167.仕切り直し
カトレアに引っ張られて着いたのは、里の外れにある比較的新しい家だった。
「ここ、私たちの家よ。ほら、傷口洗い流すからまず手を出して」
木桶をテーブルに置いて、カトレアが有無を言わさぬ態度で言う。
イリスが大人しく木桶の上に手を置くと、ばしゃんと水が掛けられた。
カトレアの魔法だ。
「い゛っ」
「我慢しなさい」
結構豪快に洗い流している。
ラズライトは魔法でそっと水球を浮かべ、イリスの左頬の傷に押し当てた。
「お?」
《イリス、ちょっと我慢してね》
ぎゅるんと水球の中身を回転させたら、イリスが変な顔で硬直した。
「~~~!?」
とても痛いらしい。
が、ガラスの破片が中に残っていたら大変なので、ここは敢えて加減しないでおく。
「……」
カトレアとラズライトが魔法を止める頃には、イリスは何だかぐったりしていた。
「イリス、薬を塗るから顔を上げて」
「…ハイ…」
ビオラに言われて、イリスがよぼよぼと顔を上げる。
草色の軟膏を頬と手の甲に塗り、その上から丸っこい葉を貼り付けると、ビオラが満足そうに頷いた。
「はい、これで良いわ」
ガーゼや包帯ではなく生の葉が直接貼られるのは、エルフの里ならではだろうか。
「あ、これササラの樹の葉?」
「そうよ。保湿効果が高くて魔力も含んでるから、傷の治りが早くなるの。昔教わったでしょ?」
「あったねえそういう話。確かアイビーが盛大にすっ転んだ時に教わったんだっけ」
「そうそう」
「…お前ら、そういうことだけ無駄に覚えてるよな」
木桶を片付けて来たアイビーが恨めしそうに呟く。
そりゃあ覚えてるよ、とイリスが笑った。
「植物の知識ってすごい役に立つもん。里を出てからじいちゃんに拾われるまで、食べられる植物が判別出来たから生き延びられたんだし」
『………え?』
今、何か衝撃的な言葉が聞こえた気がする。
んん?とビオラがこめかみに手を当てた。
「ちょっと待ってイリス。里を出てすぐ、トパーズさんに保護されたんじゃないの?」
「いや? 多分10日以上経ってたんじゃないかな。とにかく里から離れなきゃと思って歩いて森を抜けて、そしたら岩場に出ちゃって、見るからに食べ物無さそうだしどうしようって思ってたらじいちゃんに見付かったんだよね」
「……岩場って…この辺りには無いぞ…?」
「確か前に、普通に森を抜けようと思ったら大人の足でも最低3日は掛かるってグラジオラスが言ってたような…気がする…」
「…イリス、よく無事だったわね…」
幼馴染たちの視線がイリスに集中する。
《…昔からそういう感じだったんだね、イリス》
「いやあそれほどでも」
褒めてはいないのだが。
「よーっすお前ら! メシが来たぞー」
ばーんと扉が開き、マングローブが入って来た。
その手には様々な──主に肉料理が載った大皿を携えている。
続いて入って来たヤグルマソウは、果物を少し。
最後に入って来て扉を閉めようとしたクレソンは、不意に外へと視線を向けて何やらやり取りし、振り返った時には数本の酒ビンを抱えていた。
「クレソン、今のってグラジオラス?」
「ああ。皆で飲んでくれ、だそうだ。多分秘蔵の酒だな…ああ、キイチゴのシロップもある」
「あー、謝罪のつもりかもな。あの人一応、イリスのじいちゃんでアヤメさんの父親だし」
アイビーにまで『一応』と言われている。
「折角だからいただきましょ! ついでにうちのアンズシロップも出すわ」
「ミント酒ならうちにあるけど…イリス、お酒飲めないわよね」
「いや、それなりに飲めるよ。さっきは面倒そうだったから断っただけ」
イリスがにやりと笑うと、カトレアたちも破顔した。
「よっし! じゃあ飲み直すか!」
アイビーがぱんと手を打ち、皆が手慣れた様子で動き出す。
「イリスたちはここに座ってお肉でもつまんでて。すぐ用意するから」
聞けば彼らは、よくこの家に集まって酒盛りをしているのだという。
道理で役割分担が出来ているわけだ。
丸テーブルに料理が並び、取り皿が渡され、コップが各々に配られて、あっという間に準備が整う。
集会所の時より料理や酒の種類が多いのは、ビオラたちが自宅から持ち込んだり、カトレアたちが即席で料理したりしたからだ。
木の実のはちみつ漬けや川エビの素揚げなど、珍しい物もずらりと並ぶ。
「イリス、飲み物どれが良い?」
「じゃあミント酒もらおっかな」
「ラズライトとネロはどうする? 魔タタビ酒もあるぞ」
《えっ》
ラズライトが思わず反応すると、イリスがあー…と呻く。
