き物が苦手な人には親の仇のように嫌われている。
人間を積極的に襲うことはないが、巨大な牙を持つ肉食生物だ。
知らずに踏ん付けると太腿辺りをがっつり噛まれ、牙に備わった毒で患部が腫れ上がり、何日も苦しむ。
ラズライトも前の前の世かそれよりさらに過去、冒険者をやっていた時代に一度だけ噛まれたことがある。
噛まれたところが軽く倍以上に膨れ上がり、全身に回った毒で高熱が出て、5日近くベッドから起き上がれなかった。致死性のある毒ではなかったことが不幸中の幸いだった。
それ以来、ムカデ除けの香草だけは欠かさなかった覚えがある。
「何だこれ!?」
「アオムカデ。平原じゃわりとよく見る生き物だよ」
「こ、これがよく居るの…?」
アイビーとビオラがドン引きしている。
イリスはぴくぴくと動いているアオムカデの死骸を軽く爪先で蹴って遠くへやり、あ、と呻いた。
「そっか。普通は旅装にムカデ除けの香草が使われてるんだけど、ビオラたちの装備は森の中用だもんね」
周囲を見渡し、少し遠くにあった小さな草を摘む。
「これこれ。この葉っぱをすり潰して布に染み込ませると、ムカデ除けの効果があるんだ。冒険者用のマントとかズボンには必ず使われてるよ」
冒険者や行商人向けの服は、作成時点でこの香草を煮出した液に浸け、成分を染み込ませてから作られている。旅人に必須のアイテムだ。
匂いはそんなに感じないのだが、アオムカデの嫌う成分は洗ったりしても長く残る。一度処理しておけば数年はもつと言われている。
《折角だから、今処理しちゃおうか。アイビー、ビオラ、ちょっとマントを借りて良い?》
ラズライトが提案すると、2人はすぐにマントを脱ぎ、こちらに差し出して来た。
魔力を解き放ち、風魔法で2枚のマントを空中に浮かせる。
《イリス、香草をマントに投げて》
「分かった」
草が加わったところで、水球で全体を包み込む。
香草をすり潰しながらぐるぐると暫く回転させ、最後は火魔法と風魔法の連携で乾かして終了だ。
目まぐるしく変わる魔法に、アイビーとビオラが目を見開いている。
《──はい、完成》
「あ、ありがとう…」
「すごいな…」
《これくらい普通だよ》
一応、少々普通ではない自覚はあるが、敢えて平然と応じてみる。
元通りにマントを羽織った2人は、ホッと息をついた。
「相変わらず便利だよね、ラズライトの魔法」
《洗濯屋扱いされることもあるよね、君に》
「ふふーん」
じろりとイリスを見遣ると、サッと視線を逸らされる。
直後、イリスが目を輝かせた。
「野ウサギ発見!」
確かにイリスの視線の先には、野ウサギが草を食んでいる。
が。
──少し離れた場所に、不自然な地面の盛り上がりがあった。
《イリス、待った! あれって…》
「あ、あれねー」
ラズライトが耳をピンと立てて警告すると、イリスは飄々と肩を竦める。
「放っておいて良いんじゃない? ここ、人里から離れてるし」
《人里から離れてても僕らは近いでしょ!》
「え、何? 何かあったの?」
イリスはとっくの昔に気付いていて、無視するつもりだったらしい。
動揺するビオラに、平然と告げる。
「あの地面の盛り上がりね、多分大口トカゲっていうでっかいトカゲ型の魔物。野ウサギが近付いて来るのを待ってるんだと思う」
大口トカゲはその名の通り体長の半分近くが口という大型魔物で、昼間は地面の下に潜んで真上に獲物が来るのを待ち、夜は地上に出て寝ている生き物に襲い掛かる。
冒険者ギルドでは優先討伐対象に指定されている魔物である。
ラズライトが説明すると、ビオラとアイビーは青くなった。
地面に潜るという性質上、ビッグ・マウスは森には入って来ない。
先程のアオムカデといい、森を抜けた途端に危険生物に遭遇するのでは、たまったものではないだろう。
《イリス、2人が怯えてるからさっさと倒して野ウサギ捕まえるよ》
「へーい」
ラズライトが促すと、イリスはひょいとラズライトを抱え上げる。
そして、
「──風の剣!」
風の刃が魔物を巻き込み、盛大に地面を抉り取った。




