伝えなきゃいけないこと
──シュゼ、どうか俺と結婚して欲しい。
まるでおとぎ話のような美しい月夜に、大好きな人から結婚を申し込まれた。
私は嬉しくて、「自分でいいのか」とか考える余裕もなく返事をした。
──はい。どうか末永くよろしくお願いします。
抱き合うと腕の中はとてもあたたかくて、心の底から幸せだって思えたの。
──シュゼ、俺は君を愛している。一生、大事にする。
──嬉しいです……!
──君がいればそれだけで幸せなんだ。君が俺のすべてだ。シュゼの声をずっと聴いていたいし、シュゼが笑ってくれるなら俺は世界中のどこからでも何でも持ってきてあげる。この世の全部を君に捧げたい。
──う、嬉しい……です?
あれ?
憧れの魔法師団長様は、いつもクールでかっこいい人で、えっと…………
この人は誰!?
「わぁぁぁぁぁぁぁ!!」
目が覚めたのが先か、それとも叫び声を上げたのが先か?
がばっと飛び起きた私は、毛布を握り締めながらはぁはぁと荒い呼吸を繰り返す。
あれは夢?ううん、夢じゃない!
心臓がバクバクと鳴っていて、まるで全力疾走したときみたいに息が上がっていた。
「あれ?もう起きたの?薬は効いた?」
すぐそばから聞こえてきた呑気な声。
どろりとした青黒い液体の入ったコップを手にした、ルウェスト薬師長がそこにいた。
「ルウェスト薬師長……!え?あの、ここって」
「医局だよ。君が倒れたから、応急処置をしたんだ」
きょとんとした顔でそう言う薬師長は、あっけらかんと笑う。
「うん、目が覚めてよかった。魔力も元に戻ってるし、記憶も戻ってるだろう?」
「え?」
「あれ?グランジェークのこと、まだ忘れてる?」
目を丸くする私を見て、薬師長は不思議そうな顔をする。
そっか。私はまた記憶が戻りかけて、それで倒れてグラン様に助けられたんだ。彼が戻ってきていたということは、素材が無事に確保できたってことで、つまり……。
「あ……。思い……出し、ました」
目をぱちぱちと瞬き、呼吸を整える。
とても気分がすっきりしていて、体が軽くなったみたい。
これまで忘れていた二年分のグラン様との記憶を、すっかり思い出していた。
「グラン様は!?」
辺りを見回すも、彼の姿はない。もしかして仕事中?
それに、私が倒れてからどれくらいの時間が経っているのだろう?
ぱっと薬師長の方を見ると、彼は青黒い液体の入ったコップに何かの白い粉末を混ぜているところだった。
「私は何時間くらい寝ていたんですか?」
「丸一日くらいじゃないかな?今は正午の鐘が鳴った後」
「えっ」
窓の外を見ると、倒れたときは夕暮れだったのに、明るい光に満ちていた。確かに真昼間という雰囲気だわ。
「う~ん、ひとまず応急処置だからこれくらいかな」
何やらノートと見比べながら、魔法薬を作っている。
首を傾げる私に向かって、ルウェスト薬師長はそれをずいっと差し出してきた。
「これだけ飲み切れば、6時間くらいは記憶が保てると思うよ」
「え?え?」
「とりあえずの応急処置だから、まだ完全に治ったわけじゃないんだ」
「そうなんですか!?」
私は慌ててコップを受け取り、ぐいっと飲んだ。
「んごふっ!!!!」
「あはははは、すごいまずいよねぇ。味の調整までする時間がなくてさ~。グランジェークが急かすから」
ううっ、これまで飲んだどの薬草ドリンクよりも、薬よりも苦くてえぐみがすごい。
でもだからって飲まないという選択肢はなく、私は涙を浮かべながら必死でそれを飲み切った。
「はい、水」
「ありがとうございます……!」
レモンとミントの香りのする冷たい水を飲んで、ようやく一息つくことができた。
これでも効果は6時間。グラン様に会って、きちんと事情を説明しなくては。
彼はきっとものすごく心配している。
それに、色々と誤解があるみたいだからちゃんと話さなきゃ……!
「師匠、グラン様はどちらに?」
ベッドを下りて、椅子にかけてあった自分のローブを羽織る。
そんな私を見て、ルウェスト薬師長は困った顔で笑った。
「今は行かない方がいいんじゃないかな」
「どうしてです?」
「グランジェークは昨日マーヴィンを拉致?いや脅迫して全部聞き出して、それで今は白の塔へ……」
「どういうことですかぁぁぁ!?」
なんでそんなことになってるの!?
ぎょっと目を瞠る私。
「だって君が『マーヴィン様』って言い残して気を失うから、グランジェークはマーヴィンが君に何かしたんだと思ったんだよ」
「私のせい!」
ごめんなさい、マーヴィン様!
