魔法薬の依頼主
邸に戻ってきた私たちは、グランジェーク様の書斎で話をすることになった。
煌びやかなドレスからシンプルな水色のワンピースに着替えたら、現実に戻ってきたという感じがしてホッとする。
茶色い革張りの椅子に座って足を組むグランジェーク様も、濃紺のシャツにアイボリーのカーディガンを羽織り、黒いゆったりとしたズボンというプライベートモードで、こんな風にして過ごす時間が持てるのはやはり私たちは結婚したんだなとしみじみ思った。
「シュゼは温かいハーブティーでいい?」
「はい」
その洗練されたお姿をぼんやり眺めていたら、グランジェーク様から声をかけられて思わず反射的にはいと答えてしまう。
彼は「そんなにびっくりしなくても」と笑いながら立ち上がると、ロボットメイドが置いていったカートから茶器を取り、ハーブティーを淹れてくれる。
「あっ、すみません……!グランジェーク様にお茶を淹れさせるなんて!」
慌てて謝る私に、彼は穏やかな目を向けた。
「いいんだ。これは俺が好きでやってることだから」
テーブルの上にスッと置かれた、上品な白磁器のテーカップ。薄いピンク色のハーブティーからは、かすかに薔薇の香りがした。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
まるで私の世話をするのが楽しくて仕方がないみたいに、グランジェーク様は幸せそうに微笑む。
その姿を見ていると何だかドキドキして落ち着かなくなり、私は慌ててカップに視線を落とした。
グランジェーク様が笑うと私も嬉しいんだけれど、どうしてだか落ち着かない。大事にしてもらっているのに、これ以上にないくらい優しくしてもらっているのに、どう反応していいかわからなくなる。
「砂糖は?」
「いえ、このままいただきます」
そっとカップに指をかけ、一口それを口に含む。
口内から体の中に広がった温かさと優しい甘さに、知らず知らずのうちに体が冷えていたんだと気づいた。
「……おいしい」
時期的には冷たいお茶でもいいはずなのに、温かいお茶にしてくれたのはグランジェーク様の優しさだった。
本当に私のことをよく見ているんだ。
今日だけじゃない。
グランジェーク様はずっと私のために……。
ちらりと横目に見ると、彼は美しい所作で同じハーブティーを飲んでいる。
その姿を見ていると、私はどうしてこの人を忘れてしまったんだろうと切なくなった。
こんなにも、私を想ってくれているのに。
このままじゃいけない。いいはずがない。
早く思い出を取り戻したい。
焦りのようなものが胸に生まれていた。
「グランジェーク様」
「ん?」
カップを置いた私は、改まって呼びかける。
今日舞踏会であったことを、グランジェーク様に報告しなければ。
彼もまたカップを置き、私を見つめた。
「舞踏会でステシア王女殿下に声をかけられたんですが、そのとき何かを思い出しかけました」
私は王女殿下に声をかけられたいきさつ、そして頭痛がして、泣いている女性のことが薄っすら思い浮かんだことを伝える。
「頭痛はすぐに収まったの?」
「はい、本当に少しだけでした」
「そうか、それならいい」
ホッとした様子のグランジェーク様は、一拍置いてから彼が入手した情報を教えてくれた。
「実は俺の方からも報告がある。ルウェスト薬師長に接触した貴族を調べていたんだが、その中にステシア王女殿下のメイドの名前があった」
「メイドの、ですか?」
「あぁ、専属メイドのマリナ・ハークス子爵令嬢だ」
聞き覚えのない名前は、私が彼女のことを忘れているからだろうか?
ルウェスト薬師長に接触している人物で、調合室で薬を作っている人たちなら、私が名前を知らないのはあり得ない。
「ルウェスト薬師長が、個人的に子爵令嬢と懇意にしているとは考えにくいですね」
「あぁ、あの変人……んんっ、個性的なルウェスト薬師長に限って交友関係が広いわけもない」
今さらっと変人って言いましたね。
私は苦笑いで、聞かなかったことにする。
「俺の予測では、自分か誰かの記憶を操作したかった王女殿下が、ルウェスト薬師長に魔法薬を依頼したんだと思う」
グランジェーク様の言葉に、私は視線を落として考え込む。
「ルウェスト薬師長は、すべて知った上で依頼を受けた。となれば、それなりに魔法薬を作る正当な理由があったはずですよね」
地位とお金がある人からの依頼でも、倫理や人道に反するような依頼を師が受けるとは思えない。つまり、王女殿下にはそれなりに筋の通った理由があったってことだ。
「王女殿下は、私と初めて話すかのように声をかけてきました」
「──知ってるんだろうね。シュゼが魔法薬のせいで記憶の一部を失ったことを」
グランジェーク様の纏う空気が、少し険しくなる。
その目はさっきまでと違い、恨みや憎しみを宿しているように見えた。
「王女殿下は、何を忘れたかったんでしょうか?」
兄の王太子殿下が怖くて、忘れたかった?
でも、隣国に嫁いでからも会う機会はあるだろうし、実の兄を忘れてしまったら問題が起こりそうだわ。
ふと思い出したのは、王女殿下が私に尋ねたあの質問。
『シュゼットさんは……今、幸せ?』
もしかすると、あの質問は、王女殿下が幸せでないと言う状況から出た言葉だった?
