117.シロ
《シロ、君はこの街のケットシーなの?》
ラズライトが訊ねると、シロは横たわったまま、小さく頷いた。
《…うん》
《おにいちゃんって言ってたけど、お兄さんが居るの?》
《……居たけど、もう居ない》
どこかに行ってしまったのだろうか。
それとも、もうこの世には居ないという意味だろうか。
ラズライトが考えあぐねていると、シロはぽつりと呟いた。
《…待っても、待っても、帰って来なかったんだもの》
《…》
シロの兄は、ある日突然姿を消して、帰って来なくなったらしい。
敢えて姿を消したのか、それとも何らかの理由で帰って来られなくなったのか──事情は何にせよ、この若いケットシーがここに居て良い理由にはならない。
《──シロ、ここは違法な魔物取引をする店だ。こんな所に居たらいけない。きっとお兄さんも、今頃君を探してる》
《そんなはずない》
ラズライトの発言を、シロはきっぱり否定した。
《だって、私が石化病になったら、おにいちゃんはどこかに行っちゃったんだもの。きっと、私の面倒を見るのが嫌になったんだ》
石化病──体中のありとあらゆる所が結晶化し、やがて死に至る病。
様々な生き物に発症するが、ケットシーは発症率が飛び抜けて高い。
特効薬は存在するものの、様々な希少素材を使い、高度な技術を持つ錬金術師が魔力を注ぎ込んで作るため、とんでもなく高価で目にする機会すらまれ。
一般的には、病の進行を抑える薬で何とか延命するしかない。
──その延命の薬すら、人間と距離を置いて生活するケットシーには、手に入らないのだ。
(──…ん?)
注意深く気配を探ると、確かに石化病独特の『凝り』のようなものが感じ取れた。
同時に、もう一つの気配にも気付く。
確かにシロは石化病を発症してる──だが、兄がシロを見捨てたというのは、きっと違う。
何故なら、
《君のお兄さんは、君の事が嫌になったりなんかしてない。だって君には、お兄さんの守護の魔法が掛かってるじゃないか》
《………え?》
シロが呆けた顔になった。
シロ自身は気付いていなかったのだろう。
それくらい繊細で、そのくせ強固な護りの魔法。
対象が命の危険にさらされた時、自動で発動する防御結界──普通のケットシーの魔力では、ぎりぎり掛けられるかどうかというレベルの高位魔法だ。
《君のお兄さんはきっと、自分が居ない時にも君を守れるようにって、これを掛けたんだよ》
ラズライトが説明すると、シロはぽかんと口を開け──暫くして、くしゃりと顔を歪めた。
《…そんなの、知らない。だって、黙って居なくなったのに…》
《きっと事情があったんだよ。お兄さんが帰って来たら、思いっ切り怒ってやれば良い》
前脚でポンポンと小さな頭を撫でる。
どんな兄だか知らないが、石化病を発症して精神的に不安定になっている妹に黙ってどこかに行ってしまうとは、少々──いや、かなり配慮が足りない。
もっと言うなら、説明も足りない。
シロは兄に雷を落としても許されると思う。
その後、少しだけ落ち着いたシロから改めて事情を聞いた。
シロは、兄が居なくなってから丸2日後、街の裏通りで兄を探していた時にこの店の店員に声を掛けられたらしい。
店員の男は親切そうな顔で言葉巧みにシロを誘導し、『兄に見捨てられた』とシロに思い込ませた。
結果、もう自分はどうなっても良いのだと自棄になって、この店の商品になる事を了承したのだという。
(だから守護の魔法が発動しなかったのか…)
シロの兄が掛けた守護魔法は、シロ自身が危機を感じた時か、物理的に命の危険が迫った時にしか発動しない。
自分の意思で捕まったのなら、反応しなくて当然だった。
もっとおにいちゃんを信じていれば良かった、と悔恨の表情を浮かべるシロに、ラズライトは改めて提案する。
《このままだと、君が望んだわけでもない人間に買われちゃう。シロ、僕に協力してくれないかな》
今すぐにシロを助け出す事もできるが、そうすると犯罪者たちの警戒が強まる恐れがある。
魔物の売買は、売り手と買い手が居て初めて成立するものだ。
叩き潰すなら、両方を一網打尽にしなければならない。
《協力?》
