102.定住手続き
「常夜灯は街の全域で使っていますし、『例の施設』の設備の件もありますし…。冒険者用の携帯コンロの魔石も、いくらあっても足りませんからね」
「もしロゼが魔石への魔力充填の仕事を請け負ってくれるなら、大助かりだな」
うっかりすると火の魔力の『充電器』扱いされそうだが、実際それを生業にしている魔力持ちはそれなりに居る。と言うか、居ないと困る。とても困る。
ロゼにとっても、定期的に魔力を放出できる場所があるのは有難いはずだ。
暴走する確率が格段に減る。
《あの…》
「ああ、無理にって訳じゃない。ただ、街で暮らすなら何か収入が得られる仕事があった方が良いからな。色々と見てみて、考えれば良いさ」
戸惑うロゼを、ロベルトがすかさずフォローする。
ロゼはまだこの街を知らないのだ。住まいは冒険者ギルドが用意してくれるようだし、どのように生活して行くか、これからゆっくり決めれば良い。
《良かったね、ロゼ》
《…ええ》
ラズライトが言うと、ロゼはホッと表情を綻ばせた。
その顔を見て、シルヴィがにこにこと挙手する。
「それじゃあ、私が保証人に立候補するわねー。正式な住まいが決まるまでは、うちに泊まりなさいな、大歓迎だからー」
「保証人?」
「新しい精霊が街に住む時は、最低でも一人、街の住民が保証人になる必要がある。まあ、あくまで書類上の話で、実生活のフォローはギルドが全面的に受け持つがな」
ロベルトが説明してくれるが、シルヴィの発言を聞く限り、彼女個人がロゼを全面バックアップする気満々なのではないだろうか。
とても楽しそうなので、任せてしまって良いような気がしてくる。
《あの、迷惑なんじゃ…》
「いいえー。うちの子ったら、冒険者になったら『一人前になったんだから自分の生活は自分で何とかする!』って言ってすぐ家を出ちゃったのよねぇ。だから今、1人暮らしでちょっと寂しいの。ロゼちゃんが良ければ、うちに来てくれると嬉しいわー」
両手を胸の前で組み、瞳を潤ませている。
わざとらしい動作はともかく、その言葉は本心だろう。
精霊でありながら、人間を養子にして育てるくらいだ。世話好きな性質なのかも知れない。
そのシルヴィがちらりとロベルトを見ると、彼はごほんと咳払いした。
「あー、ギルドとしても、一時的にシルヴィのところで世話になってもらえると助かる。住居は紹介できるが、家財道具も入っていないし、すぐに住める状況じゃないからな」
「ついでに、家事とか買物の仕方とか、街での暮らし方も教えるわねー」
至れり尽くせりである。もはや拒否するという選択肢は無いようだ。
ロゼが困ったように視線を彷徨わせ、ラズライトとイリスを見た。
《シルヴィの所でお世話になって良いと思うよ、ロゼ》
「私もそう思う。何か本当に大歓迎って感じだし」
「そうそう、大歓迎よー」
イリスの言葉をシルヴィが全力で肯定した。
ロゼはそれでも迷っていたが、数秒後、シルヴィに向けて丁寧に頭を下げる。
《…分かったわ。迷惑を掛けると思うけど、よろしくお願いします》
「迷惑だって大歓迎よ。よろしくねぇ、ロゼちゃん」
にこにことロゼの両手を握り、シルヴィが頷いた。
その斜め後ろで、ジュリアが書類に何事か書き込み、ロベルトに渡す。
ロベルトは頷き、シルヴィとロゼに向けてその書類を差し出した。
「それじゃあ、この書類に署名を頼む。シルヴィはこの『保証人』の欄。ロゼはこっちの欄だ」
「ロゼちゃん、文字は書けるー?」
《えっと…多分》
ロゼが曖昧に肯定した。
この世界には、どの国でも通用する『共通言語』と、種族や民族特有の『固有言語』がある。
一般的に使われているのはもちろん共通言語の方で、特にこの国の国民の識字率はかなり高い。
ロゼは社会生活を送った事の無い精霊だが、『ネコ』でもある。過去の記憶を遡れば、文字は書けるはずだ。
