さん→冷徹帝も子に甘いので
「その可能性を考えてなかったのよ……」
愛紗は頭を抱えた。人間の姿に戻ってからも、何度も運命録を睨んでいるが、この一文は絶対に変わらない。
「宴で狙われるってわかってるなら、守るのも簡単じゃないのか?」
十然は呑気な声で言った。
「子どものあたしは宴には不参加なので」
「こっそり覗けばいいだろう?」
「宴は後宮の外でやるのよ。この体じゃ抜け出せない」
愛紗は仙界の者ではあったが、それは魂の話。器はあくまで人間のものだ。魂の影響を受けてか、少しばかり頑丈にはできているようだか、この小さな体は高い塀を乗り越えることすらできない。
――猫になって抜け出す?
猫であれば、抜け出すことも可能だろうか。世界を断つようにそびえ立つ壁は愛紗の何倍もある。抜け出すことを想定されているのか、側に木は植えられていなかった。
人間に戻る時間も計算すると、随分長く愛紗が消えることになる。愛紗は頭を抱えた。何度か猫になっているときに、愛紗の大捜索が行われたことがある。肝が冷えたので、できれば面倒はごめんだ。
「かくなる上は……」
「かくなる上は?」
愛紗はギュッと小さな手を握りしめる。
――腹を括るっきゃないわ!
愛紗は走った。否、走ったのは十然である。愛紗を抱え、秀聖殿まで走った。
十然の小言を右から左へと受け流し、愛紗は秀聖殿の扉を潜った。
執務室には黎明と如余だけのようだ。墨をする音が響く。机には書物が積み上がり、黎明の頭がほんの少ししか見えなかった。忙しいのだろう。
しかし、愛紗は構わず黎明の足元まで走った。
「お父さまっ!」
大きな声で呼びながら飛びつく。大きな手が愛紗の頭を撫でた。優しい手つきに愛紗は目を細めた。
「そろそろ来るころだと思っていた」
黎明は柔らかく微笑むと、愛紗の両脇を抱え膝へと下ろす。側で如余が同意するように頷いた。
今は昼を過ぎたくらいだ。過去この時間に黎明の元へと来た覚えはない。まるで予想していたかのような黎明の言葉に首を傾げる。
「宴に参加したいのだろう?」
「あい。なんでわかるんですか?」
愛紗の運命録でももっているかのようだ。
「そんな気がしただけだ」
「……ってことは、宴に行ってもいいですか?」
「だめと言っても行くつもりで、ここに来たのだろう?」
「お父さまはなんでもお見通しなのね」
感嘆の声をあげて見上げれば、黎明が苦笑した。
「よい子にしていられるか?」
「あい。あたしが悪い子だったことはないでしょう?」
「そうだな。愛紗はずっとよい子だ」
「あい」
文鎮と呼ばれてもかまわない。一緒にいて悪さをしないとわかれば、黎明も如余も頷くだろう。
黎明がちらっと如余を見た。
「豪華な食事が食べたいのでしたら、同じ物をお運びいたしますよ」
如余がにこりと笑う。
「違うの! お父さまのお側にいたいの。いい子にしています。……だめですか?」
愛紗はぎゅっと黎明の袖をつかんだ。引き剥がされないようにするにはこれが一番である。黎明のことを何よりも考えている如余は、服を掴む愛紗を引き剥がすことはできない。
視界の端で如余の眉がピクリと動いたのが見えた。
「如余、愛紗もそう言っている。この子は周りをよく見て行動する。宴の席で騒いだりはしないだろう」
「陛下、他の子どもより大人びているとはいえ、まだ五つ。酒の出る席に出すのはお早いかと」
「酒を飲ますわけではない。愛紗は幼いとはいえ皇族だ。皇族として、この国のために戦った者たちを見ておくべきだろう」
黎明の言葉に愛紗は強く頷いた。戦のことはよくわからない。興味もなかった。愛紗の世界は今、黎明の命を中心に回っているからだ。大義名分が必要ならば、皇族の一員として参加することも厭わない。
「国のために戦ってくれた人にお礼が言いたいの。だめ?」
如余のほうに向き直して見上げる。
「私がお止めしても、陛下が連れて行くと言えば、決まりです。ですが、騒いだらすぐにお部屋に戻しますからね」
「あい。もちろんなのよ。宴でもお父さまのお膝でおとなしくする」
愛紗は見本のように黎明の膝の上にしっかりと座り直した。雛典宮の椅子よりも長く座っているような気がするのは気のせいだろうか。
黎明は静かに頭を撫でた。
「陛下、さすがに愛紗様を膝に乗せるのは陛下の威厳に関わります」
「酒が入れば誰も気にしないだろう。それに、愛紗は大人びているがまだ五つだ。知らぬ者が多い中で一人にはしておけない」
「そうはいきません。陛下は国の主。臣下に威厳を見せねばなりません」
如余は譲らなかった。
――すっかり忘れていたけど、お父さまは『冷徹帝』なんて呼ばれているんだっけ。
まろやかな笑みを見せ、優しい言葉遣いで接する黎明と合致するわけもない。如余の言葉も一理あると愛紗は頷いた。
「なら、あたし、胡遊おじさまと一緒にいます!」




