とりあえず元通り?
医局から白の塔まで休みなく走り続けた私は、日ごろの運動不足を猛烈に後悔した。
特に、グラン様と一緒に魔法馬車で移動するようになってから、運動量が激減したような気がする。
ダメだ、体力をつけなきゃ……!
そう後悔して、のろのろと走っていた私の目の前に、ようやく白の塔の門と見張りの兵士の姿が見えてくる。
「宮廷薬師のシュゼット・クラークです!入ります!」
ポケットから身分証を取り出し、それを兵士に見せながら問答無用で駆け抜ける。
初対面ではないからか、兵士は私を留めることはなかった。
「はぁ……はぁ……」
フィオリーがいるのは一階のはず。
グラン様はまだいるよね……?
まっすぐに塔に向かっていくと、正面から昨日会ったばかりのリンクスさんが何かを抱えて走ってくるのが見えた。
「リンクスさん!」
声をかけると、彼はほっとした表情になる。
その額には汗が滲んでいて、いつもの飄々とした感じがなかったのが気にかかる。
「どうかしたんですか!?」
立ち止まった彼は、どさりと荷物を地面に置いた。
「えっ!フィオリー!?」
気絶している。一体何があったの!?
驚いて声を上げると、リンクスさんが魔法で細い糸のようなものを出し、気絶したフィオリーを入念にぐるぐる巻きにしてから言った。
「グラン様が暴発しそうなんです。周囲が発火したのでコレを避難させました」
「暴発!?」
いけない。
一度精神崩壊状態になると、五年はまた不安定な状態になるはず。いきなり自分を傷つけるほど発火することはないと思うけれど、きっと今グラン様は苦しんでいるはずで。
「私、中へ……!」
「ダメです!巻き込まれます!」
止めようとするリンクスさんに、私はネックレスと腕輪を見せて言った。
「大丈夫です!グラン様お手製のこれがありますから!」
きっと私は守られる。
グラン様が私にくれたものだから、ちょっとやそっとの発火では私に傷一つつかないはずだ。
私はリンクスさんを振り切り、塔の中へ入っていく。
「うわ……」
一階に入ると、奥の部屋から煙が出ているのが見える。
ここは薬師の塔と同じく階層ごとに強固な防御魔法が張ってあるから、上階や地下への延焼はしていないだろう。
私が廊下を進んでいくと、光の膜が一瞬で現れて、あたりに漂う熱気や煙がふわりと私を避けていく。
さすがグラン様の防御魔法。走りながらそう思った。
「グラン様!」
近づくと、魔力の少ない私でもそこに彼がいるとわかる。
強い魔力が伝わってきて、迷いなくその部屋に飛び込んだ。
──バンッ!!
半開きだった扉を勢いよく開けると、部屋の中は熱い空気と魔力の渦でよく見えない。
私は思わず顔を顰め、その中心めがけて突き進む。
「グラン様!!」
どうか無事でいて。
記憶が戻ったって、私は大丈夫なんだって伝えなきゃ。
それに、私はあなたが好きなんだってちゃんと伝えたい。
たくさん苦しめてしまったのに、グラン様はずっとそばにいてくれた。自分だけ忘れられて私よりつらいはずなのに、何より私を優先して守ってくれた。
傷ついているそぶりなんて見せずに、私を助けることを一番に考えてくれた。
だから、絶対にあなたを助けたい……!
「っ!!」
いた。
空気の渦の中に、いつものローブ姿の背中が見える。
私はその背中に向かって走り、思いきり抱き着いた。
「グラン様!!」
「シュゼ……?」
ぎゅうっと抱き締めて、彼の存在を確認する。
よかった、まだ彼自身の身体に影響出ていない。
突然私がやってきたことに驚いたグラン様は、呆然とその場に留まっていた。
「グラン様、私ちゃんと記憶が戻りました。全部思い出しました……!」
どれくらい私があなたを好きか、どんな言葉を選べばきちんと伝わる?
必死にここまで来たくせに、今さらどうやって伝えればいいか困ってしまった。
でも迷っている時間はない。
正直に、ただ事実だけを伝えよう。
私はぎゅっと彼を抱き締め、懸命に訴えかけた。
「私、グラン様のこと、大好きだから忘れました」
「…………?」
かすかに反応があった。私の声は、ちゃんと届いている。
「魔法薬は、エムプサの粉から作られた……、本当に好きな人のことだけを記憶から消す魔法薬なんです。それで、私はグラン様のことが」
最後まで言い切る前に、彼は私の腕を振りほどいてこちらを向く。
その顔は驚きに満ちていて、何も言葉が出てこないように見えた。
「本当です、私はグラン様のことが好きなんです」
これだけは、ちゃんと知っておいて欲しい。
ずっとずっと言えなかった本心だから。
「でも、俺は……。君が好きな『大人の落ち着いた男』でも何でもなくて、だから……」
まさか今そんなことを言われるとは思わなかった。
私は少し困ってしまって、でもそんなところも可愛いなと感じて思わずくすりと笑ってしまう。
「違うんです。私、知っていました」
「知ってた?」
「はい、グラン様が私の周囲を警戒していることとか、どこにいるか魔法で把握していることとか、私が行く先々に偶然のふりをして現れることとか全部知っていました」
「は!?」
ええ、しっかり気づいていました。
気づいた上で、そこまで気にかけてくれているのが嬉しくて……。
あれ、グラン様がちょっと蒼褪めていってる。
バレていないって本当に思っていたんだわ。どう考えても、気づくレベルだと思うんだけれど?