「ラズライトに魔タタビは…危険かもしれない」
「き、危険?」
「ほんのちょっとで滅茶苦茶酔っ払ってへべれけになるから」
メランジでの魔タタビスープ事件を思い出しているのだろう。イリスが遠い目をする。
ラズライトは慌てて念話を大きくした。
《あ、あの時は油断してただけだよ! 毎回ああはならない!》
ラズライトはドラゴンだが本質的には『ネコ』なので、魔タタビは嗜好品、しかもかなり好きな部類に入る。
なかなか口にする機会がないのだ、出会えたら是が非でもいただきたい。
ぶはっとアイビーが噴き出した。
「目がヤバい!」
《へっ?》
「ラズライト、瞳孔開いてるよ」
《…はっ!》
イリスに指摘されて我に返る。
ぶるぶると全身を震わせて落ち着こうとするが──無理だった。
《…いいでしょ。皆だってお酒飲むんだから》
「あ、開き直った」
ぶすっと椅子の上に座り、尻尾で座面を叩く。
《僕は魔タタビ酒! 絶対飲む!》
「分かった分かった」
マングローブが苦笑して、浅めの皿に魔タタビ酒を注いでくれる。
「ネロはどうしますか?」
《えっと…キイチゴのシロップを飲んでみたいです》
「分かったわ。水で薄めて出すわね。もっと濃い方が良いとかあったら、遠慮なく言って」
《はい!》
そうして全員に飲み物が行き渡ると、アイビーが大きなコップを手に立ち上がった。
「よーし皆、準備は良いな?」
にやりと笑い、コップを掲げる。
「イリスとの再会と、ラズライトとネロとの出会いを祝して!」
『乾杯!』
全員がコップを掲げて唱和する。
その掛け声と動作は、外の街でやっているのと同じだった。
ラズライトが目をぱちくりとさせていると、ビオラが笑った。
「びっくりした? 『巡りの者』が皆やってて、覚えたのよ」
《あ、なるほど》
里自体は閉じた社会だが、外の情報が全く入って来ないわけではない。
こうして取り入れられている文化もあるという。
「ま、俺ら全員『巡りの者』就任希望出してるからな。今から外の習慣に慣れといた方が良いだろ」
「とか言いつつ、楽しそうだからやってるだけだけどねー」
アイビーがもっともらしいことを言ったと思ったら、カトレアが肩を竦めた。
しかし、
《『巡りの者』の就任希望って?》
「あ、そっか。知らないわよね。子育てが終わったエルフに限り、希望すれば『巡りの者』になれるのよ」
「まだ子育て中だから、実際外に出られるのはまだまだ先だけどな」
「…希望者が多すぎて、長老たちが頭を抱えていましたけどね」
ヤグルマソウが苦笑する。
つまりイリスの幼馴染たちは全員、外に出ると宣言しているわけだ。
え?とイリスが首を傾げた。
「でも昔、ヤグルマソウとマングローブはずっと里に居たいって言ってたよね?」
「バッカお前、決まってるだろ」
マングローブがイリスの肩を叩く。
「みんな、お前を探しに行きたかったんだよ!」
「え…」
目を見開くイリスを見て、幼馴染たちが笑っている。
「だって帰って来いなんて言えないし、言いたくもなかったんだもの。心配は心配だったから、会いに行くしかないでしょ?」
「まあ実際そういう話になったのは、何年か前にグラジオラスが外でお前に会ったって騒いでたからだけどな」
「生きているなら会いたいと、意見が一致してな」
「外でどうやって暮らしてるのかも気になったし」
「じゃあみんなで『巡りの者』になって、大っぴらに里の外へ出てしまえ、って」
ねー、と顔を見合わせる。息がぴったりだ。
イリスは驚いた顔で固まっている。
肉親が『ああ』なのに、幼馴染たちが自分に会いに来ようとしていたとは思ってもいなかったのだろう。
だからね、とビオラが笑った。
「何年後か、何十年後かに外で会えたら、おすすめのお店とか紹介してね、イリス」
里に留まれとは言わず、ただ再会を望む言葉。
イリスはぽかんと口を開けた後、思い切り笑った。
「──うん!」
目尻に滲んだ涙に、ラズライトは気付かない振りをする。
《ちゃんと紹介できるようなお店、探しておかないとね、イリス》
《責任重大ですね》
「頑張る」
ネロもにこにこと笑い、場が和んだ。
さーて、とアイビーが料理に向き直る。
「じゃあ改めて、メシにするか!」
「ええ」
「仕切り直しね」
誰ともなく、再びコップを掲げる。
『乾杯!』
唱和する声は、どこまでも明るく。
ラズライトも声を合わせた後、魔タタビ酒に顔を突っ込み──
──覚えているのは、そこまでだった。




