151.クロスラムナの治安問題
「いやあ、良い買い物だった」
《買い物って言うか、ほぼ物々交換だけどね》
支払ったのは辰砂の代金だけで、他は全て翡翠と交換で手に入った。
自由が利く露店ならではの取引だが、どちらが得をしたかは微妙なところだ。
「良いの。翡翠をそのままギルドに持ち込むよりずっと良い物と交換できたし」
イリスはしっかり相場を確認していたらしい。
《じゃああっちの負け?》
「いや、そうでもないんじゃないかな。翡翠って、東方だと超高級宝石扱いだから。その筋に売れば軽く10倍以上の値段になると思う」
《え!?》
それはイリスがかなり損をしたということではないだろうか。
圧縮バッグの上でラズライトが叫ぶと、イリスはへらりと笑う。
「でもホラ、私はその筋の伝手なんか無いし。翡翠のお陰で目的の物がたくさん買えたんだから、それで良いじゃない」
あそこで翡翠を出さなければ恐らく辰砂は買えなかったし、紅睡蓮の種も香辛料も調味料も出て来なかった。
お互い欲しい物が手に入ったのだから、円満に取引成立で良しとする。
割り切り方が妙に大人だ。イリスなのに。
「何か失礼なこと言われてる気がする」
《気のせい》
いつものやり取りをしながら、裏路地に入る。
直後、ラズライトは背後に向かって魔法を放った。
《痺れろ!》
バタバタバタっと、複数の音。
振り返ると、5人の男が折り重なるようにして倒れていた。
ネロがヒエッと息を呑む。
「あらら。結構掛かったね」
イリスは平然と近付き、手近な男の脇腹を爪先でつついた。
男たちは剣やナイフ、こん棒のようなもので武装しているが、ラズライトの魔法にあっさり掛かったところを見ると手練れではなさそうだ。
冒険者崩れか、街のゴロツキだろう。
《き、気絶してるんですか…?》
《いや、動けなくなってるだけだよ。暫く立てないと思うけど》
ネロがイリスの頬にぴったり身体を寄せ、恐る恐る男たちを見下ろす。
ふふんとイリスが腰に手を当てた。
「ラズライトとネロを狙おうなんざ、100年早い!」
《君が威張ってどうするのさ。あと多分、狙いは僕らじゃなくて君の持ってる鉱石でしょ》
「やだなあ、言ってみただけだよ」
突っ込んだら誤魔化された。本気で言ってた気がするのだが。
露店での取引は、通行人にも丸見えだった。この男たちはそれを見て、イリスが他にも金になる宝石を持っていると踏んで後をつけて来たのだろう。
その見立ては正しいが、そんなものを集めている人間がそこらのゴロツキにしてやられるわけがないのだ、残念ながら。
ラズライトが男たちを眺めていると、通りの向こうからバタバタと足音が近付いて来た。
「お前さんたち! 無事──か…?」
地面に転がる男たちを見て、露店の店主──長男がぽかんと口を開ける。
その後ろに付いて来た鎧姿の兵士たちも、戸惑ったように足を止めた。
「無事…の、ようじゃな…?」
「あ、うん」
イリスがあっさり頷く。ラズライトを視線で示し、
「うちの相棒は可愛い上に最強だから」
《無駄に自慢しないの》
すぱっと言い放ち、店主に視線を向ける。
《で、こいつら、知り合い?》
店主は明らかにこちらの危険を察知して動いていた。予期できるだけの情報があったのだろう。
店主は一つ頷いた。
「お前さんたちの後をこやつらがつけて行くのが見えたんでな。慌てて追い掛けて来たんじゃよ」
目を細めて男たちを見下ろす。
「こやつらは、この街の有力者──というか、実質的な統治者の息子の取り巻きじゃ」
《え、そこら辺のゴロツキかと思ったよ》
「まあゴロツキじゃな。ただ、バックに権力者が居るでの。軽犯罪はやり放題、訴えても煙に巻かれて終わりと、厄介なんじゃよ」
