112.トレントとブラウニー
王都よりかなり東側に進路を取り、さらに北上を続けること数日。
「…あれ?」
街道の途中で、イリスは首を傾げて立ち止まった。
《どうしたの?》
平原チャバネの居た平原地帯は既に遠く、山もいくつか越えている。
今居る場所は少し拓けた平地になっているが、行く先にも来た道にも集落は見えず、特筆すべきものがあるとも思えない。
イリスは前方の木々を指差した。
「あの辺の木、前は無かったと思うんだけど…」
《木?》
申し訳程度に石畳が敷かれた街道沿いに、確かに数本の木が立っている。
広葉樹のようで、大きめの葉を茂らせ、どれもかなり幹が太い。
《前って、去年?》
「うん」
あれだけのサイズの樹木が、たった1年で生えるとは考えにくいが。
ラズライトが首を傾げていると、イリスはすたすたと木に近付き──あ、と声を上げた。
「これ木じゃないや」
《え》
木の幹を示し、
「トレントだ」
言った瞬間──
「うわっ!?」
木立の隙間から何かが飛来し、イリスは慌てて飛び退った。
地面に転がったのは、まだ青い木の実。握りこぶしより少し小さいくらいで、とても硬そうだ。
「ま、待って! ちょい待ち!」
さらに飛んで来る木の実を躱しながら、イリスが声を上げる。
「戦う気は無いんだってば!」
両手を挙げて訴えると、ぴたりと飛来物が無くなった。
《ええと…》
あっさり話が通じた事に少々驚く。
トレントは、樹木の姿をした魔物──のようなものだ。
高い知性を持ち、普通は深い森の奥、本物の樹木に紛れて静かに佇んでいる。
『魔物のようなもの』というのは言葉通りの意味で、厳密には魔物ではない。
世界各地に点在する、魔素循環の一翼を担う巨大な神木、通称『世界樹』──その眷属と言うか、『端末』あるいは『子株』がトレントだ。
トレントは樹木の姿をしているが、地属性の魔法を使って移動ができる。
だから街道沿いに突然現れても不思議ではないのだが──
《…何でトレントがこんな所に?》
ラズライトが呟くと、さわさわとトレントの枝が動いた。
小さな帽子が葉の陰から覗く。
「あ、ブラウニー」
おずおずと顔を出したのは、人間の手のひらに乗るくらいの小さな生き物。
人間の子どもに近い容姿をしているが、これで成体だ。
お手伝い妖精、ブラウニー。
トレントや大型魔物と共生し、外敵から守ってもらう代わりに共生相手の身体を掃除したり身の回りを整えたりする、珍しい生態の持ち主である。
それを見たイリスが、あれ?と首を傾げた。
「1匹しか居ない」
《ホントだ。ペアはどこに行ったんだろう?》
彼らは基本的に2匹で行動する。だがこの場には、何故か1匹しか居なかった。
ブラウニーはイリスとラズライトの視線を受けてビクッと肩を揺らしたが、そのまま覚悟を決めたように一歩前へ出て来た。
ラズライトはイリスの肩に飛び乗って、ブラウニーと目線を合わせる。
《どうしたの?》
ラズライトが訊くと、ブラウニーの両手に魔力の光が灯り、空中に文字を書き始めた。
「ええと…?」
ブラウニー特有の妖精文字だ。イリスには分からないだろう。
だが、ラズライトには辛うじて読み取れた。
《…半身、攫われた……人間に!?》
「えっ!?」
ラズライトがギョッとして叫ぶと、イリスも目を見開いた。
「な、なんで!?」
世界樹はこの世界の根幹を支えるもの。
だから、その端末であり、世界樹と魔力的な繋がりのあるトレントを傷付けたり切り倒したりするのはどこの国でも禁止されている。国によっては首が飛ぶレベルの大罪だ。
そしてブラウニーも、トレントと共生している個体に関しては保護対象とされている。
──ただし、トレント以外の大型魔物と共生していた場合はその限りではない。
《…ブラウニーは、使役妖精として人間に買われる事があるんだ。珍しいから、欲しがる物好きも結構居る。トレントと共生してるブラウニーは捕獲が禁止されてるけど、他の魔物と共生してたら狩り放題だからね》
「なにそれ!?」
生きた魔物の売買はこの国では合法なのだが、イリスには馴染みが無かったらしい。
驚いているイリスに、問題は、とラズライトは続けた。
《この子の半身って事は、間違い無くトレントと共生しているブラウニーだよね。それなのに攫われて、万が一、人間に買われて粗雑な扱いを受けて死んだ、なんて事になったら──》
「なったら?」
《──世界樹の怒りを買って、関係各所とその周辺地域一帯が魔素循環から外れて雑草一本生えない荒野になる》
「うえっ!?」
冗談ではなく、魔素循環を司る世界樹の力とはそういうものだ。
世界樹はトレントと魔力的な繋がりがある。
そして、トレントはブラウニーと共生する際、魔力の受け渡しをして親子のような関係性になる。
要するに、世界樹にとってトレントと共生するブラウニーは孫。身内なのだ。
…身内を殺されたら、そりゃあ復讐の一つもしたくなるだろう。
復讐の規模が天災レベルなのが恐ろしいが。
「…!!」
目の前のブラウニーが、パタパタと忙しなく両腕を振って訴える。
──助けて。お願い。マレビト。
(…マレビト?)
確か、『他とは違う者』の事を指す言葉だったか。
トレントに向けて『戦う気は無い』と訴えたイリスを、変わった人間だと思っているのかも知れない。
《イリス》
ラズライトが声を掛けると、イリスは即座に頷いた。
「ブラウニーの片割れ、助けなきゃ」
「!」
話せなくても、こちらの言葉は分かるらしい。ブラウニーはぱあっと表情を輝かせた。
多分トレントたちはもう1匹のブラウニーを助けようとして、魔力の繋がりを手掛かりにこんな所まで出て来たのだろう。
《半身が今居る場所の見当はついてるの?》
ラズライトが訊ねると、ブラウニーは大きく頷いた。
──もっと北。人間。たくさん。
《もっと北って言うと…》
「一番近い街は、例の温泉街だけど…」
イリスが首を傾げる。
「そんな所に?」
《多分、魔物の取引をする店があるんだと思うよ。温泉街だったら観光客が多いでしょ? 裕福層向けの施設がある街には、大抵魔物を扱う店もあるから》
「……何かヤな事聞いた気分」
イリスが若干げっそりした顔をしているが、事実なので仕方無い。
その後、トレントとブラウニーには街近郊の森に紛れて待機していて欲しいとお願いし、イリスとラズライトは一路、温泉街へ向かった。




