125.グレン
集めたカンラン石を革袋に入れ、イリスとラズライトは旧道に戻った。
「ハルンフェルスに着いたら、ご飯食べたいなあ」
《そうだね。さっきの川には魚もいなかったし》
イリスが何事も無かったように振る舞うので、ラズライトもいつもの調子で相槌を打つ。
多分イリスにとっては、幼少期の出来事はとっくの昔に『過去の話』になっているのだろう。
ついさっき聞いたラズライトにとっては、どう消化したら良いのか分からない、あまりにも壮絶な話だったが。
(…いや、僕は当事者じゃないし、そんなこと考えること自体おこがましいのかも知れないけど…)
思い悩みながら圧縮バッグの上で揺られること暫し。
午後の日差しが眩しい頃、イリスとラズライトは山岳都市ハルンフェルスに到着した。
「お腹すいたー!」
街に一歩入るなり、イリスが両手を挙げて吠える。
あまりにもいつも通りなイリスの態度に、ラズライトは思わず脱力した。
《…そうだね》
呻きながら、心のどこかで安堵する。
ラズライトが変に気遣うのを、イリスは望んでいないだろう。
そう自分に言い聞かせて、思考を切り替えた。
《前も来た事あるんでしょ? どこか良いお店、知ってる?》
訊いてから気付く。
ラズライトと出会う前は、着の身着のまま、金貨も見た事が無いような生活を送っていたイリスである。
裕福層の避暑地として名高いこの街で、果たして飲食店に入った経験はあるのだろうか。
「裏路地の出店の鶏肉のハーブ焼きとかかなあ。安いよ」
《…今はそれなりにお金持ってるんだから、ちゃんと座れる店に入ろうよ》
ラズライトが提案すると、イリスはあからさまに逃げ腰になった。
「ええ…知らない店に入るのはちょっと…」
《変なところで世間知らず感出さない!》
叱り飛ばして、ラズライトは石畳に飛び降りる。
山岳地帯の谷筋に貼り付くように広がる町並みは、温泉街マイロやはるか南のメランジともまた違う、独特の景観だ。
石畳は付近で採れる灰色の石材。
建物は、土台から人間の腰の高さくらいまでが石材、それより上が木材で作られているタイプが多い。
中には漆喰と思しき白い塗り壁も見えるが、かなりの少数派のようだ。
ドラゴンの棲み処──つまりラズライトの実家に一番近い人里が、この山岳都市ハルンフェルス。
その意味では最も馴染み深いはずの街だが、ラズライトが今生でここに足を踏み入れたのは初めてだった。
何せ、棲み処を出奔した時は、こちらとは反対側の斜面を殆ど転がり落ちるように下ったのだ。
街並みを目にする機会も無かった。
(…結構きれいだよね)
山岳『都市』と呼ばれてはいるが、都会のような洗練された雰囲気ではなく、牧歌的でどこかのんびりとした空気。
もう夏と言って良い季節だが、薄手の上着を着ていて丁度良いくらいの気温だ。
避暑地として人気なのも頷ける。
《ほら、行くよ!》
「はーい…」
その後イリスとラズライトは『店に入る・入らない』で暫く揉めていたが、結局両方空腹に負けて、大通りの串焼き屋台で手を打った。
野菜に羊肉、果てはバゲットまで串に刺されて焼かれる様はなかなか壮観で、炭火焼きの風味がとても良いアクセントだった。
──そして。
「たのもー!」
イリスに案内されてやって来た、ごく普通の家。
ノック無し、謎の掛け声付きでイリスが扉を開けると、中から即座に応答があった。
「断る。出直して来い」
「ハイ」
住民らしき人影がぎろりとイリスを睨み付け、イリスは即座に扉を閉めた。
数秒置いて、今度は大人しく呼び鈴を鳴らす。
すぐに中から応答があった。
「入れ」
《……え、なに今のやり取り》
「様式美」
思わず呟いたら、イリスに真顔で返された。
…どうやら、一連のやり取りが挨拶代わりになっているらしい。
