うぉ→愛紗はよく野良猫を拾うらしい
宴を終えた愛紗は、胡遊の腕の中で大きなあくびをした。危機感のない宴など、食事をするだけのつまらない席だ。愛紗の眠気は限界まできていた。
しかも、胡遊の歩く振動が、思ったよりも心地いい。重い瞼が更に重くなるのを感じる。
「今日は猫にはならないんだな。……つまらない」
「そう簡単になるものじゃないのよ」
仙術を使わなければ、猫になることはない。期待されても困るというもの。
「君は一体なんなんだい?」
「あたしはあたしなのよ」
胡遊の質問に愛紗は首を傾げた。
「猫なのか、人間なのか。それとも妖の類なのか」
「それを聞きたいのはあたしのほうなの。胡遊叔父さまこそ、人間なのか鬼なのか」
黎明は半分鬼だと言っていた。そして、黎明の命を狙わないとも。しかし、それ以上詳しくは教えてもらっていない。黎明の命を守る身としては、鬼に関わる者の情報は多いに越したことはないのだ。
本人が目の前にいるのだから、黎明に聞くよりも手っ取り早い。
「鬼であって鬼ではなく、人間でもない。中途半端な存在さ」
「半分だから?」
「ああ、母がね。鬼なんだ。僕を生んですぐ死んだそうだ。僕は母が身籠ってからたった十日で生まれ、五年ほどで今の身体に成長した」
「へぇ」
「驚かないんだ。みんなが子猫ちゃんみたいに肝の据わった人間だったらよかったんだけどね。みんな僕を怖がった。それは皇帝だった父も同じだ。父はわずか五歳の僕の胸に剣を突き刺したのさ」
「それは壮絶ね」
「結局、傷一つ付かなくて、牢に閉じ込められたよ」
胡遊はからからと笑った。
「あの頃の僕は父に愛されたいがゆえに必死だった。兄たちのように勉学に打ち込み、武芸を磨く。努力をすればするほど、父は恐怖したんだ」
愛紗はただ相槌を打った。影がないからといって敵と思い込んでいたことを心の中で詫びる。
「父は僕の王位継承権を奪い、臣民とし仕事を与えた」
「どんなお仕事?」
「邪魔なね、人を殺すお仕事だよ」
胡遊は悪びれもせずに笑っている。
「汚職にまみれた官吏。蛮族の首領。殺すと父はたくさん褒めてくれるんだ。だから言われるがまま殺した。国にとっていらない塵だしね。気づいたときにはこの手は真っ赤に染まって、人間ではなくなっていたよ」
――殺し屋ってことか。
半分鬼とは言え、実の息子に暗殺の類をさせるとは、黎明と胡遊の父親は無慈悲な皇帝だったのだろう。黎明よりもその男のほうが『冷徹帝』という名が相応しいような気さえしてしまう。
「先帝も、父と同じように扱ってきた。そんな中で兄上だけは違った」
「お父さまだけ?」
「そう、兄上だけ。兄上だけは僕を兵器としてではなく、人間として扱ってくれた」
黎明は少し人間離れしたところがある。弟が半分鬼でも、動じなかったのだろう。胡遊の表情が嬉しそうに頬を緩める。この表情を見れば、黎明を殺しはしないだろうなと思えることができた。
「この世界は生きずらい。母の血縁を頼って地界に行くことも考えた。けど、半分人間の僕では地界の瘴気に耐えられないらしい。そして、人間にしては頑丈過ぎる。僕は人間にも鬼にもなれなかった半端ものだ」
愛紗から見れば頑丈な身体は便利でよさそうなのだが、胡遊には違っているようだ。慰めにもらないない気がして、愛紗はただ小さな手で胡遊の頭を撫でた。
「五歳のころから変化しないこの身体の寿命はわからない。いつか兄上や子猫ちゃんの寿命が尽きたら、僕は一人ぼっちになってしまう」
「ぐぇっ」
強く抱きしめられ、愛紗は蛙がつぶれたような声を上げた。
――体は頑丈だし変人のくせに、心は繊細過ぎるのよ。
「別に人間界だけが世界じゃないのよ。未来のことはわからないけど、一人ぼっちになったら、青丘に来たらいいんじゃないの?」
「……青丘?」
「あたしの生まれ故郷。ここからずっと遠いところにあるの」
胡遊は怪訝な顔をした。
――そりゃそうか。この身体は王都で生まれたんだっけ。
「えっと、あたしは人間だけど人間じゃないの。仙界から修行のために愛紗として生まれたの。これでも八千歳なのよ」
愛紗は胸を張る。寿命の概念などほとんどない仙界ではヒヨッコ扱いだが、寿命が百もない人間からしたら途方もない年数だろう。ずっと子ども扱いしているが、胡遊よりもずっとお姉さんなのだ。
愛紗のほうが目上だということを知れば、少しは乱暴な扱いもなくなるのではないか。
「厳しい修行を積んで人間から仙になる者もいるし、地界みたいに瘴気はないと思うから大丈夫じゃないかな?」
「半分鬼の僕が行ってもいいわけ?」
「青丘の者はみんなまあまあ強いから、鬼を怖がる人はいないと思う。強いって言っても、あたしほどじゃないけどね!」
「へぇ……」
「あ、信じてない! こっちでは色々制約があるのよ。本当の姿だったら、あんな鬼、小指で一ひねりなんだから!」
愛紗は拳を握りしめ、胡遊の頬に振り上げた。小さな拳は、大した力はない。
胡遊は愛紗の頭を乱暴に撫でた。
「ありがとう。本当に……ありがとう」
胡遊は嬉しそうに笑う。今まで見たこともない笑顔だった。
――そんなお礼言われるようなことやったかな?
青丘を紹介しただけだ。青丘は愛紗のものではないし、本気になれば誰だって住める。
――お父さまを狙わないならなんでもいっか。
「お礼は桃饅頭でいいのよ」
「王都で有名な店の桃饅頭を手に入れてやろう」
「おお! 桃饅頭は外にもあるの?」
「勿論」
「それは……とても楽しみなのよ……」
いつも用意されるのは、後宮内で作られている桃饅頭だ。それ以外の桃饅頭を愛紗は知らない。
――修行を終えるまでに国中の桃饅頭を堪能する必要があるわ。
愛紗は頬を緩め、桃饅頭に囲まれる世界を想像した。頬が落ちそうだ。遠くで光る提灯の丸々とした明かりが、桃饅頭に見えた。
一個、二個、三個……。皮はふわふわ中の餡はぎっしりなのだ。愛紗は両手を伸ばす。ぼんやりとした提灯の光が揺れ、どんどん大きくなっていった。
両手の先、暗闇の中にぼんやりと浮かんだ姿に愛紗は目を丸くした。
「お父さま!」