マルリカさんは「あなたの前では大人の男を気取っていた」って言っていたし、確かにそれはそうなんだけれど、二年も一緒にいればさすがに気づく。
「最初は偶然だったんですけれど、ほら、恋人になってから初めて食事に行った帰りに、私がうっかり躓いて」
私の住んでいた寮は、扉がよく磨かれたガラスだった。
グランジェーク様に似合う素敵な女性になりたくて、私はあの日、背伸びして高いヒールを履いていた。
デートの帰りは足が痛くて痛くて、扉の前で「さようなら」って手を振って別れたまではよかったけれど、その後たった二歩で躓いて、ガラスの扉にぶつかりそうになった。
「扉にぶつかりそうになったとき、どうにか堪えて転ばずに済みましたが、そのときガラス扉に映っていたグラン様のお顔があまりに必死で……」
グラン様が、目を見開いて今にも死にそうな顔で私を心配していたのがばっちり扉に映っていたので、「あれ?」って思った。
ちゃんと振り返ったときには、憧れの魔法師団長様の笑顔に変わっていたんだけれど……。
「その後も何度か不自然な言動がありましたし、一緒に住み始めてからは私が邸の中で移動するときにどこへ行ってもついて来てたじゃないですか?シュゼ、シュゼって、追いかけてきて、邸の中でも手を繋いで」
「…………」
「眠っているときも、何度も私がいるか確認して髪を撫でては『可愛い』『好きだ』って……。もう恥ずかしくって、いつも寝たふりするの大変だったんですよ?」
ふふっと笑いながら話す私を見て、グラン様は今にも気絶しそうになっていた。
でも私は嬉しかったのだ。
こんなに私を好きでいてくれて、必要としてくれて、しかもそれが自分の好きな人だなんてどんな奇跡だろうっていつも幸せに思っていた。
「さすがにプロポーズされたときは、面と向かって言葉であれこれ言われてびっくりしましたが、でも嬉しかったのは本当です。だって、私もグラン様のこと大好きなんですから」
ようやく言えた。
ずっと言えなかったのに、今はとてもすらすらと言葉が出てきた。
「記憶が無くなったときは、グラン様のまっすぐ過ぎる言葉や態度にドキドキしてしまって……。記憶がないからいきなり変わったと思ってびっくりしたんですけれど、でも記憶がなくても私はあなたを」
好きです。
そう言おうとしたら、唇が重なって何も言えなくなってしまった。
「シュゼが、俺のことを好き?」
「はい」
「幻覚じゃなくて?」
「はい。ちゃんと本物です」
「俺が勝手にシュゼに見立てたロボットメイドを作り出したんじゃなくて?」
「え、それはちょっと困りますね。もしかして作ろうとしたことあるんですか?」
「……ないとは言い切れないが、ないということにしておいてくれ」
「わかりました。グラン様がそうおっしゃるなら」
大丈夫、作っていないなら忘れます。
見上げれば、感極まったように私を見つめるグラン様がいる。
周囲の火はすでに消えていて、塔に備わっている消火システムが作動し始めていた。壁や天井はするするとその色を取り戻していっていて、今まで燃えていたのが嘘みたいにきれいになっていく。
「心配かけてごめんなさい」
そう言って謝ると、彼は首を振って否定しながら私を抱き締めた。
「俺の方こそ、すまなかった。今度こそ、君を守れるように強くなるから」
グラン様はそう言ったけれど、過保護で心配性で、ちょっと繊細な部分も私は好きなのだ。これからは、精神崩壊状態にならないようにずっとそばで見守っていたい。
「あ」
「シュゼ?」
でも困った。
私の記憶はまだ6時間くらいしかもたないのだ。
今は応急処置であって、ルウェスト薬師長が魔法薬を完成させてくれるまではまたしばらく記憶がなくなってしまう。
「あの、私まだ完全に治ったわけじゃないんです」
グラン様は話を聞くと、優しい笑みを浮かべて言った。
「待つよ。俺は……もう、大丈夫だから」
「ありがとうございます」
好きになった人がグラン様でよかった。グラン様なら、私がどんなになってしまっても離れずにいてくれると思う。
だから私も、精一杯気持ちを返したい。
大きな手が頭を撫でる。
そして、もう一度キスをしようと彼の顔が近づいてきたとき、背後から困惑する声が聞こえてきた。
「あの~、とりあえず元通りになったっていうことですか?」
リンクスさんが様子を見に来てくれていた。
言葉は辛辣なときがあっても、彼はグラン様のことを普通の部下以上に心配してくれている。
私が苦笑いで返事をしようとすると、グラン様は部下がいるのに躊躇いなく私にキスをする。
「っ!?人前ですよ!」
「シュゼはもう全部知ってるんだろう?かっこつける必要がないなら、今キスをしてもいいはずだ」
どういう理屈ですか?
これはこれで、また別の問題が発生した気がする。
「はぁ~~、心配したんですからね?」
リンクスさんが呆れてため息を吐く。
「それはすまない」
「本当に申し訳ございません」
私たちは、二人揃って即座に謝罪した。





