141.ネロ
おおよそ20日振りにやって来たノラたちの巣は、以前と打って変わって静まり返っていた。
「すっごい静かだね」
《おう。ヒナたちは殆ど巣立ったからなー》
殆どということは、まだ全員巣立ったわけではないのか。
促されるまま奥へ進むと、突き当たりのさらに奥、岩の隙間に熱心に呼び掛けているティアの姿があった。
《ネロ、ほら、出て来て一緒に魚を食べましょう。ノラが獲って来てくれたのよ》
《やだ、出たくない!》
どうやらヒナの内の一羽が、岩の隙間の奥に引き籠っているらしい。
ティアが困り果てた表情で翼を落としている。
ノラが声を掛けると、ティアはパッとこちらを振り返り、目を見開いた。
《イリスさん、ラズライトさん!》
「ども、おじゃましてマス」
《久しぶり》
お久しぶりです、と笑みを浮かべたティアは、すぐに岩の隙間に向き直った。
《ほら、ネロ。イリスさんとラズライトさんが来てくれたわ。ご挨拶して?》
《……やだっ》
今度は迷うような間があった。
ほーん、とイリスが悪い笑顔を浮かべ、ティアの横にしゃがみ込む。
「やっほーネロ、久しぶり」
《…》
返事が無いのも気にせず、イリスは軽い口調で呼び掛ける。
「こっち来て、一緒に干し肉のスープでも食べない?」
とりあえず食べ物で釣る作戦らしい。
それはさっき断られていたではないかと呆れて見ていたら、イリスはちらりとこちらを見遣り、あー出て来ないかーとわざとらしく嘆いた。
「じゃあ私が食べちゃうしかないかなー。ラズライトの分まで」
《はあ!?》
「今回ははちみつ入りのタレで味付けしてあるやつだから、絶対美味しいんだけどなー」
言いながらイリスが干し肉を取り出し、おもむろに千切って食べ始める。
「うん。思った通り美味しい」
《なにホントに食べてんのさイリス!?》
「え? だってしょうがないでしょ? …うん、美味い」
《わー! わー! ネロ出て来て! このままじゃ本当にイリスが全部食べちゃう!》
今回の干し肉はラズライトのお気に入りだ。
それを分かっていての鬼の所業にラズライトが叫んでいると、岩の隙間でもぞりと影が動いた。
《ひ、ひとりじめは、ダメだと思い…ます!》
現れたヒナの姿を見て、ラズライトはぽかんと口を開ける。
干し肉を飲み込んだイリスが、目を丸くした。
「白い伝令カラス…?」
白と言うよりは、白銀色だろうか。
それにしても珍しい色だ。
アルビノかとも思ったが、目の色は赤ではなく、ノラと同じ色。
どうやら純粋に羽根の色だけが違うらしい。
「へえ、きれいだね」
注目を浴びて縮こまるネロに、イリスが目を輝かせて言った。
「ノラの銀の羽根と同じ色だ」
《…え?》
《あ! そういうことか!》
ネロがぽかんと口を開け、ラズライトは思わず声を上げる。
ノラとティアがハッとして顔を見合わせた。
伝令カラスには、身体のどこかに必ず1枚以上、銀色の羽根がある。
ネロは恐らく、それが全身の羽根に出たパターンなのだろう。
珍しくはあるが、おかしなことではない。
だが、ネロは首を横に振った。
《お父さんに、銀色の羽根なんて…》
《ある! あるんだよネロ!!》
ノラが勢い込んで翼を広げた。
《イリス、ネロに見せてやってくれ!》
「え? 引っこ抜いて良いの?」
《アホ! ダメに決まってるだろ! 見えるように羽毛をかき分けてくれって意味だっつの!》
「ごめんごめん」
ノラの後頭部から首筋のあたりの羽毛をかき分け、程なく、あったあったとイリスは笑顔になった。
《あったか?》
「うん。今見えてるよ」
《ネロ! こっち来て見てみろ!》
ノラの勢いに押されるように、ネロが近付く。
イリスがほらここ、と指で指し示した先には、確かに銀色の羽根が1本、生えている。
《…ホントだ…》
《だろ?》
ノラは大仰な仕草で振り返り、ネロの目を見て頷いた。
《お前は、伝令カラスなら誰もが持ってるこの羽根がちょっとばかし多いだけだ。何も気にしなくて良い。お前は俺の自慢の息子なんだからな!》
