報われない恋
「ミラ先輩、保管庫にあったこの薬ってまだ依頼主が来ていないんですよね」
ルウェスト薬師長の代わりに、依頼分の魔法薬の処方や説明を行っていた私は、保管庫に最後に残った小瓶に目を留めた。
中身は薄緑色の錠剤で、比較的ポピュラーな睡眠薬だ。
私と一緒に仕事に当たっていたミラ先輩は、手元にあるリストを確認して返事をくれた。
「そうね、まだみたい。約束の時間は過ぎているわね」
ミラ先輩は、これから医局に行って新薬の検証を行う予定だ。時計を見て困った顔になる。
患者さんにはすでに投薬しているから、遅れるわけにはいかない。
「あとは私が」
取り扱いが難しい薬ではない。
だから私一人でも大丈夫、と先輩に告げる。
「何かあれば、通信で呼んで」
「わかりました」
ミラ先輩は事務官を連れて、すぐに調合室を出て行く。
するとこのタイミングで、ロボットメイドが私を呼びに来た。
『第一応接室にお客様が入られました』
「ありがとう」
きっとこの薬の依頼主だ。
マーヴィン・シルトン公爵令息。王太子殿下の側近の彼の名前が、リストにはあった。
大きな病やケガでない限り、本人が直接やってくることはほとんどない。おそらくは従者かメイドが取りに来たんだろう。
私は小瓶と書類を持ち、移動する。
モスグリーンの絨毯を歩き、大きな茶色の扉の前に立つ。そして、ノックをしてから中へと入っていった。
「お待たせいたしました。宮廷薬師のシュゼット・クラークです」
入室するタイミングで名前を名乗れば、一人掛けの椅子に座っていた青年とぱちりと目が合った。
てっきり従者かメイドが来ると思っていたのに、先日の舞踏会で会った彼がそこにはいた。
「お久しぶりです」
「あ……、どうも。今日はわざわざどうなさいました?」
症状が悪化したのか、と心配すると、彼は控えめに笑って「いえ」と否定する。
私は彼と向かい合って座り、ルウェスト薬師長の代理として話を伺おうとした。
「体調に変化があったのですか?」
「随分とよくなっています。悪化したから来たわけではないのでご安心ください」
それはよかった。
診察記録には、軽い不眠や焦燥感などの症状が書かれていて、それが悪化したわけではないらしい。
「薬は念のためまだもらっておこうと思ったんです」
「そうですか」
私は予定通り、持ってきた小瓶を彼に渡した。
マーヴィン様はそれを受け取ると、慣れた手つきで書類に受け取りのサインをする。
「あぁ、そういえばご結婚なさったと……。おめでとうございます」
改めてそう言われ、私は笑顔でお礼を言う。
「ありがとうございます」
彼がサインした書類を受け取り、内容を確認する。
すると、彼は私のことをじっと窺うように見つめ、こう切り出した。
「──ステシア王女殿下は、舞踏会でなんと?」
「え?」
顔を上げ、視線を書類から彼に向ける。
遠慮がちで、でも真剣な顔つきが印象的だった。
「特には……。結婚生活についての世間話みたいなものでした」
隠すような内容はない。
本当にただ、軽く話をしただけなのだ。
『今、幸せ?』
ふと、王女殿下の顔を思い出す。
幸せかどうか聞かれたのはちょっと変だなって思ったけれど、それだって取り立てておかしなことではないはずだ。
何より、人との会話の内容を第三者に話すのはよくないだろう。
困り顔で、愛想笑いを浮かべる私。
それを見たマーヴィン様は察してくれて、「すみません」と言って視線を落とした。
その顔が寂しげで、心にひっかかる。
「どうかしました?」
今度は私が尋ねると、彼は静かに首を横に振る。
「いいえ、何も。ただ、王女殿下がお元気でいらっしゃるか気がかりで……。すみません」
「いえ、お役に立てずこちらこそ……」
気まずい空気が流れる。
マーヴィン様は王太子殿下の側近だから、王女殿下のことを心配していらっしゃる?