あまり理解できないが。
首を傾げるラズライトに構わず、イリスは何事も無かったように扉を開けた。
「──という訳でこちら、お届け物デス」
イリスがいくつかの革袋を差し出すと、家の住人──仏頂面の青年が無言でそれを受け取った。
すぐに中身をテーブルに広げ、内容物と数を確認する。
「──結構早かったな」
視線を上げないまま青年が言う。
イリスは肩を竦めた。
「色々と伝手があったから。ラズライトとか」
《伝手って》
「…?」
青年が片眉を上げ、初めてこちらを見た。
顔を見る限り、年の頃はイリスとさほど変わらないようだが、羽織っている白衣のようなものはかなりくたびれていて、妙に老成した雰囲気がある。
動作が一々疲れているように見えるのも、年を分かりにくくする原因だろうか。
青年は右目に掛けた片眼鏡の位置を微調整し、眉を顰めた。
「…おい、何でケットシーじゃない何かを連れてるんだ」
「あ、やっぱりバレた?」
またしてもケットシーではないことを見破られ、ラズライトは動揺した。
が、イリスは当たり前の顔で頷く。
「相棒のラズライトだよ。南の方で会ったんだ」
「…で、正体は?」
「ドラゴン」
「…」
青年は暫し瞑目した後、深々と溜息をついた。
「…とうとう変な生き物を拾うようになったか」
《とうとう?》
素養はあったということだろうか。
というか、変とは何だ、変とは。
「いやあ、可愛かったからつい」
「…まあ確かに見た目は」
《そこで肯定されても嬉しくないんだけど》
曲がりなりにもドラゴンである。
可愛いと言われても微妙な気分になるだけだ。
ラズライトが眉間にシワを寄せると、青年はこほんと咳をして表情を改めた。
「──錬金術師の、グレンだ。こいつとは数年来の腐れ縁でな」
「腐れ縁って言うな」
イリスが突っ込むが、青年──グレンはきっぱりと無視している。
ラズライトはグレンの顔を見上げ、きちんと背筋を伸ばした。
《僕はラズライト。ドラゴンだけど、ケットシーって事にしといてよ》
「分かった」
グレンはちょっとだけ口の端を上げる。そうすると、ぐっと若く見えた。
《錬金術師って事は、石化病の特効薬を作ってくれたのって、グレン?》
「そうだ。そういうお前は──あのウロコの持ち主か?」
グレンが視線で示した机の上には、空色のウロコが数枚置いてある。
先日、石化病の特効薬の材料として送ったものの残りだろう。
ラズライトが頷くと、グレンは納得したような表情になった。
「傷一つ無い綺麗なウロコだと思ったが、道理で。ケットシーの姿じゃ、イリスに相当溺愛されているんじゃないか?」
《……まあ否定はしないけど》
「当然だね」
『溺愛』という表現を素直に肯定する気になれずラズライトが口ごもる横で、イリスが無駄に胸を張った。
とりあえず無視する。
《腐れ縁って言ってたけど、イリスが変な材料でも持ち込んだの?》
「いや…そうだったらまだマシなんだが」
片眉を上げて、肩を竦める。
「数年前、春先に大雪が降ったことがあってな。その時にこいつ、うちの前で雪に埋まってたんだ」
《埋まっ…》
街の中で遭難していたという事か。
…どうしてそうなった。
ラズライトが胡乱な目でイリスを見上げると、しょうがないじゃん、とイリスは頬を膨らませた。
「春だしと思って春らしい格好で街に来たら猛吹雪だったんだもん。避難しようにも店も全部閉まってたし」
「こいつが言う『春らしい格好』はこの街じゃ夏の服装だ。あと、店は基本、吹雪になったら閉まる」
グレンが丁寧に説明してくれる。
つまり、この街の常識を知らなかったイリスの自業自得か。
…もしかして、イリスの『錬金術師謹製の外套』は、この出来事があったせいで作られたんだろうか。