自信に満ちた態度で告げる。
ネロは一瞬明るい表情になったが、すぐにうつむいてしまった。
《…でも、でも、お父さんみたいに上手く飛べないし…》
《最初は上手く行かなくて当たり前よ。一緒に練習しましょう?》
《……みんなはとっくに巣立ってるのに…》
どうやら、自分だけ兄弟のように飛べないのがコンプレックスになっているらしい。
気持ちはとてもよく分かる。
《ねえ、上手く飛べないって、どんな風に?》
《え?》
《例えば、飛び上がれないとか、浮いてもすぐ落ちちゃうとか、方向転換が出来ないとか…》
ラズライトが例を挙げると、何故かネロがどんどん縮こまって行く。
ノラがうーんと呻いた。
《何つーか…飛んだと思ったらすっげえ勢いで壁にぶつかったり、逆にそもそも浮かべなかったり、その時々で色々なんだよなー》
全部だったらしい。
それってさ、とイリスが顎に手を当てた。
「魔法が上手く使えてないっていうか、調整出来てないんじゃない?」
《調整できてない?》
「魔法が強すぎて吹き飛ばされたり、逆に弱すぎて浮かべなかったり」
ラズライトも結構苦労してたよねと言われ、まあねと頷く。
初めて飛んだ時はとにかく上昇すれば良かったし、夢中だったから分からなかったが、望んだ速度で自由に飛ぶのは結構難しい。
長距離飛行に備えて練習したら、とんでもないアクロバット飛行をする羽目になったのは記憶に新しい。
「伝令カラスの銀の羽根って、引っこ抜いたら魔法が使えなくなるって言うし。それがいっぱいあったら、それはそれで大変なんじゃない?」
《確かに。魔力が多すぎて魔法が使えないとか、そういう感じかもね》
実際、そういった体質の者はそれなりに居る。魔力量とその制御能力のバランスが取れていないケースだ。
ネロも同じだとすると、魔法を使わずに飛ぶか、何度も練習して魔法の扱いになれるしかない。
そう告げると、ネロは泣きそうな顔になった。
《今までだって、いっぱい練習したのに…》
《うーん…》
本当に頑張っていたのだろう。
まだ足りないとは言い難くてラズライトが口籠ると、イリスがポンと手を打った。
「じゃあさ、外で練習しない?」
《外?》
「今まで、この洞窟の中で練習してたんでしょ? 外に出れば気分も変わるし、場所を選べば壁にぶつかったりもしないと思うし」
確かに、勢いがつきすぎるなら外でやった方がリスクは低い。
《そうね。やってみましょう、ネロ》
ティアがネロを促す。
《で、でも、外は怖いし、失敗したら恥ずかしいよ》
「大丈夫。ラズライトもすごかったから」
《…ものすごく不本意だけど、あれ以上やばい飛行練習は無い自信はあるよ》
《なんだそりゃ。何したんだよお前》
《きりもみ回転からの背面飛行に、浮遊魔法が切れての自由落下。イリス付き》
「振り落とされないように頑張った」
そこは胸を張るところではないと思う。
《大したことねぇな。川に落ちるまででセットだろ?》
何故かノラが張り合い始めた。
ネロが目をぱちくりとさせる。
《か、川に落ちた?》
《おう。若い頃に水面ぎりぎりを飛ぼうとして失敗してなー。危うく巨大魚のエサになるところだったぜ》
《飛んだまま水を飲もうとするからよ》
ティアはそのエピソードを知っているらしい。呆れた顔で溜息をついている。
《まっ、失敗なんてしてなんぼだからなー。今のうちに色々経験しておくに越したことはないぜ。今ならイリスとラズライトも手伝ってくれるしなー》
なっ、と視線を向けられる。
イリスとラズライトは同時に頷いた。
《良いよ。それなりにフォローできると思うし》
「いくらでも付き合うよ。その代わり後でモフらせて」
《……君ねえ》
わきわきわき、と両手を怪しく動かすイリスに冷たい視線を投げる。
いつもいつも、シリアスな空気がもたない相棒だ。
しかしネロにはそれが良かったらしい。少しだけ笑って、ネロが頷いた。
《…やってみます》