そんな連中に目を付けられたのか。
ラズライトが顔を顰めていると、男の一人が呻きながら顔を動かし、こちらを睨み付けて来た。
「手前…俺たちにこんなことして、タダで済むと思ってんじゃねぇだろうな」
「え? 済むよね?」
イリスがケロッとした顔で首を傾げる。
「ただの正当防衛だし、怪我なんかしてないでしょ? それで揉めるなら、私たちはすぐ街を出るし、二度と近付かなきゃ良いってだけの話だよね?」
「それは困る!」
店主が叫んだ。
「お前さんとは今後とも是非取引をしたいんじゃ。街に二度と来なくなるのは絶対にいかん」
ギラリと目を鋭くし、倒れ伏す男たちを睨み付ける。
「丁度良い機会じゃ。ここらでちょいと、シメるとするかの」
《え》
店主が曲がった腰をグイッと伸ばした。
それだけでガラッと雰囲気が変わり、兵士たちが音を立てて姿勢を正す。
「連れて行け」
「はっ」
思わず背筋を伸ばしたくなるような、重い声だった。
兵士たちがきびきびした動作で男たちを拘束する。
「な、何しやがる!」
「大人しくしろ!」
よく回るのは口だけで、身体は痺れて動けないのだが。
「こんな事して、タダで済むと思うなよ!」
「ほう、何ができると言うんじゃ」
店主は凄味のある笑みを浮かべた。
「わしはただ、おイタが過ぎた孫の友人に少々説教を垂れるだけじゃよ。まあ──いい大人なのでな。行いには相応の報いがあるものじゃが」
「なんっ…!」
「わあ、孫の友だち」
《てことは、この街のトップの父親なの?》
「現役を退いて久しいがの」
兵士が無条件で従っているところを見るに、まだ十分現役だと思うが。
店主が視線で促すと、兵士たちは次々男たちを担ぎ上げ、軽々と連行していった。
よほど鬱憤が溜まっていたのか、何だか兵士たちの表情が晴れ晴れとしている。
「さて──」
店主がこちらに向き直った。
「若造どもが済まなかったの。お詫びに、今日の宿を提供させてくれ」
「え、良いの?」
「迷惑料というやつじゃ。勿論、ケットシーと伝令カラスも入れるよう、手を回すぞい」
「じゃあ、遠慮なく」
イリスは躊躇うことなく提案に乗っかった。
その後店主から宿の場所をメモした紙を貰い、裏通りを経由して大通りに戻る。
そのまま進むと、噴水のある広場に出た。
周囲の店は全体的に落ち着いた雰囲気だ。
どうやら、高級路線の店が立ち並ぶ区画らしい。どこからか竪琴の音色も聞こえる。
《宿はもっと奥みたいだね》
「高級宿の予感…」
《ドキドキしてきました》
権力者の父親の紹介で行く宿だ。
当然安宿ではないだろうとは思っていたが、これは予想以上かもしれない。
さらに奥へ進むと、よく手入れされた公園の前、大きなレンガ造りの建物が見えて来た。看板に月のマークが入っている。恐らくそこが、紹介された宿だろう。
ラズライトは首を伸ばして周囲を見渡す。
公園には明らかに仕立ての良い服を着た家族連れやカップルが歩き、入り口近くのベンチで旅の楽師らしい男が竪琴を奏でている。
先程から聞こえていたゆったりとした音色は、彼の演奏だったようだ。
大通りの喧騒から少し離れただけなのに、時間の流れがまるで違う気がする。
…ところで、
《…イリス、何で立ち止まってるの?》
周囲をゆっくり見渡す余裕があったのは、イリスが立ち尽くしていたからだ。
ラズライトが声を掛けると、イリスはびくっと肩を揺らした。
「え、あ…何でもないよ」
誤魔化そうとしているが、何故か顔が引き攣っている。
イリスは大きく頭を振った後、いつもの笑みを浮かべた。
「ボーっとしてた。さっさと宿に入ろうか」
公園に背を向け、歩き出す。
その時、背後から男の声が響いた。
「──アイリス!?」




