111.卵泥棒
崖壁都市メランジを出発してから9日後。
イリスとラズライトは、街道から少し外れた平原の只中に居た。
厳密には──
《イリスのアホー!!》
イリスの背負う圧縮バッグに全力で爪を立ててしがみつき、ラズライトは念話で絶叫する。
「あははははは!」
一方イリスは、全力疾走しつつの高笑い。
目を疑う速度で平原を駆けているのだが、息を切らしてもいないし、手に持った卵を落とす様子も無い。
と言うか、その卵こそがこの状況の原因なのだが。
《何で平原チャバネの営巣地に挑むんだ君はー!!》
「だってそこに美味しい卵があるからー!」
即座にイリスが応じ、背後で殺気が膨れ上がる。
揺れに揺れるバッグの上で何とか振り向くと、平原を猛スピードで駆けて来る茶褐色の物体が目に入った。
サイズは、長径50センチくらいのラグビーボール型。
そこに鋭利なトサカを備えた頭部と長いくちばし、それなりの長さの脚がついた、鳥っぽい生き物。
それが、見える範囲だけで10匹ほど。
──平原チャバネ。
この世界では比較的ポピュラーな、鳥型の魔物である。
基本的に草食で、普段は単独で行動し、性質も温厚で──生息数がやたら多い。
その数の多さを活かすためか、毎年繁殖期になると平原に集まり、一大営巣地を作る。
平原の一帯を茶色い羽で埋め尽くすから、『平原チャバネ』。
なお『あちらの世界』で毛嫌いされている台所の害虫とは無関係である。
問題はその『繁殖期』だ。
繁殖期、平原チャバネは極端に凶暴化する。
営巣地によそ者が侵入すると、身体強化魔法付きの高速走行で追い掛け、硬化魔法で全身を硬化させて跳躍・突進し、岩をも砕くくちばしでよそ者を串刺しにする。
それだけだったらまだ何とかなるのだが…この魔物は、繁殖期に限り肉食になる。
つまり、営巣地に侵入した敵は平原チャバネに串刺しにされた後、エサにされてしまうのだ。
人間も例外ではなく、うっかり営巣地に侵入しようものなら、荷物はおろか骨すら残さず喰い尽くされる。
あまりにも危険なため、繁殖期の平原チャバネには冒険者も近付かない。
…のだが、イリスは正にその営巣地に侵入して、卵を盗んで来たわけだ。しかも3つも。
(…!)
最もこちらに近い1匹の魔力が膨れ上がる。
《突進が来るよ!》
ラズライトの警告と、魔物が地面を強く蹴って一直線にこちらに突っ込んで来たのはほぼ同時。
「!」
イリスは半歩だけ横にずれて攻撃を躱しざま、卵を持っていない方の手を手刀にして勢い良く振り下ろした。
手刀は突っ込んで来た平原チャバネの首に見事にヒットする。
ゴギン、と鈍い音がして、魔物が地面に叩き付けられ、明後日の方向へ跳ね飛んで行く。
背後で大きな動揺が広がった。
「よっしゃ!」
イリスがスピードを落とし、地面に叩き落とした平原チャバネを拾いに行く。
片手で持ち上げると、魔物はぷらん、と力無く垂れた。
どうやら一撃で首の骨が折れ、即死だったようだ。
「んっふっふっふ」
完全に足を止めたイリスが、とても悪い笑みを浮かべる。
他の個体からの追撃は無い。
不思議に思って振り向くと、全速力で追って来ていたはずの平原チャバネたちは少し離れた所で立ち止まり、じっとこちらを見ていた。
妙な空気を全く気にせず、イリスが倒した平原チャバネを高々と掲げる。
「トリ肉ゲットー!!」
《食べるの!?》
ラズライトは思わず突っ込んだ。
確かに平原チャバネは、普段だったら食材扱いもされているが──繁殖期に入った個体を食べるとは聞いた事が無い。多分リスクが高すぎるせいだろう。
「繁殖期は肉食になるから、脂が乗って美味しいんだよね」
イリスは前科有りだったようだ。
涎が垂れそうな顔で言い放ったイリスは、左手に卵、右手に平原チャバネを掴んだまま、ゆっくりと後続の魔物たちを振り返った。
イリスの視線を受けて、ビクッ!と平原チャバネたちがあからさまに動揺する。
「さて──」
にやあ、と笑みを深め、
「保存食用、確保しとく?」
言った瞬間──
『キャアアアアア!!』
平原チャバネたちはけたたましい鳴き声を上げて、一目散に逃げ出した。
《…平原チャバネのあんな声、初めて聞いたよ》
ラズライトが呆然として呟くと、イリスは肩を竦める。
「あいつら悲鳴上げるんだよねー。で、それ以降は追っ掛けて来なくなるの。便利」
《便利て》
多分、営巣地の仲間にもあの声で『ヤバい奴が居る』と知らせているのだろう。
イリスに完全に手玉に取られた平原チャバネがちょっと可哀想になってくる。
「さ、野営の準備して料理しよ、料理」
《料理は良いけど、卵とトリ肉で何作るの?》
歩き出すイリスに訊いてみると、とても楽しそうな声が返って来た。
「ターニャさん謹製の甘辛ダレで、『親子丼』! 作り方教えてもらってからずっと作ってみたかったんだよねー」
メランジの人々の厚意で、イリスの圧縮バッグには今、食材や野営用の消耗品が大量に詰まっている。
ターニャから貰った甘辛ダレもその一つだ。
淡白な肉に良く合う、照り焼き風の味付け。
これを出汁で薄めて使うと、親子丼が作れるのだという。
鶏ではなく魔物で親子丼を作ろうとするあたり、とてもイリスらしい。
《出汁ってどうするの?》
「干し昆布があるから、それかな。あと平原チャバネの骨から取れば良いかなって」
にこにこと話すイリスの頭の中は、既に調理法でいっぱいのようだ。
──なお平原チャバネの親子丼は、ラズライトも今まで食べた事が無いくらい美味しく。
『もう一回獲りに行って来る!』と息巻くイリスを止めるべきか、非常に大きな葛藤が生じたのは…ここだけの話である。