でも、このご様子からはどうにもただの親愛の情という雰囲気ではない。
もしかして、マーヴィン様は王女殿下のことがお好きなんだろうか?
彼が眠れない理由は、想い人のステシア様が隣国へ嫁いでしまわれるから?
「幸せになってほしいんです、王女殿下には」
そう言って笑うマーヴィン様は寂しげで、私は胸が締め付けられた。
王族の結婚は、個々の感情など関係ない。
公爵令息だってそうだ。
どんなに愛する人がいても、それは公私でわけなくてはいけない。それが当然とされている。
それに、もしも王女殿下に今回の政略結婚の話がなくても、家を継げない二男のマーヴィン様に降嫁できる可能性なんてなきに等しい。
どうあがいても二人が手を取り合って生きていける未来はないのだと、彼自身が一番よくわかっているだろう。
「私も、王女殿下には幸せになっていただきたいです」
そんな言葉しか返せなかった。
それでも、マーヴィン様は笑って「そうですね」と言ってくれる。
「では、私はこれで」
マーヴィン様は、そう言うと席を立つ。
私も彼に続き、見送りのために部屋を出た。
廊下に出ると、彼は振り返って私に言った。
「あなたには以前情けないところをお見せしてしまい、きっとお気を遣わせただろうなと思っていました。どうか王女殿下をよろしくお願いいたします」
「……?」
一体何のことだろう?
返事ができないうちに、彼は去って行ってしまった。
廊下には私一人きり。
マーヴィン様の後ろ姿を見つめていると、何かが記憶にひっかかったような気がした。
その場に立ち止まっていると、扉の前にあるラナンキュラスの香りがふと鼻を掠める。
そういえば、この香りはどこかで……。
ぐらりと視界が揺らぎ、私は思わず壁に手をついて目を閉じる。
『──んて、──ければよかった』
またあの記憶。
耳の奥で、女性の声が聞こえてくる。
そうだ。
私は園遊会の日、道に迷って庭園を彷徨っていたときにお二人の姿を見たんだ。
『あなたなんて、好きにならなければよかった』
涙ながらにそう言うステシア王女と、黙ったまま悲しげに目を伏せるマーヴィン様。
二人は私に気が付くと、慌てて顔を背けた。
『失礼しましたっ……!』
そう言って走って逃げた私だったけれど、靴が片方脱げてしまって。
後日、メイドのマリナ・ハークス子爵令嬢のふりをして現れたステシア王女殿下が、私の靴を持ってきてくれたんだった。
そしてそこで、秘密の恋の話を打ち明けられた。
『ルウェスト薬師長に依頼したいの。記憶を……、記憶を消す薬を』
王族として嫁がなきゃいけないことは納得している。
でも苦しくて、苦しくて、苦しくて仕方がないから忘れたいのだと。王女殿下はそう言った。
『このままでは、王族としての務めに支障が出てしまう。私はお兄様みたいな立派な王族にはなれないから、魔法薬の力を借りたいの』
涙ながらに訴える王女殿下は、誰もが知る理想の王女殿下ではなく、普通の一人の女性だった。
ルウェスト薬師長は、王女殿下の希望を受け入れ、魔法薬の調合に取り掛かった。
私はそれを手伝っていて────あの日の事件が起きた。
記憶を取り戻すたびに、痛みが増す頭痛。
痛みの間隔が徐々に狭まっていき、私は堪えきれずに目を細める。
「シュゼ!」
突然降ってきた悲痛な声。
力強い腕に引き寄せられ、私は驚いて息を呑む。
「シュゼ、どうした!?」
「グランジェーク様」
あぁ、戻ってきてくれたんだ。
かすかに口角が上がる。
身体に力が入らなくてグランジェーク様にもたれかかった私は、必死に笑顔を作って彼に告げる。
「おか、えり……なさい」
言わなきゃ。
王女殿下のことを思い出したって、それに、ほかにもいろいろと話したいことがある。
けれど、瞼が重くてもう目を開けていられなかった。
「私、マーヴィン様に……。王女、でん、かに……」
最後にどこまで言えたのか?
私は深い深い眠りに落ちていくように、意識が沈んでいった。