狂気を孕んだ目でマーヴィン様に迫るグラン様が目に浮かんだ。
「さっきまでここに居たんだけれど、ようやくフィオリーが話せるまでになったっていうから、グランジェークはすぐに白の塔へ向かったんだ」
「──っ!!」
まずい。
今のグラン様は私が倒れたせいで不安定なはず。
きっと思考が悪い方向にいってしまう。
「グラン様って前に精神崩壊状態になってからまだ五年経ってませんよね!?」
私がそう言うと、ルウェスト薬師長は少し驚いた顔になる。
「気づいてたのかい?」
「はい。目が……、あの紫色の瞳はグラン様以外にいないでしょうし、それにブローチも」
酷いやけどで、顔の判別なんてつかなかった。けれど、目が合ったとき、あの瞳の色だけは覚えていた。
それに、祖父の遺した”星の雫”。フタが開かなくて、ついその場にあったブローチをぶつけて強引に開けたのだ。そのせいで欠けてしまい、後日グラン様が調合室にきたときは愕然とした。
謝りたかった。
でも「部下が」ってことになってるから、あのときは口にできなかったのだ。
「ぎりぎり五年は経っていないな。まだ不安定な状態ではあると思う」
「急がなきゃ……!」
私がそばにいて何かできるかはわからない。
でも、今すぐ会って自分の気持ちを伝えなきゃ。
「私、結局一度もグラン様に好きだって言えてないんです!結婚式の前には絶対に言おうって思ってたのに、記憶がなくなっちゃって……!」
言い終わる前に走りだした私は、扉の前でちょうど入ってきたマルリカさんにぶつかりそうになる。
「わっ」
「あら、もう起きたの?」
驚くマルリカさんの横をすり抜け、私は廊下を走った。
「すみません!診察はまた後で……!」
白の塔は、医局の二階に下りて北の通路を通って……意外に遠い!
すれ違う医師や文官が必死で走る私を見て驚いていたものの、私はただひたすらに白の塔を目指した。
*****
「記憶が無事に戻ったんですね。よかった」
マルリカは、ルウェストにそう話しかける。
彼は、手に持っていた白い粉と灰色の粉の入った二つの瓶を見せて笑った。
「こっちの白い方が一角獣の変異種のツノ。こっちの黒い方がエムプサっていう植物の根」
マルリカはそれを見て、思案しながら尋ねる。
「エムプサは、若者を誘惑して生き血を吸い取る植物ですよね。直接見たことはないですが」
「正解。エムプサの葉は粉をふいているみたいに見えるんだけれど、その粉を知らずに吸うことで幻覚が見えるんだ。その人が恋愛感情を抱いている相手の幻覚が」
想い人がいると思って近づいたら最後、ツルで首の血管をぶすっと刺されて吸血されてしまう。
だから旅人は、エムプサ避けの香を持ち歩いているのが一般的だ。
「幻覚を見せる粉……、そういえば自白剤にも使われますね。え、記憶を失う魔法薬って、まさかその粉で恋愛感情があるかどうかを?」
「そうだよ。想い人だけの記憶を消すなんて、普通の魔法じゃそんな器用なことはできないからね。想い人のことだけ忘れさせるために、エムプサの粉から抽出した成分を利用したんだ。……つまり、シュゼットはちゃんとグランジェークを好きだったってことだよ」
想い人がいなければ、そもそも魔法薬は作用しない。
ルウェストは苦笑いで言った。
「まあ、あくまでエムプサの粉基準なんだけれど」
「粉基準ってロマンも何もない言い方ですね」
「君もそっちの方が好きだろう?抽象的な『好き』とか『愛してる』とかより、分泌されるホルモンの量で効果が決まるとかそういう数値化された方が信頼できるよね」
マルリカは、灰色の粉の入った瓶を見て不思議そうに首を傾げる。
「でも、グランジェークのことを全部忘れなかったのはなぜでしょう?シュゼットは、魔法師団長様のことだけは覚えていましたよ?」
「シュゼットの中で、遠い存在の魔法師団長様と好きになったグランジェークは別人だったのかな。まぁ、それはもっと調べてみないとわからないけれど……。協力してくれた被験者の中には、自分では恋愛感情だって思っていたけれど実はそれは単なる依存で、魔法薬を飲んでも相手のことを忘れなかったっていうケースもあったんだ」
「なるほど」
「でも、今回の魔法薬は中途半端だったかな。改良が必要だよ。……とはいえ、もう作る必要はなさそうだが」
ルウェストは、窓の外を眺めそう言った。その目には、少しだけ憐みの情が浮かんでいる。
「契約違反の罪は重いよ。魔法薬は、人を幸せにするために使えってね」