《ここの人間たちは、やっちゃいけない事をしてる。その証拠が必要なんだ。必要な時が来たら、君に証言して欲しい。その代わり、僕らは君の救出に全力を尽くすし、君のお兄さんも探してみせるよ》
守護の魔法が掛かったままという事は、少なくとも今現在、シロの兄は生きている。
事情を話せば、少なくともイリスは全力で動いてくれるはずだ。
それが魔物の違法売買の摘発に繋がるなら、ラフェットやレオンも手を貸してくれるだろう。
《……分かった》
シロは暫く視線を彷徨わせていたが、程無く心を決めたように頷いた。
《交渉成立だね。──君のお兄さんの特徴は?》
《私と違って、きれいなグレーの短毛よ。目の色は金色。しっぽは長くて真っ直ぐ。名前は、『アオ』。私よりちょっとだけ大きい》
ケットシー探しをするには、手掛かりが必要だ。
訊ねると、シロはすらすらと答えた。
金色の目にグレー──恐らくブルーグレーの短毛。
『あちらの世界』の猫種で言えば、ロシアンブルーかシャルトリューに近いか。
《分かった。お兄さんの事は任せて》
《…うん》
その後、シロには今まで通りの態度で過ごすよう念を押し、ラズライトは再び隠形魔法を掛けて部屋の中を素早く探索する。
そして──一番奥で、ブラウニーを見付けた。
(やっぱり…)
ブラウニーも、やはり魔力が枯渇寸前でぐったりしている。
意識も朦朧としているようだ。
檻の中にはトレントの枝が置いてあるが、既に魔力の繋がりが切れているのだろう。ブラウニーの生命維持には役立っていない。
トレントに棲むブラウニーは、トレントから魔力を貰わなければ生きて行けない。
フェアリーラットも、石化病を発症しているシロも、このブラウニーも──時間が経てば経つほど、生命の危険に晒される。
(急がなきゃ…!)
身を翻して、ラズライトは再び結界をすり抜け、裏口から店を出た。
続いて、もう一つの怪しい店──大型魔物専門店にこっそりと侵入する。
こちらはそれなりに高級感がある店構えだったが、店の中に魔物の姿は無かった。
代わりに、店員と思しき男たちの会話が聞こえる。
「会場の準備は?」
「ばっちりだ。いつもの店の地下を押さえてある」
「今回は目玉商品が多いからな。抜かるなよ」
「分かってるさ。そっちこそ、明後日まではうっかり殺すなよ。特にブラウニーとあの白いケットシーは、絶対に入札するって言ってる客が居るんだからな」
「天下のギルド長が、物好きなもんだ──」
いつもの店の地下。明後日。ブラウニーとケットシー。入札。ギルド長。
次々出て来る単語は、ラズライトにとって不穏極まりない。
(…あっちの店とこっちの店、根っこは繋がってるって事か)
殺気を出さないよう、意識して頭の中を整理する。
入札という単語が出て来たからには、通常の売買ではない。恐らくオークションだ。
どこかの店の地下階で、明日か明後日、保護対象の魔物たちが競売に掛けられる。
(目玉商品が多いって事は、客も多い。地下にそれなりの人数を収容できるような店は、この街でも限られるはず)
少なくとも、先程の店やこの建物ではなさそうだ。
そこまで把握して、ラズライトは息を殺して店を出た。
(早くイリスたちに知らせなきゃ…!)
一応周囲を警戒し、隠形魔法を掛けたまま細い路地を走って宿に戻ると──
「あ、ラズライト。おかえりー」
《………へ?》
待ち合わせ場所の、ラフェットとレオンの部屋。
椅子でくつろぐイリスの膝の上に、何故かグレーの毛並みのケットシーが乗っていた。
《は、放せってば! オイラ、妹を探しに行かなきゃ…!》
イリスにやんわり拘束されながらじたばたと暴れる小柄なケットシーが、何だか妙に思い当たる節のある言葉を並べている。
とりあえず扉を閉めると、ラズライトはじっとグレーのケットシーを見詰めた。
《…》
「あ、浮気じゃないよ?」
《…誰もそんなこと疑ってない》
一々ボケを挿入して来るこの性格はどうにかならないものか──いや、今更か。
コホン、と咳払いして、ラズライトはケットシーに向き直った。
《君、名前は?》
《へっ? ──アオ、だけど》
予想通りの答えに、ラズライトは思わず天を仰いだ。




