第8話 GPSパンケーキ
今日は珍しく、何の予定もない休日だった。
平日も土曜も仕事続きで、やっと確保した完全オフ。私の脳内スケジュールは、布団でだらける→冷蔵庫の残り物で昼→スマホでだらだら→夕方ちょっと買い物、という最高のインドア計画で埋まっていた。
なのに。
「ねぇ、せっかくだし外に出ない?」
隣で新聞を広げていた健が、急にそんなことを言い出した。
「……何か用事あったっけ?」
「いや、特に。でも、天気いいし」
健が“天気いいし”と言うときは、大体なにか仕込みがある。私はすぐに疑いの目を向けた。
「外って、どこに?」
「ほら、パンケーキ食べたいなって」
「……急に?」
「うん。ほら、最近テレビで見たやつ。ふわっふわで、雲みたいで、ナイフが沈むやつ」
説明がやけに具体的だ。
まあ、パンケーキくらいなら付き合ってもいいか。と油断しかけたところで、健はスマホの地図アプリを開き、「ここ」と見せてきた。
――え、郊外?
「何でこんな駅の近くじゃない場所に?」
「駐車場があるんだって」
軽く笑ってごまかしたが、私の警戒メーターはじわじわ上昇していた。
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車に乗り込むと、健はナビを異様に細かく設定し始めた。目的地だけじゃなく、ルートの一部に手動で経由地を入力している。
「そんなに経由地って必要?」
「いや、こっちのほうが渋滞ないから」
……本当か?
出発してからも様子がおかしい。ナビが「300メートル先を右です」と言う前に、健が「次の角、右ね!」とやたら早口で指示してくる。
「いや、ナビあるんだから落ち着いてよ」
「ごめんごめん。ちょっとナビ、信用できなくて」
信用できないのは、あんたの方なんだけど。
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そして――目的地まであと数百メートルというところで、事件は起きた。
道路沿いの広場に、カラフルな旗や屋台がずらりと並んでいる。人だかりもすごい。
「あれ……雑貨市やってる?」
「え? そうなの?」
わざとらしい驚き方。私はもう確信した。これは偶然じゃない。
思い出す。先週、同僚からこの雑貨市のチラシをもらって、「行きたいけど、ちょっと遠いしなあ」と言っていたのを、健が聞いていたはずだ。
「ねぇ、パンケーキって本当の目的?」
「……半分」
「半分って何」
「残り半分は、君が行きたいって言ってたこれ」
そう言ってウインクしてくる。
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雑貨市は想像以上に楽しかった。ハンドメイドのアクセサリーや、小さなインテリア雑貨。私はあっという間にトートバッグいっぱいに戦利品を詰め込んでいた。
「ほら、言った通り来てよかったでしょ」
「うん……でも最初から雑貨市って言えばいいじゃん」
「そうすると、“わざわざ悪いよ”って君は言うから。パンケーキを口実にすれば、自然に来られる」
「……あんたは心理戦のプロか」
「君のことだけは、ね」
こういう時だけ格好いいこと言うのやめてほしい。心がくすぐったくなる。
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そして、本来の目的のパンケーキ屋へ。
店は落ち着いたカフェ風で、健が予約まで入れてくれていた。席に着くと、店員さんが笑顔でプレートを運んできた。
ふわふわのパンケーキの上に、粉砂糖。そして、チョコソースで書かれた文字。
『ゆいLOVE♡』
「……健」
「ほら、せっかく来たんだから記念に」
「恥ずかしいって言ってるでしょ、こういうの!」
でも店員さんも隣の席のカップルも笑顔で見てくるし、結局私はスマホで写真を撮ってしまった。
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帰り道、車内で健がぽつりと言った。
「君が喜ぶ顔が見たいだけなんだよ」
その一言で、さっきまでの茶番が全部ひとつの線でつながる。
――ああ、この人は本当に、面倒くさいくらい私のことを考えてるんだな。
とはいえ。
「でも次は、もう少し自然な誘い方にしてくれる?」
「自然なつもりだったけどなぁ」
「パンケーキで雑貨市に誘導は、不自然の極み」
「じゃあ次は、クレープにする?」
まったく懲りてない顔だった。
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こうして、私の“完全インドア休日計画”は、夫のGPS愛情作戦によって華やかに破壊されたのだった。




