まぁ→愛紗、絶体絶命(そのに)
「お父さま」
愛紗は茫然と黎明の顔を見た。
――もしかして、伝言が伝わらなかったの?
「伝言は聞いた。だから、あの者を責めてはいけない」
「なにも言ってないのに……」
顔に書いてあっただろうか。愛紗は思わずつぶやいた。
「私に用があったのだろう? 愛紗を放しなさい」
黎明の言葉で愛紗は我に返る。美明の腕から抜け出そうともう一度もがくが、彼女は女にしては怪力でびくともしない。美明はじたばたと手足をばたつかせる愛紗を一瞥すると、ため息をこぼした。
頬に当てていた長い爪を放す。
「ちょうどよかった。私も乱暴な真似をしたいわけではありませんので」
「そうとは思えないな」
黎明が辺りを見回す。視界の中だけでも三人ほどの女が床に倒れているのだから仕方ない。黎明が入口から入ってきたのだとすると、相当な数を見てきただろう。
「これは愛紗様がいけないのです。一緒に遊びたいとおっしゃるのだもの」
「あたしのせいっ!?」
「この者たちだって、ただ眠っていただいただけですし、あまり大きな騒ぎにすると、口止めもたいへんでしょう? これも全て陛下のことを思ってですわ」
「……なぜ、愛紗を狙った?」
「陛下と交渉するには、愛紗様を人質にするのが適任かと思いまして」
美明はうふふと笑う。そんな彼女に黎明は真っすぐに見つめるばかりだった。
――お父さま、相当怒っているのよ。
目の奥に苛立ちを感じると言えばいいのだろうか。綺麗な顔立ちだから、普段から冷徹などと言われているが、その実優しい男だ。しかし、怒りを持つと纏う空気が氷点下になる。
愛紗はふるりと肩を震わせた。
どうしてだろうか。すぐ側にいる鬼よりも、黎明のほうが恐ろしく感じる。なぜ、この恐怖を美明はわからないのだろうか。それとも、恐怖を押し殺して対峙しているのだろうか。愛紗にはわからない。
「交渉? 私に何を求める?」
「望みはただ一つ。今夜の宴で舞を披露させてくださいませ」
「そのようなことのために、愛紗を?」
「ええ、陛下が愛紗様を溺愛しておられるのは周知の事実ですから」
美明は愛紗の頭を優しく撫でた。
「宴に出ることになんの意味がある?」
「さあ? それはこの身体の持ち主に聞かなければわからないわ。でも、彼女の悲願なの」
「悪いが、理由もわからずその希望を通すわけにはいかない」
「愛紗様がどうなってもよろしいのでしょうか? こんなに小さくて柔らかい存在。力を入れたらつぶれてしまいそう。鬼は人間よりも何十倍も力がありますから。一歩間違えれば……」
美明の愛紗を抱く腕に力が入った。肋骨が悲鳴を上げる。
――ぐ、ぐるじい……!
「やめろっ!」
黎明の言葉に美明の力が緩められた。愛紗は息をゆっくりと吐きだす。
――どうにか生き延びたのよ。思わず仙術を使うとこだった。危ない危ない。
もし、仙術を使えば、黎明への説明で美明どころの騒ぎではなくなってしまう。鬼退治に成功しても、その後、愛紗が黎明の側にいられなくなれば、この苦労も水の泡になってしまうのだ。
猫に変化する人間を気味悪がらない人間などそういないだろう。愛紗はホッと息を吐き出した。
「愛紗の命にはかえられない。宴の件はなんとかしよう」
「話の分かる方で安心しましたわ」
「お父さま、駄目なのよ。こいつ、ミンミンのお願い叶えて、体を乗っ取る気なの! そうなったらお父さまが危なっ!」
愛紗は思わず叫んだ。しかし、言い終える前に美明が再び腕の力を強くした。再び肋骨が悲鳴を上げる。
「ぐっ……るちぃ……」
――仙術を使えば簡単に逃げられるのに……!
こんなことなら、さっさと仙術を使って猫になっておけばよかったのだ。そうすれば、”愛紗”がだしに使われることもなかった。
後悔先に立たず。
頭がくらくらする。息の仕方もわからなくなって、愛紗は口をパクパクと開閉させた。
「うるさい子ね。私は陛下とお話をしているのよ。わきまえ――」
「うるさいのは、そなただ」