《でもあの、木製の筆記用具だと、焦げちゃうかも…》
ロゼが心配していたのは『文字を書けるかどうか』ではなかった。
《今は魔力も漏れてないから、大丈夫だと思うよ?》
ラズライトが首を傾げると、ああ、とシルヴィが納得の声を上げた。
「緊張すると魔力制御が不安定になりやすいものねー」
「そういうもんなんですか?」
「そうよー。私も昔はよく書類を吹き飛ばしてたわー」
風精霊のシルヴィの場合、魔力が漏れると手元や周囲で勝手につむじ風が発生してしまうのだという。
そうと分かっているから余計に緊張して毎回身構えてしまい、なかなか慣れる事もできず、ずいぶん苦労したそうだ。
「ロゼさんに関しては、大丈夫だと思いますよ」
ジュリアが苦笑して、青銀色のペンを差し出した。この色は──
「このペンでしたら、総ミスリル製ですから。多少熱が加わっても壊れません」
《ミスリル!?》
ロゼが目を見開いて、思わずペンから距離を取った。
《あ、やっぱりミスリル製だったんだ》
「ああ。ギルドの場合、うっかり身体強化掛けたまま書類書く奴とか居るからなぁ。普通のペンだとすぐ壊れるから、苦肉の策としてミスリルのペンをな」
イリスが例の豪邸の譲渡手続きの時に使ったのは、本体が黒檀、芯材がミスリルの高級ペンだったが、まさか通常業務でそれ以上の高級品を使い倒しているとは。
「贅沢~」
イリスが正直な感想を述べると、ヴィクトリアが苦笑した。
「普通のペンだと、使い始めたその日に壊れる事もあるのよ。でもこのペンなら、本体価格はかなり高いけど、耐久性も飛び切り高いし、インクの補充が出来て繰り返し使えるの。長い目で見れば…ってことね」
なるほど、数年単位で考えたらミスリル製の方が低コストなのか。
普通のペンを使っていたら年間どれだけ壊す事になるのか、ちょっと怖い。
《それじゃあ…》
ロゼがジュリアから恐る恐るペンを受け取った。
一瞬魔力が揺れるのを感じたが、魔力漏れするほどではないし、総ミスリルのペンにも変化は無い。
少しだけホッとした顔で、ロゼがサインを終える。
サインする時、書類に触れないようにしていたのは、紙も燃えるかも知れないと思ったからだろう。
(…でも、そもそもこの建物の内装、結構な比率で木材が使われてるんだけど…)
木は燃える。
そして、ロゼの服も靴も全て、実際には身体の一部だ。
つまり今、ロゼは応接室の板張りの床と革張りのソファに、直に触れているのである。
…それを指摘したらまた混乱の元になりそうなので、本人が気付くまで黙っていることにする。
「これで良し、と…」
シルヴィも保証人の欄に丁寧にサインし、最後にギルド長が名前を一番下に書き込めば、書類は完成である。
ジュリアが受け取り、一つ頷いた。
「──はい、大丈夫ですね。これで書類手続きは完了です」
定住受け入れ手続きの割に、紙は1枚、ロゼの記入欄も1つと、とても簡素だ。
「これだけで終わり?」
イリスが首を傾げた。
少し前に市長から譲渡された土地建物、あの書類手続きが恐ろしく煩雑だったのが印象に残っているのだろう。拍子抜けしたような顔をしている。
「ああ、サインしてもらうのはこれだけだ」
「ほら、精霊の子は街での生活に慣れていない事が多いでしょう? 当事者のサインが必要な書類は最小限にして、後の手続きはギルド職員が代行できるようになってるの」
「あ、なるほど」
もちろん、それには精霊の希望を正確に把握することが必須だ。
ジュリアがにっこりとロゼに微笑みかけた。
「ロゼさんの手続きは、私が責任を持って行わせていただきます。後で、今後の生活の希望についても詳しく伺いますね。困った事ややってみたい事なども、どんどん言ってください」
心強い言葉に、ロゼが表情を明るくして頷いた。
《ええ、よろしくお願いします》




