日常
「あ、シュゼット!ちょうどいいところに」
宮廷薬師のローブ姿で廊下を歩いていた私を、偶然通りかかったクラウディオが笑顔で呼び止めた。
その手には、透明のガラスケースを二つ持っている。
「どうしたの?そんなに嬉しそうな顔して」
首を傾げてそう尋ねれば、彼はにこりと笑ってそのガラスケースを私に見せた。
光沢のある赤い粒がいくつも入っていて、私は「飴かな?」と思った。
「これ、クランベリーみたいじゃない?」
よく見ると、赤い実のほかにも葉っぱがところどころにあり、おいしそうなクランベリーにしか見えない。少し粉がまぶしててあるのは、砂糖かな?
「クランベリーの砂糖がけ?」
「そうそう、ただし中身は栄養剤だけれど」
「えっ、もしかしてあのまずい丸薬の?」
栄養素だけを詰め込んだ、特製栄養剤。健康にはいいけれど、苦みがすごい丸薬だ。
調合師は私たちと違って味や形を調えることもあるが、まさかこのクランベリーにしか見えない粒が栄養剤だなんて。
私は驚きで目を丸くする。
クラウディオは自慢げに笑って言った。
「亡者の森で採ってきた苺の葉から抽出した成分を混ぜ込んだら、ちょっと甘酸っぱい味になったんだ。まだ少しだけれど、出来がいいから見てもらおうと思って」
「あなた本当に器用ね……!」
これなら、小さい子でも気軽に口にできそう。
熱や痛みで食事がむずかしいときでも、ポイっと口に入れれば栄養が採れる。しかも見た目が可愛いから、警戒心なく食べられそうだ。
でも私はここで「ん?」と気づく。
「ねぇ、これって手作りよね?」
恐る恐る尋ねると、クラウディオは遠い目をして薄っすら笑みを浮かべる。
「そうなんだ。俺はこの数をコロコロコロコロ、コロコロコロコロと」
労力がかかりすぎる!
想像しただけで大変な作業になるのがわかった。
「まぁ、これは遊び心だから。薬草の納品が遅れて時間が空いたときに、ちょっとやってみただけだから」
「うん、がんばったね。すごいよ」
励ますようにそう言うと、クラウディオは二つのケースを私に預けた。
「グランジェーク様が連れてきたっていう、魔力持ちの子にあげてよ」
「え、いいの?」
かなり時間がかかったのに。
目を瞬かせる私に向けて、クラウディオは明るく笑って言った。
「アウレアから、やせ細った姿が痛々しかったって聞いてさ。試作品だし、商品化されることもない物だけれど、こういうのあったら子どもは嬉しいかなって」
「ありがとう!きっと喜ぶわ!」
グランジェーク様からは、ジャレンくんは起きて歩くことができるまでに回復したと聞いている。まだ療養中のジャレンくんとの面会はその日の体調によるそうだけれど、オクトくんにだけでも会えないかと頼んでおいたので、これを持っていけばきっと喜ぶだろうと思った。
「それじゃ」
「うん、またね」
私は二つのガラスケースを大切に持ち、残りの仕事を片付けようと調合室に戻っていく。
あの子たちの笑った顔を想像すると、自然に足取りが軽くなった。
──ガシャンッ!!
何かが割れる音がして、私は驚いて足を止め、その音がした方を見る。
茶色の大きな扉に、銀色のプレート。そこには、『副長室』と書かれている。
あぁ、またセブ副長が何かに八つ当たりしているんだろうな。そう直感した。
セブ副長は気が短く、お世辞にもいい上司とは言い難い。私が魔法薬を飲まされたこともなかったことにしようとしたし、侯爵家の出身でなければ副長にはなれなかっただろうと皆が口を揃えて言っていた。
彼が物に当たったり、怒鳴り散らしたりするのはよくあることで、薬師はあまり接することがないから被害を免れているけれど、事務官たちはうんざりした様子だった。
私は眉根を寄せて、早くこの場を通り過ぎようとした。
しかしちょうどそのタイミングで、扉が開いて中から人が出てくる。
「失礼いたします」
大きな冊子をいくつか抱き締めるようにして抱えたフィオリーだった。
その声音は明らかに沈んでいて、表情は曇っている。
ぱたんと扉が閉まるのを確認し、私は彼女に声をかけた。
「フィオリー?」
「あ……」
彼女は私を見て、力なく笑った。
これは相当に怒られたらしい。
私たちは二人並んで歩き、調合室へと戻っていく。
「今度は何を言われたの?」
そう尋ねると、フィオリーは少し言いにくそうに話し始める。
「いつもとだいたい同じです……。各部門から上がってきた数字が在庫と合わないのに、セブ副長が見もせずにサインしちゃうから、手続きがおかしくなって……。それを報告に言ったら、『おまえが何とかしろ!』って」
「そんな理不尽な」
「でも私たちが確認したときは確かに合っていたんです。それなのに、おまえたちのせいだって」
「何それ、許せない」
もしかして、セブ副長が改ざんしている?
納入業者からお金でももらってるのかしら。
私の頭にそんなことがよぎる。
「ミラ先輩に伝えて、監査部の協力を依頼しようと思っています」
フィオリーも同じことを考えていたらしく、すでに内部調査を依頼することに決めていた。
監査が入れば、こんな状態もマシになるかな?
事態が改善されることを願うしかない。
「あの、それは?」
フィオリーが私の手にあったガラスケースを見て尋ねる。
クラウディオからもらったクランベリーもどきの栄養剤だと伝えると、彼女は興味津々でそれを見ていた。
「器用ですね、こんなものができるなんて」
「でしょう?私もそう思った」
しかも根気がいる。
私は、ここまで同じ作業をずっとやり続けるのはできないな。
「これを、ジャレンくんとオクトくんにあげてって。クラウディオが」
「あの子たちにですか」
「うん。順調に回復しているみたいで、そろそろ面会できるって聞いたの」
「そうですか……」
沈んだ空気のままのフィオリーは、ぎゅっと冊子を抱き締めて呟く。
「あの子たちも、グランジェーク様に感謝するんでしょうね」
「?」
「すごいですよね、魔法使いって」
「フィオリー?」
心ここにあらず、というように見えて、私はじっと彼女を見つめてしまう。
何か悩みでもあるのだろうか?
セブ副長に理不尽に怒られたことが堪えている?それとも、また別の悩みがある?
あまり自分の話はしないフィオリーは、ストレスをため込んでしまいそうで心配だ。アウレアも、引っ込み思案なフィオリーを気にかけていて、よく一緒に食事をしているくらい。
「何か心配事とかある?セブ副長のこと、私も一緒に……」
「いえ、大丈夫です。シュゼットさんはお忙しいんですから気にしないでください」
あははと笑ったその笑顔は、どうにも無理しているようにしか見えない。
けれど、気にしないでと言った彼女の雰囲気はどちらかというと拒絶に近いように感じられた。
事務官には事務官の立場があるから、薬師が入るのはあまりよしとしないのかしら。
強引についていくわけにもいかず、私は「何か手伝えることがあったら言ってね」と念押しだけして、その話はおしまいにした。