まもなく隣国の王に嫁ぐ、美貌の姫。
国のためにその身を捧げるというのは、庶民や貴族の間で美談として流れている。
さすが王女様。
さすが、愛国心のお強い方だ。
きっと向こうでも幸せになれるだろう。
人々は、好き勝手に想像を巡らせている。
でもあの寂しげな表情は、本当にこの結婚に納得しているのだろうか?
そう思わずにはいられなくなる。
「ステシア王女は、一体なぜ魔法薬なんかを」
忘れたいくらい嫌なことがあった?
私がそんな風に考えていると、グランジェーク様はまた別の角度から予想を立てる。
「政略結婚相手に飲ませたかった、とか」
「隣国の王様にですか?」
お相手はかなり年上で、すでに正妃も側妃もいる。
まさか、王に魔法薬を飲ませて正妃やほかの側妃のことを忘れさせたかったということ!?
「あの儚げで優しそうなステシア王女殿下が……?」
舞踏会で私に微笑みかけてくれたお姿は、どう見ても素敵な王女様だった。
そんな恐ろしいことを考えるような人には見えない。
私が騙されているだけなの?
表情が曇り、だんだんと疑心暗鬼になってくる。
あぁ、私には人の裏をよむ才能がなさすぎる。
魔法薬を盛った相手のことだって未だに見当もつかないし、調合室の皆はとてもいい人だって実感するばかりで何も疑わしいところが見つからない。
うう~ん、と苦悶の表情を浮かべる私を見てグランジェーク様は言った。
「あくまで可能性の話だから。それに、王女が嫁いだ途端に王が記憶を失うなんて事件が発生すれば、必ず疑いの目はステシア王女に向く。外交問題になるから、その可能性はほとんどないと思う」
「なるほど……?」
自分が疑われるようなことはしない、か。
ここまで考えて、また振り出しに戻ってしまった。
「何にせよ、王女がかかわっていることがわかっただけ前に進んだ。あとは俺が動くから、シュゼはもう王女殿下には拘らないで欲しい」
「えっ」
私が直接会って、話を聞き出すのはダメなんだろうか?
王族に会うなんて簡単でないことはわかるし、聞いたからって話してくれるとも思えないけれど、それでも黙って待っているのはできなかった。
「私、早く記憶を取り戻したいです。グランジェーク様に全部任せて待っているだけなんて……」
おまえに何ができる?とか言われたら、もうそれは黙るしかない。
でも、自分のことなんだから私にできることをやりたい。
グランジェーク様は困った顔で私を見つめる。
「シュゼが心配なんだ。シュゼが次に王女に会ったときに、頭痛だけで済むとは限らない」
「また倒れるってことですか?」
無理に記憶を呼び戻そうとすれば、また意識を失って眠り続けるかもしれない。それどころか、すべての記憶がなくなる可能性だってある。
グランジェーク様はそれを恐れていた。
「これは俺の身勝手だとわかっているが、シュゼがまた倒れでもしたらと思うと心臓が潰れそうだ」
「グランジェーク様」
「この鬱屈した気分を少しでも発散したくて、誰かを潰したくなる」
「絶対にやめてくださいね!?」
やめてー!関係ない人を巻き込まないでー!
あぁ、ほの暗い目で遠くを見つめないで!
「魔力をたくさん使って攻撃すると、本来は脳内で作れないセロトニンがごく微量だが生産されて精神安定が図れるらしい」
「医局長が研究している魔法使いの能力覚醒の論文ですよね?あれは『わりに合わない』って結論でしたよ!」
「ははっ、今なら国境の湿原に放り出されても無限に殺れそうな気がする」
「グランジェーク様、ダメです!楽しいことを考えましょう!」
私は慌てて彼のそばに寄り、その手に自分の両手を重ねてきゅっと握った。
どうにかして気持ちを落ち着かせてほしい、そんな願いを込めて彼を見つめる。
「ああ、そうです!ルウェスト薬師長が、記憶を取り戻す魔法薬を作るために素材集めをがんばってくれています!なので、一カ月もすれば薬で私の記憶は元に戻りますから!ね?」
明るい未来を考えよう。
必死でそう訴える私。
でもグランジェーク様は、私の手を今度は逆に握り返して切なげに訴えかけてきた。
「シュゼのために俺も何かしたい。一カ月も待っていられない」
「そんな」
「君は安全な場所でただ笑っていてくれたらいい。大丈夫、返り血には慣れてるから」
「何するつもりですか!?」
私はぎょっと目を見開き、危ないことはやめてくれと懇願する。
わかってくれたのかわかってくれていないのか、グランジェーク様は慌てる私を引き寄せ、自分の膝の上に座らせる。
手を引かれるままにこうしてしまったものの、抱き締められるとグランジェーク様の匂いがして急激に緊張し始めた。
「あの、この態勢はちょっと……」
解放してくれないか、という願いを込めて口を開く。
けれど、グランジェーク様はさらにぎゅっと腕の力を強めて笑った。
「しばらくこのままで。シュゼがここにいるって実感できて幸せなんだ」
「は、はい?」
大きく打ち続ける心音が聞こえていませんように。
私は顔に熱が集まるのを感じながら、この状況に必死で耐えていた。
そして、数分後。
あることに気づく。
「…………うまく丸め込もうとしていません?」
「ん?気のせいだよ」
見つめ合う私たち。
グランジェーク様は眉尻を下げ「困ったな」と呟いた。





